第六章


「仁、その赤石を渡してくれないか」
 仁は手に持っていた赤石をカジビに返した。
 カジビは赤石を優しく一撫ですると、もう一つ緑の石がぽんと生まれるように隣に現れた。
 それはエメラルドの原石のような少し角ばった石だった。
「ユキ、これは君の石だ」
 カジビから、その石を受け取り、ユキは掌でぎゅっと握り締め、泣くまいと涙を堪えていた。
「その石はまさか……」
 仁が言いかけると、ニシナ様が仁の肩に手を置いた。
「今はそっとしておいてやりなさい。お主には傷の手当てが必要じゃ。さあ、こっちにおいで。私が治してやろう」
 仁は何度と後ろを振り返りながら仁科様についていく。
 その都度、視界に入ってくる必死に歯を食いしばって、震えているユキの姿。仁の胸からも悲しみがこみ上げる。
「仁、ここに腰掛けなさい」
 優しくニシナ様に言われ、倒れていた木の上に仁は座った。
 ユキの姿が前方に見え、仁は苦しさで喘いでしまう。
「今は辛かろう。だが、それでいいんじゃ。悲しみは決して悪いことばかりじゃない」
 ニシナ様の言葉の意味を仁は考える。
 そうしている内にニシナ様は仁の傷に触れ、優しく何度も撫ぜて癒していく。
 全然痛くないのに、仁の目からは涙がこぼれていった。
 
 カジビもユキを一人にしようと去りかけたが、ユキが引きとめた。
「待って、キイト、いえ、カジビって呼んだ方がいいのね」
「いや、できたらこの姿の時はキイトって呼んでくれないか。その方がややこしくないだろう」
 キイトの顔で、カジビは優しく微笑む。
「でも、今はカジビとして話させて」
 ユキの見つめる目に答えるようにカジビは本来の姿をさらけ出した。
 そこには精悍でキリリとした涼しげな目を向けた男性が立っている。
 まるで侍のように威厳と信念をもった姿だった。
 ハッとするくらいの眉目秀麗にユキは驚く。
「あなたが、カジビ……」
 暫く話せない様子のユキにカジビは催促する。
「それで私に何を話したいんだ?」
「あっ、えっと、私、あなたにお礼がいいたくて。仁を助けてくれてありがとう」
「何を言ってる、助けたのはユキ自身だろ」
「ううん、あなたがあの時、あの命の結晶を解放しなければ、私は大きな間違いをするところだった。あなたは言ったわよね。『私はキイトを束縛できない。彼 女が望めばそれに従うしかない。私もキイトを愛しているからね』って。私はその言葉の意味がわかったわ。私もトイラを愛している。そしてどうすればいいか 本当にわかったの。だからお礼がいいたい。ありがとう」
 ユキの言葉をカジビは静かに聞いていた。
 お礼を言われる筋合いはないとユキの肩に優しく触れる。
 でもそのカジビの表情は優しかった。
 ユキは、目を潤わせ緑の石を胸に抱くように両手で優しく包み込んだ。
 トイラの声が聞こえてくる。

『ユキ、俺はお前を愛している。それはよくわかっているだろう。そしてユキも俺の事同じように愛して欲しい。俺のことを強く思ってくれ。俺の俺の気持ちだけを考えてくれ』
 
「トイラ、あなたの気持ちは私の気持ち。だからこれでよかったのよね」
 トイラのあの生意気な笑顔が目に浮かぶ。
 二度目の別れは悲壮な気持ちなどどこにもなかった。
 好きな人が自由になれたという嬉しさの方が強く感じられた。
 その思いが石にも伝わるのか、ユキの気持ちと同調するようにエメラルドグリーンの透き通った光が優しく光を放っていた。
 カジビは再びキイトの姿に戻る。
 ユキをそっとするように離れていった。
 ニシナ様から全てを説明され、傷を癒された仁がユキの下へ駆けつけた。
「ユキ、どうして、どうして」
「仁、あなたこそ、どうしていつも一人で勝手に事を運ぶのよ。それが仁の悪い癖ね。これから何でも私に正直に言ってよね」
「でも、ユキ、トイラは、トイラは」
 仁はそれでも納得できない。
「トイラは私の心にもいるし、そして仁の心にもいる。それでいいじゃない」
 ──いいことあるわけないじゃないか!
 仁が叫ぼうとしたとき、ユキの目からは涙がポロポロとこぼれ出した。それでも必死に歯を食いしばり泣かないようにと堪えている。
「ユキ……」
 仁はいたたまれなくなった。それでも自分がユキの前に存在して生きている意味を考える。
「ユキ、悲しいときは泣いていいんだ。何も我慢することなんてない。その悲しみは僕が受け止める。ユキがトイラに命を助けられたように、今度は僕もトイラに命を助けられた。僕たちの体の中にはトイラが宿ってるんだ」
「仁……」
「ユキ、僕はトイラの代わりにはなれないし、なりたくもない。待つなんていうこともごめんだ。僕は僕としてこれからずっとユキの傍にいる。ユキの気持ちの中に絶対入り込んでやる」
 自分が生きてる意味がこれだといわんばかりに仁はユキを抱きしめた。
 ユキはその気持ちを素直に受け止め、同じように仁を抱きしめる。
 その時、赤石がキイトの手の中でまた赤く輝いていた。
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