第六章


 花梨からの連絡を受け、ユキは自転車に乗り指定された場所へと足を向けた。
 午後三時を過ぎた日差しは弱まることなく、暑さが肌に差してくる。
 カネタの噂は聞いていたし、自分は知らなくとも相手は自分とすでに一度会っている。
 仁の落し物を取りに行くだけならば、何も問題はないと疑うこともなくペダルを漕いでいた。
 畦道に差し掛かり、前方を見れば、緑の葉が大地を覆ってる中で男性の姿がポツリと見えた。
 あの人に違いないと、元気よく進んで行った。
 ブレーキを掛けて、自転車を適当な所に停め、畑仕事をして腰をかがめているカネタにユキは少しずつ近づきながら叫んだ。
「こんにちは」
 カネタは振り返り、微笑を浮かべるが、細い目は獲物を狙っているといわんばかりに鋭くユキを捉えた。
 畑の中からカネタが近づいて来ると、ユキはふと既視感を覚えた。
 だがすぐには認識できない。
 トイラの意識が出ているときに出会ってるわけだから、そういう気持ちになったのだろうと思った。
「確か名前はユキ……だったな」
 ユキと呼び捨てにされ、親しくないだけに抵抗を感じてしまったが、無理して愛想笑いをしながら大人しく首を縦に振った。
「なんだか、昨晩会ったときとえらく感じが違うな。前はボーイッシュというのか男そのものに思えたけど」
「えっ、そ、そうでしたか?」
 カネタはじろじろとユキを見ていた。
 ユキはその視線に耐えられなくなり、早く用事を済ませたいと催促する。
「あ、あの。仁が落としていったものなんですけど……」
 ユキの質問を聞くと、カネタは鼻で笑った笑みを浮かべ冷ややかにしれっと返した。
「ああ、あれなら嘘だよ。あんたかジンのどちらかを呼び寄せたかっただけだ。さて、赤石について教えてもらおうか。夏休みの自由研究なんだろう。かなり情報を集めたそうじゃないか」
 ユキは一気に背筋が凍り戦慄を感じた。カネタは自分にとっては危ない存在。
 だが、それをすぐに態度に表してはいけないと、冷静を装うが声が上擦ってしまった。
「あ、あの、私何も知りません」
 なんとかこの場から逃げ出そうと、横目で自転車の位置を確かめながらユキは後ずさる。
「そんなことはないだろう。昨日の夜は見つけたと言ってたじゃないか」
 あれはトイラが言ったことだった。
 ──トイラの馬鹿! 余計な事を。
 ユキはトイラの意識を呼び出したかった。自分では乗り切れそうな気がしない。
 しかし、キイトの術で暫くはトイラが出て来れない事を思い出し、絶望的にどんどん血の気が引いていく。
「あれは、その、それらしい感じの石だったので、つい嘘ついちゃいました」
 テヘペロと冗談で済まそうと試みたが甘かった。
 カネタの表情が固くなったかと思うと、目つきが鋭くなり苛つきだした。
 これ以上悠長なことも言ってられないと、態度を豹変して一歩ユキへ近づいた。
 そして首に掛けてあったタオルを取ったときだった。
 ユキははっとした。
 首の横に傷があったからだった。この時はっきりと目の前の人物が誰だか気がついた。
 キイトを襲った男──。
「どうした。別に怖がることなんかないだろ。俺も赤石についてちょっと興味を持って知りたいだけだ。知ってること教えてくれ」
 ユキは首を横に振った。
「あなたは一体なんなの? なぜ赤石に興味を持つの。いいえ、それよりもどうしてキイトを襲ったの?」
 つい疑問が口をついていた。
「何を言ってるんだ」
「私知ってる、あなたは一度白いハートの石をキイトから奪って、そして鋭いものでキイトの胸を切り裂いた」
 カネタの顔つきに邪悪な影が現れた。
「お前こそ何者だ。なぜそれを知ってる」
「あなた、もしかしてカジビなの?」
 それを聞いてカネタは嘲笑うように鼻から息を吐いた。
「なんだかお前の頭の中はおかしくなってるようだな。みんなが躍起になって探しているようだけど、カジビって誰だよ」
 ユキには判断しかねた。
 わざと混乱させて自分がカジビであることを隠そうとしているのか、それとも本当に人違いなのか。
 この状況では冷静に考えられない。
 また一歩カネタが近寄ってくる。
 ユキは自転車めがけてとっさに逃げたが、カネタの素早い動きで行く先をふさがれた。またジリジリと近づいては手にしていたタオルの両端を握り、それをピンと張ってユキに見せ付ける。
 まるで首を絞めると誇示しているようだった。
 逃げなくっちゃ。
 前の道をふさがれ手しまえば、逃げ道は森の中しかない。追い込まれるように走っていく。戦える武器はないかと、手ごろな枝を探した。
 咄嗟に長い枝を拾い、カネタに向かって一振りしてみたが、カネタには全く堪えず、軽々と身をかわす。
 そのかわし方が素早く、普通の人間の動きではなかった。
 もしや、カネタは――。
 ユキの心臓が早鐘を打つ。
 じりじりとカネタに追い詰められ、さらに森の奥へと逃げるしかなかった。
 しかし、これでは逃げ切れない。
「誰か、助けて!」
 声を張り上げても人がいないこの場所では無駄だった。
 ユキは何とかしてトイラが出てくるまで時間を稼ごうとしていた。
 その時、キジバトがその様子を見てすぐに飛び立った。
 ユキの危険を知らせようと楓太まで羽をばたつかせて飛んでいく。
 楓太がそれを知ったとき、一目散にユキの元へと駆けて行った。
 キジバトもまだ知らせるべき人物の元へと羽ばたいて行った。
 

 冷房の効いた自分の部屋、一眠りでもするつもりでベッドに寝転がりながら仁はハート型の石を見つめていた。 
 中央の赤みは消えることなく、時々波打ちながら光を出していた。
 まるで心臓を連想させる。
 掌の中で握れば、やはり熱を発したような温かみを感じた。
「一体これはなんなんだ」
 角度を変えて何度も眺めていた。
 その時、窓をコツコツと叩く音が聞こえ、見れば、いつかのキジバトが羽を忙しく羽ばたかせながら、部屋の中を覗いていた。
 仁は窓を開けると、キジバトは怖がることもなく部屋に入り込んで仁の頭にとまった。
 クルックーと喉を震わせて首をせわしく動かしているのか、頭の上で暴れられるのが不快で仁は顔を歪めた。
 何を意味しているのだろうと、とりあえずは聞いてみた。
「お前は楓太の友達だったよな。どうしたんだい?」
 キジバトは必死で何かを伝えようと一層激しく動くが、上手く伝えられずに最後は苛立って仁の頭を突付き出した。
「おい、痛いよ。落ち着けよ」
 頭を庇おうと咄嗟に手が出ると、持っていた石が掌からこぼれてしまった。
 キジバトは床に転がったその石を素早く足で掴み、すぐさま空へと飛び立った。
「ちょっと、なんだよ。それを返してくれ」
 キジバトは円を描きながら仁を見つめて飛んでいる。
「もしかして、ついて来いって行ってるのか?」
 キジバトはクルックーと一度鳴くと、また仁の元へ戻ってその石を返した。
「分かった。すぐ支度する」
 仁は石をパンツのポケットに入れ、すぐさま部屋を飛び出した。
 マンションの外に出れば、キジバトが電線の上で待機している。
 仁が自転車を取り出して、乗り出すと案内するように空に飛び立った。
 仁は胸騒ぎを感じてペダルに掛かった足に力が入った。
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