第五章


 うっすらと東の空が明るくなるにつれ、鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
 まだ辺りは薄暗いが、朝の気配を感じた仁は自然と目が覚め、ソファーから身を起こした。
 安楽椅子でユキが座ったまま寝ているのが目に入り、仁はびっくりする。
「トイラの奴、ユキをそこで寝かすことないだろう。せめてベッドに連れて行けよ。でも寝顔が見れたことはちょっと得した気分かな」
 仁は暫くユキの寝顔に見入っていた。
 仁の視線に気がついたように、ユキが目覚めると仁は少し慌てた。
 トイラには泊まっていけと言われたが、ユキがこのことを知っているのか定かではなかった。
 別にやましいことはしてないので、慌てることはない。仁は落ち着いて背筋を伸ばし、ソファーにかしこまって座った。
 少し恥ずかしげに笑顔をユキに向ける。
「おはよう。昨晩はちょっと色々あってトイラに泊まっていけって言われてさ」
「知ってる」
「なんだトイラから聞いていたのか」
 仁は安心するが、ユキの様子が変だった。
 困惑した表情を仁に向けた。
「いや、まだユキには何も話してない。というか、俺はトイラだ」
「なんだ、まだトイラのままだったのか。それじゃ僕から全てを話すよ。ユキに代わって」
 ユキの体は暫く動かずに黙っていた。
「ユキ? なんか驚いているみたいだけど、これには訳があってさ」
 仁が説明しようとしたとき、ユキは立ち上がった。
 深刻に考え込んで、居間を歩き回って何度も往復する。
「ユキ? 何をしてるんだい?」
「だめなんだ。どうしてもユキが出てこないんだ」
「えっ? まさか……トイラはとうとうユキを乗っ取ってしまったのか。そんな」
 仁も顔を青ざめた。
「くそっ」
 ユキの姿でトイラはイライラとしていた。
「トイラ、落ち着いて」
「これが落ち着いてられるか」
「でも体はユキなんだ。ユキのためにもユキらしさを損なわないでくれ」
 トイラは歩き回るのをやめ、その場で立ちすくんだ。
 仁も何か対策はないかと考え込む。
 外が明るくなるに連れ、陽光が家の中にも差し込んでくる。
「僕たちだけではダメだ。キイトに助けを求めよう。何かいい手立てがあるかもしれない」
 仁が提案した。
「どうやって連絡取るんだよ」
 動揺して焦ってるトイラの目の前で、仁はぱっと閃いて立ち上がった。
「楓太だ! 楓太なら何か知ってるはずだ」
「でもあの犬はどこかいけ好かない奴だった。そんな簡単に話すだろうか」
「なんとしてでも口を割らせるしかない。今からいこう。これくらい早朝なら八十鳩家もまだ寝ているだろう。今のうちに早く行こう」
 朝は少しひんやりとした空気を漂わせ、鳥たちのさえずりがやかましいおしゃべりのように聞こえてくる。
 仁とトイラが慌しく自転車に乗り駆け出していくと、それにびっくりして鳥たちがバサバサと一斉に空に飛び立っていった。
 朝焼けの中、二人は必死に自転車を漕いでいた。
 八十鳩家についたときはすっかり辺りは明るかったが、周りはまだひっそりとしていた。
 二人は自転車を適当に停め、目立たないように慎重に屋敷へと近づく。
 白い城壁のような壁を伝って門まではなんとか家の者には気がつかれずに接近できたが、外から見れば充分怪しいために気が気でなかった。
 そっと中を覗きこみ、楓太が居ないか確認するが、期待した通りにはならなかった。
「楓太」
 仁は小声で呼んでみる。しかし反応がない。沈黙が続くと、どうしようもなく焦ってきてしまう。
「くそっ、こうなれば入り込むしか……」
「トイラ、落ち着けって」
 仁が腕を引っ張ったときだった、玄関の擦りガラスに人影が見えた。
 二人はとっさに身を隠した。
 玄関が開いたとき、花梨が餌皿をもって外に出てきた。
「楓太、ご飯よ」
 その声で楓太が奥の方から尻尾を振って駆けてくる。
 自分たちが呼んだときは来なかったくせにとトイラも仁も気に入らなかった。
 花梨は餌皿を楓太の足元に置くと、さっさと家の中に引っ込んで行った。
 まだパジャマ姿だったので、当分は外には出てこないだろうが、これから確実に家族が目覚めていく。
 あまりここに長居はできないと思うと、二人はすぐ行動に移した。
