第一章

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 白い粉に気をとられていたため、ミッシーは逃げ遅れ、すばやく飛び掛ったホッパーに体を羽交い絞めにされていた。
 それでもミッシーは抵抗を試みるが、ホッパーのがんじがらめに抑えられつけた力には太刀打ちできなかった。
 逃げられないミッシーは、スマートフォンだけは盗られてなるまいと、ホッパーから伸びてくる手を交わして必死に阻止をする。
「そいつを渡せ」
「嫌だ」
 二人は揉み合う。
「ミッシー」
 私もボスも心配で助けたいが、名前を呼ぶことしかできなかった。
 すぐに片がつくと思っていたホッパーだったと思うが、ミッシーのしぶとさに手こずり、ずれたメガネが一層疲労感を表現していたように見えた。
 あと少しで手が届きそうになったとき、ミッシーは持っていたスマートフォンを私に向けて投げた。
「婆さん、これを頼む」
 私はそれをしっかりとキャッチし、さらにミッシーに襲い掛かっているホッパーの写真を撮ってやった。
「くそっ」
 ホッパーにしてみればプロの自分がここまでコケにされて、プライドが許せなかった。
「この店を貶めようと企んだんだろうけど、諦めた方がいい。証拠は撮った。ここからそれをもって大人しく出て行ってくれたら、このことは忘れてやるし、警察沙汰にもしないと約束してやる」
 このエピソードはなかったことにしよう。
 そういう思いが働いただけだった。
 自分が創ってるんだから、そういう修正もできるのではと軽く思ったのが間違いだった。
 ホッパーはやはりプロの殺し屋の設定はそのままで、非道であった。
 私が思うほど、この場はそう簡単に収まってくれなかった。
「婆さん、あんた年取ってる割にやってくれるじゃないか。私を誰だかわかってそんなふざけたことをしているのか」
「はい」
 思わず、素直に返事してしまう。
 だってわかってるんだもん。
 ふざけてるつもりではなかったけど、一応あんたを創ったのは私なんだけどね。
 私、生みの親よ。
 心ではそう思っていたけども、目の前のホッパーには通じる訳がなかった。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
 ホッパーの顔が赤くペンキを塗ったように怒り出した。
 そして懐から銃を取り出し、それを掴んでいたミッシーの頭に向ける。
 ミッシーは「ヒィ」と息を詰まらせた悲鳴を小さく上げて、ホッパーとは対照的に顔が青ざめていく。
 そうだった、ホッパーは銃を持っていたんだ。
 まずいと思って助けを求めようとボスを横目で見れば、ボスは、驚きすぎて石になったように固まって怯えているだけだった。
 こいつは使えない。
 私だって、どうしていいのかわからないし、婆さんだし、戦える訳もなく、武器も何一つもってない。
 ちょっと何か設定しておけばよかった。
 この婆さんは実は武道家とか、くのいちとか、元モモレンジャーだったとか。
 何もできないのが辛い。
 まさかこのままミッシーが撃たれて死んでしまうこともありなんだろうか。
 登場人物誰も死なない設定なのに、そうなったら、この物語ハードボイルドになってしまうではないか。
 これただの恋愛小説として創ってたのに、もう私の創造を超えてしまっていた。
 だけどまだ自分の中の物語という気持ちが抜けなくて、おどおどしてしながらも絶対自分に有利な展開になると信じてこの状況をどうしたものかと落ち着いて考えてみる。
「ミッシーを放してくれないか。腹を立てるのはこの私だろう。その子には関係ないはずだ」
「腹を立てる? なんで私がお前のような婆さんにそんな感情を持ち合わせないといけないんだ」
 変にプライドが高いとトコトンかっこつけようとして、自分の非を認めないからやっかいだった。
 私はじっとホッパーを見つめていた。
 普段は冷静になおかつ冷酷に対処するホッパーが、ここで感情をあらわにしている姿もちょっと萌えかも。
 オールバックにしていた髪が乱れているところも、なんか必死な感じがしてかわいい。
 また普段かけてないメガネを身に着けているのも、ここではちょっと絵になっていいんじゃないかな。
 つい違う方向に行っては、こんな緊迫したシーンでも嘗め回して見てしまった。
「変な目をして何を見てるんだ」
 きっと気持ち悪くニタニタと笑っていたとも思う。
 ホッパーの眉根がぴくぴくとしては嫌悪感を抱いている。
 このホッパーなんだけど、敵でありながら、やっぱりリセに興味を持って惚れてしまうという、またここでも逆ハーのスタイルをとっている。
 だから私もまんざら、ホッパーの存在が悪くないと思ってるし、敵役の中でも大人びてキュウジにはない魅力を持たせている。
 スマートに悪をぶちまけるところが悪の美学として洗練されて、その部分に一人で悶えて喜んでしまう。
 だから、こんな状況に陥ってもあんまり真剣に捉えられずに、まずキャラクターを中心に見てしまう。
 その隣でミッシーが恐怖で震えているのが申し訳なかったが。
「とにかく、その物騒なものをしまってくれ」
「だったら、そのスマートフォンをこっちによこせ」
「これが欲しいのだったら、ミッシーを自由にしてからだ」
 こんな駆け引きをしていても、ホッパーのことだからそれに応えるフリはするだろうが、自分に有利に持ってくるために約束は守るような男じゃない。
 一応銃はミッシーの頭から離れたが、まだ右手にしっかりと持っている。
 ホッパーは殺し屋といっても、私の話の中ではそういう殺しのシーンは書いたことがなかった。
 ここまで自分が考えた筋からかけ離れると、この先この男がどう動くのかわからなくなってしまった。
「先に婆さんがそれをこっちに渡したら、この女を放してやる」
 私が近づこうとするとホッパーはミッシーを掴んだまま後ろにさがった。
「婆さんはこっちに来るな。それだけを投げろ」
「やだ、そんなに私を恐れないでよ」
 思わず、素で自分の言葉がでた。
 つい近くに寄りたかった無意識さがでてたのかもしれない。
 ちょっと触ってみたいなんて思ったのはあったかも。
「婆さんは何するかわからなさそうだ」
 その言葉で、私ははっとして新たなこの展開のアイデアが浮かび、持っていたスマートフォンをあさっての方向へ投げてやった。
 意表をつかれたその一瞬、ホッパーの手が緩んだのをミッシーは見逃さず、するりと腕から抜けることに成功する。
 ホッパーは、しまったとつい条件反射でミッシーに銃を向けてしまった。
 だが、その時私も無謀にもホッパーに飛び掛かり、持っていた銃を奪おうと躍起になった。
 それとも触れてやろうとかも思ってたかもしれない。
 だが、その時発砲音が大きく轟き、私は一瞬に青ざめる。
 それと同時に「キャー」というミッシーの悲鳴が聞こえた。
「ミッシー!」
 ボスの呼ぶ声も重なっていた。
 悲痛な悲鳴と、慌てふためく叫びが重なり合うと、急に背筋が凍った。
 えっ、まさかミッシーが撃たれた? そんな。
 私がびっくりしている隙にまたもう一度銃声音が轟いた。
 何が起こったかわからないまま、私がそこで見たのは逃げていくホッパーの後姿だった。
 もう一度、ミッシーの方を見れば、ミッシーは床に倒れこんでいた。
 その時、真っ赤な血が広がっていくように見えたのは気のせいだったのだろうか。
 そこから私も気が遠くなって何も見えなくなってしまった。
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