第六章 緑の青春と赤の絆


 先ほどの緊張感が打って変わって嘘だったように、ユキの家の中では、お茶とお菓子を囲んで和気藹々とした談笑がされていた。
 花梨が盗んだ赤石とセキ爺が襲われたことの偶然の重なりの事件の狭間にユキたちが巻き込まれてしまったが、事情を知れば責めることもできない。
 何度も平謝りの花梨とセキ爺を目の前に、気にしないでと却って気を遣う羽目になってしまった。
 花梨とセキ爺を家に招いて、お茶を振る舞っているからには、ユキと仁は明るくその場を盛り上げる。
 花梨もセキ爺は申し訳ない気持ちを抱いていたが、そのように扱われると最後はその気持ちに甘んじることにした。
 お陰で二人は肩の荷がすっかり下りたとばかりに、ユキが入れたお茶を笑顔を添えて楽しそうに飲んでいた。
 だが、そこにはキイトの姿はなかった。
 赤石も手元に戻り、そこにユキと仁の説得もあり、キイトは花梨とセキ爺を許すことにした。
 キイトの気持ちはまだすぐには収まりそうにもなかったが、まだまだ目的があり、ふたりのことなどどうでもいいという態度で山の方へと去っていった。
 当分はキイトが責任を持って赤石を預かることになる。ニシナ様に仕える巫女だけあって当然の役割と言わんばかりだった。
 そして、誰にも知られてなかったことが幸いして、この事件は当事者たちの胸の中だけに収めることとなった。
 花梨も充分反省し、その後はどこか吹っ切れた様子で、事情を知ってる仁とユキの前では本当に心軽く、やっと落ち着けると言わんばかりにほっとしていた。
「新田さん、ユキさん、巻き込んでしまって本当にごめんなさい」
「解決したことはもういいじゃないですか。キイトも許してくれたことだし」
 仁は花梨の気持ちを察する。
「そうよ、仁の言う通りよ。それよりもまだ問題は残っているわ。私達はカジビを探さないといけないし、そしてニシナ様も探さないと」
 ユキは自分の胸を押さえ、早くトイラを助けて、花梨とセキ爺のように心から安心したかった。
「そうじゃのう。わしらの問題が片付いたからといって、笑っている場合ではなかった。まだまだ気がかりなことが残っておる。それが解決せんことには、まだ笑うのは早かった。すまなかった」
「でもなぜ祠は壊されて、一体誰がセキ爺を襲ったんだろう?」
 仁は腕を組んで考え込んだ。
「もしかしたらだけど、そのセキ爺を襲った奴も赤石を狙っていて、そこにすでになかったから腹いせに祠を壊して暴れたんじゃないかな」
 ユキが口を挟んだ。
「それも考えられそうじゃが、ニシナ様はやっぱりそいつに誘拐されたと言うことになるんじゃろうか」
「お父さん、私が赤石を、その、拝借したとき、満月の夜の儀式でニシナ様はすでに留守にされていたわ。私はニシナ様の行動を知っていたから、その日を狙っ たの。ニシナ様はそれから姿を現さなかったんでしょ。その後で祠が壊されてお父さんが襲われたんだから、ニシナ様は誘拐されてないと思うわ」
 花梨は『拝借』という単語を言い難そうにしていた。
「あの、満月の夜の儀式ってニシナ様は一体何をされるんですか?」
 仁が訊いた。
「まあ、なんというか、満月の夜は一人で気ままに散歩に出かけられるんじゃ。一応山の平和に欠かせない儀式ということにしてるんじゃが、本当はニシナ様の ただの趣味なんじゃ。普段から暗い洞窟で置物のようになっておられる方だから、羽を伸ばすにはいい大義名分という訳じゃ」
「それじゃ、散歩からずっと戻って来てないってことは、その時に何かあったってことですよね」
 仁がもしかしてすでに死んでいたらどうしようと不安になっていた。
「もし命に係わる事が起こったとしたら、それはわしらにでもわかるようになっておる。ニシナ様の魂は山と通じておる。ニシナ様が命耐えたとき、山の木々たちがざわめいて特別な信号を送るんじゃ。それがないところを見ると、ニシナ様はどこかで健在でいらっしゃる」
「それじゃなんで出てこられないんだろう」
 仁が頭を働かせている隣でユキが気がついたように言った。
「私、思うんだけど、ニシナ様はこれらの問題が起こることを事前に予測してたんじゃないかな。それで自ら姿を消して行く末を見守っているだけなんじゃないかしら。この出来事自体に意味があるってことなのよ」
