エッセイ

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  第8話 75セント下さい  

 駐車場に車を停め、夫とこれから買い物というとき、後ろから赤いプラスチックの小さなタンクを持った男の人に声を掛けられた。
 申し訳なさそうに、または恥ずかしそうに、その男は話を切り出した。
「75セント貰えないだろうか」
 75セント…… 中途半端な額だった。1ドルが日本円で100円くらいだとしたら、75円くらい。
 その男は訳を話し出した。
「ガス欠で車が動かなくなり、お金もなく、ほんのちょっとのガソリンさえ手に入ればなんとかこの近くの知り合いの家まで行くことができる」
 赤いミニタンクを見せて、近くのガソリンスタンドでガソリンを購入する準備が整ってる姿を見せた。
 たった、75セント。それくらいで人助けができるのならと、私は1ドル札をあげた。
 男は75セントにこだわったが、25セントの違いはあまりない。
 いいからいいからと、にこやかに私は手渡した。
 男は感謝の気持ちを込めて礼を何度も言って、近くのガソリンスタンドに向けて去っていった。
 人助けのあとはなんか清々しいものがある。

 そしてスーパーに入ろうとしたとき、さっきと全く違う男だったが、その男も同じ赤いプラスチックの小さなタンクを持って誰かと話していた。
「あれ? 私の時とよく似た光景だ」
 そう思ったとき、その男は何かを貰って手にして歩いていった。
 私はなんか怪しいと思ってその男の後をつけた。
 するとなんと私が1ドルあげた奴に近寄り、二人は赤いタンクを見せ合いながら笑って話し出した。
「こいつら、詐欺だ! 騙して小銭を取ってるだけじゃないか」
 私はさっきの男の視界にはいるところまで近づいた。すると二人はヤバイと思ったのか突然離れて別々の道を歩き出した。
 だがもう一度あの男は振り向いた。
 私は軽蔑の眼差しを向けた。
『あんたが何をやってるかわかってるんだからね』
 でも怖くて1ドル返せとまでは言えなかった。
 そこでこれは警察にリポートだと、あたりをキョロキョロするとスーパーの入り口附近に警官がいた。
「ラッキー!」
 そして走って近づいて、その警官に告げ口しようとしたときだった。警官が叫んだ。
「フリーズ!(動くな)」
「えっ? 何だ、何だ、何だ」
 訳がわからないまま呆然としていると、目の前で警官が人を押さえ込んで手錠を掛けていた。
 辺りはあっという間の人だかり。
 そこへもう一人警官がやってきて、スーパーの店員らしき人と話をしていた。
 手錠を掛けられた男は、武器を持ってないか体を触られていたが、その体は地面に横たわり、押さえ込まれていた。
 多分万引きで捕まったんだと思う。
 でも万引きした人の顔も、取り押さえる警官の顔も、普段あまりみない、咄嗟の切羽詰った緊迫した顔で、何が起こるかわからない、命を懸けた、または張っ たような真剣勝負の殺気が漂っていた。
 異様な雰囲気が辺りを包み込み、一瞬のうちに体が凍ったような気分で、その光景を見ていたら恐怖心を植えつけられた。
「ああ、怖〜」
 もう1ドルがどうのこうのとどうでもよくなった。
 これが金を出せと後ろから銃でも突きつけられる事件じゃなかったことだけでもラッキーだったって思うことにした。
 75セント騙し取る…… まだかわいいもんだ、これが許されることではないとわかっていても。
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