「楓太!」
 仁の声で楓太の耳がピクリと動き、食べていた動作が止まると頭を上げて門の外を覗いた。
 仁の姿を捉えたのに、楓太は気にせず餌を食べることをやめなかった。
「おい、楓太」
 仁が何度も呼んでも、楓太は食べ終わるまで無視を続けた。
 仁もこれは仕方がないと、焦りながら楓太が食べ終わるまで辛抱強く待つ。
 その隣でトイラはイライラして歯を噛み締めていた。
「トイラ、ユキはそんなことしないから、やめてよ」
 仁に言われ、トイラは我慢する。
 ふたりは楓太が食べ終わるのをやきもきしながら見ていた。
 やっと食べ終わったとき、楓太は仁の元へと向かった。
「お前、遅いんだよ」
 トイラが文句をいう。
「ん、お前さん、ユキじゃないな」
 楓太は舌で口の周りを嘗め回しながらユキの姿をしたトイラを見ていた。
「それは後で説明する。楓太、君の助けが必要なんだ。キイトを探している。どこに行けば会えるんだ。頼む教えてくれ」
「拙者もそれは知らない」
「そんな……」
「おい、お前、もったいぶってんじゃねぇーよ」
 トイラはいきなり楓太の首輪をひっぱり恐ろしい形相で睨んだ。
「トイラ、止めろ。言っただろ。今はユキの体だと」
 仁が手を離させると、楓太は仕方がないと呆れた眼差しでユキを見つめた。
「なんだか事情があるみたいだな。キイトを探しているのなら別に手伝ってもいい。ちょっと待て」
 楓太が語尾を延ばすように吼えると、いつか見たキジバトが空を舞って、門の屋根の上に降り立った。
 また何かを伝えるように吼えると、キジバトは空へと飛んでいった。
「今、アイツにキイトと連絡できるように頼んだ。そのうちキイトの方から顔を出すだろう」
「楓太、ありがとう」
 仁は喜ぶと楓太に抱きついた。
「それより、俺はお前に聞きたい事がある」
 トイラは厳しい目をして楓太を見つめると、楓太には何が言いたいのか分かっている様子だった。
 楓太の方から話していた。
「赤石のことだろ。昨晩あの祠にあったのを見たんだろ」
「やっぱり、お前も知ってたんだな。いや寧ろ、そこにあるのを知っていたから俺たちに知らせようとした」
 トイラの指摘に楓太は頷く。
「そうだ」
「じゃあ、なんで最初から僕たちにそこにあるって言ってくれなかったんだ?」
 少し呆れ気味に仁が訊いた。
「拙者は今、難しい立場にいる。どちらも裏切れない」
「どういう意味だよ。誰と誰のことを言ってるんだ?」
 イライラしながらトイラが訊いた。
「拙者は両者どちらも助けないといけない。しかしそうすると矛盾が発生する。だから、お前さんたちに託すしかない」
「そういう抽象的なことを言われても、肝心な事がわからないと僕たちもさっぱりわからないんだけど」
 仁はやんわりと責めた。
「仁の言う通りだ。俺たちに助けを求めているんならはっきりと事情を話せ」
 トイラは直球にイライラをぶつけた。
「それはお前さん達が見つけてくれ。拙者の口からいえないけど、お前さんたちが勝手に見つけたら拙者は関与してないことになる」
「ちぇっ、それは卑怯じゃないか。責任逃れして、自分だけ被害を被りたくないってことか。きれいごと言うなよ」
 トイラの言葉に楓太はかっとした。
「違う! 拙者は掟に従ってどちらも守りたいだけだ。それが拙者の使命。自分の意思では判断してはいけないってことだ。すまぬが察してくれ」
 武士のような楓太の態度にトイラも仁も面食らった。
「わかったよ、楓太。楓太の世界では僕たちに理解できない掟があるってことなんだな。それなら僕たちでなんとかしてみる。でも、楓太も掟にふれない範囲でいいから手伝って欲しい」
「仁、かたじけない。できるだけのことはする」
 楓太に事情があってもトイラにはもどかしいままだった。仁は楓太を理解し尊重しようとする。
「それで、その赤石だけど、なぜあの祠の中にあるんだ」
「その理由は言えない。だけどその赤石は本来ニシナ様が持っているものだ。赤石をお前さんたちの手でニシナ様に返してもらえないか」
 楓太の潤った黒目が仁とトイラに慈悲を求めている。
 ふたりは分かったと楓太の願いを聞き入れることにした。
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