「意味がある? まるでニシナ様が仕組んだことのようにも聞こえてしまうのう」
 セキ爺は興味深く聞いていた。
「まさに、それがいいたかったんです。私、トイラの世界で森の守り主の大蛇に会った事があるんです。その時、森の守り主は、最も邪悪なものを使者に選び、 そして次の森の守り主を目覚めさせようとしたんです。私も人間でありながらその駒のような役割をもっていました。だから、ニシナ様も少なくとも、何かの目的のために姿を自ら消したのではないかって思うんです」
 ユキの説明は説得力があり、みんな思い思いに深く考え込んでいた。
「うーん、なるほど。もしそうであるならば、ニシナ様の目的は何であるかじゃが」
 セキ爺は目を瞑って知恵を絞っていた。
「ねぇ、お父さん、もしかしたらやっぱりカジビに関係があるのかもしれませんよ。ニシナ様はカジビを探して次の山神候補にしたいのかも。カジビは本当に頭の賢い素晴らしい人でしたから」
 花梨は閃いたように明るく言った。
「あれっ? カジビは皆から嫌われていたって聞いたんですけど、一度怒りで魂を閉じ込めて殺人未遂を犯したとも聞きました。そんな危ない人を山神の候補にできるんですか?」
 疑問に感じたユキが訊いた。
「それは一部の間の噂に過ぎないことです。誰もその真相をはっきりと知ってる人はいないんですよ。一度流れた噂は尾ひれをつけてすぐに広まってしまっただ けです。その噂のせいでカジビは赤石を狙った悪者扱いされてしまいました。でも、私の目からみたカジビはそれはもうかっこよくて、何をしてもサマになって は雲の上の存在でした。他のものたちはただその能力を妬み、たまたま尻尾が二又だっただけでからかうにはいい材料だったってことなんです。からかえば、 きっと刃向かってきて堂々と喧嘩ができると思ったんでしょう。でもカジビは常に落ち着いていて一度も争うことはありませんでした」
 花梨は間違ってないと言いたげにきっぱりと断言する。
「でもキイトの悪口を言われて発狂してそれで人を襲ったとか聞きましたけど」
 ユキはまだピンと来ない。
「そんなことなかったですよ。キイトは病気がちで、静養のために一度山を離れましたけど、それからカジビも同じように姿を消しました。もしかしてふたりは一緒なのかなって思ってたくらいですから」
 トイラがキイトから聞いた話をユキと仁は又聞きしただけだったが、随分と話の筋が違っていた。
 何かが食い違っている。どっちが本当の話なのだろうか。
 仁もユキも腑に落ちない顔をして困惑する。
「わしが、今回のことをカジビのせいにしてしまったのも、自分には都合がよく、人はきっとそう信じると思ってやったことだった。だから早くカジビを探し て、事情を話したかったんじゃ。聡明な心の広いカジビなら許してくれて、そしてどうすればいいのか助けてくれると思ってな」
 セキ爺は湯飲みを手にしてお茶をすすった。
「それじゃセキ爺も本当はカジビが悪い奴だっていう風には信じてないんだね」
 これは仁だった。
「ああ、実のところはそうじゃ。カジビには濡れ衣を着せて申し訳ないと思っておる」
「カジビはキイトが静養のために山を離れた同時期に姿を消しているってことか……それはいつのことなんですか?」
 ユキは何かが分かりかけてきたような気がした。
「そうね、あれは瞳が中学に上がる頃だったかしら。今から3、4年前ってところね」
「まだ最近の話だったんだ。その頃他に、何か変わった出来事はなかったですか?」
 仁が尋ねた。
「そうね、私はすでに人間界にいたから、山の出来事の話には疎かったわ。お父さんは何か気がついたことあった?」
「そうじゃのう。特にこれといったことはなかったな」
 二人は記憶を呼び起こそうと、唸りながら頭を捻っていた。そして花梨が突然声を上げた。
「あっ、そういえば、その頃だわ。カネタさんを八十鳩家が雇ったのは。でもこんなこと全く関係ないわね」
 花梨は役に立ちそうなことが思い出せずに、申し訳ないと肩を竦めた。
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