第一章
2
「ちょっと、リセ、待って」
息を切らせながら、私は本来自分がなるはずだったリセに声を掛ける。
リセは名前を呼ばれて振り向き、私を見るなり口をぽかんと半開きにして見つめた。
一応かわいいことはかわいいが、なんだかアホっぽく見えてしまったのは、本来の自分とはかけ離れたその姿を目の前にして、現実と夢の世
界のギャップを感じたのかもしれない。
一人夢心地のときは、全てが自分の作り上げた馬鹿げた空想で出来上がってるために大げさに作り上げてしまったのだろう。
リセはもちろん守ってあげたくなるような弱々しい女の子ではあるが、目の前にいるリセは消極的ではっきり言って頼りなさそう。
それプラス、なんかお馬鹿っぽい。
いやいや、これが自分の理想の姿だろうが! っとちょっと一人突っ込んでみてしまう。
だが、私は今婆さんでリセではない。
急に苛立っては悔しくなって、複雑な感情が渦巻きあった。
別の存在となってしまったが、自分で創った理想の自分の姿に嫉妬するのか、冷静になれないまま私はリセを恐ろしい形相で睨んでしまっ
た。
リセは戸惑い、瞳が左右に揺れながらどうしていいものか様子を探っている。
暫く私たちはお互いを見合わせていた。
私は自分の気持ちが絡み合いすぎて中々言葉がでてこなかった。
リセもまた時折り、声を出そうとして息が漏れて逡巡している。
そしてようやく、やっとの思いで声を出すように私に語りかけた。
「あの、何か、御用ですか? どうして私の名前をご存知なのですか?」
搾り出した怯えるような声を発しながら私を見つめ、どこか怖がっている。
それでも逃げないで立ち向かう姿勢だけは感じられた。
リセはお人よしでもあり、係わった人物には優しく接するのも一応設定していた。
彼女のことが手に取るようにわかる。
やっぱり目の前の彼女は私が作り出した分身に違いない。
そしてこの世界の私なのだ。
何かが狂ってしまったこの世界に、私は悲しくなり、さっきまでの形相が崩れ情けない顔つきになっていたのか、リセは首を傾け心配そうに
私を見つめていた。
優しくリセに見つめられる中、私は置かれているこの立場に失望してがっくりとうな垂れてしまった。
なぜ私はリセになれなかったのだろう。
そう思うや否や私は突然大泣きしてしまった。
「お婆さん、一体どうしたんですか? どこか具合でも悪いんですか」
リセはおろおろとしながら、優しく私の体に触れて労わってくれている。
ここも私の理想通りの優しいリセだった。
自分がなれなかったけども、やっぱりリセへの憧れは募っていく。
「ごめんね。あんたのことは良く知ってるんだ。それでつい声を掛けたくなってね。なんか感極まってしまって」
「もしかしたら、お婆さんは街角のキオスクでいつも座ってる方じゃないですか」
「そうだよ」
ここでは私は街角のキオスクで物を売る婆さんだから話を合わすことにした。
「私が誰かに似ていてるとかで、何かご事情があるんじゃないですか」
似ているどころか、あんたは私なんだよと言いたくなったが、素直に首を一度縦に振っておいた。
「私でよかったら、相談に乗ります。もし宜しければ、一緒にお茶でも飲みませんか。ちょうど、今日は仕事が休みで、買い物に行ってきたと
ころなんです。美味しいお茶を買ってきたんですよ」
リセは方に掛けたトートバッグから四角い缶を取り出してニコッと微笑んだ。
やっぱりいい子じゃないか。
これでこそ私。
私はこんな婆さんに転生してしまった以上、ここは目の前のリセに望みを託して、キュウジとくっついて貰えばいいのではないだろうか。
そしたら私も満足するかもしれない。
こうなったら二人の恋を応援してみよう。
ここではそうやって生きていくしかないのだろう。
リセがやっぱり自分のなりたかった女性だと確認できたから、私は婆さんでこの世界を過ごす覚悟が固まった。
「ありがとうね。遠慮なくそうさせてもらうよ」
もうやけくそで婆さんになりきった。
リセはにっこりと微笑み、優しく私の背中に触れると、彼女の住んでいるアパートへ案内してくれた。
リセはこの街のはずれに建っているビルの中の部屋をルームメイトと借りて住んでいるのだが、実際連れて行かれると私が設定した通りの場
所に住んで、そこには気の強いルームメイトのミッシーも居た。
ミッシーは髪がショートで、目つきが鋭いが、鼻筋が通ったキリッとした美人である。
やっぱりここでも基本的な見掛けの設定は私が作り上げたままになっている。
ミッシーはきつい事をたまにいうけど、リセが大好きで、何かと世話焼きなタイプである。
姐御肌なところがあるが、リセにとったら頼もしい存在で、二人はとても仲がいい親友ということにしてあるのだが、そこは全く私の作り上
げた通りになっているようだった。
私の存在だけがおかしくて、どうやら後はほぼ自分が作り上げた世界のままなのかもしれない。
私はミッシーをじろじろとみつめすぎたのか、ミッシーが居心地悪くなって目を細ませて私を訝しく見つめ返してきた。
「リセ、どうしたんだい、お婆さんなんか連れて来て」
「一緒にお茶でも飲もうと思って誘ったの」
「ふーん、またいらぬことに首突っ込んで変なことに巻き込まれるなよ。リセはお人よしだから、すぐに人を信じちゃうからね」
なんとも嫌味な奴。
自分で作り上げたとはいえ、いつもリセ視線でしか見てなかったら、第三者から見たらこんなにきついとは思わなかった。
「すまないね、ミッシー、勝手に上がりこんで。でも安心しな、迷惑はかけないから」
「リセからすでに私の名前を聞いてるのかよ」
リセはその時キョトンとしていていた。
自分はまだミッシーの事を何一つ言ってないと言いたげだった。
「とにかく、あんた達に会えて嬉しいよ。私はこの街のことには詳しくてね、大体のことは良く知ってるんだ」
「へぇ、婆さん、あんたなんかかっこよさそうだね」
口は悪いが、根はいい子らしい。
一応私もお気に入りのキャラとして、リセの手伝いを存分にさせるいい脇役として設定している。
即ち、私にとって理想の親友なのだ。
私が気に入らない訳がないはず。
私は親しみをこめて、ミッシーに笑顔を見せた。
皺くちゃな顔ではあるが、私の中では最大の好意を持った心を許した笑顔だった。
それが伝わったのか、ミッシーはあっさりと私を受け入れ、キッチンの真ん中にあったダイニングテーブルの椅子を引いて座れと差し出して
くれた。
「すまないね。遠慮なく座らせてもらうよ。よっこいしょ」
自分でもここまでなりきれることにも驚きだが、婆さんに転生してしまった以上、すでに自分の中で婆さんのキャラクターに染まってきたよ
うだった。
リセもミッシーもお茶の支度をしだして、次々と目の前にティーカップやクッキーといったお菓子をテーブルの上に並べていった。
時折、二人の笑い声がして、それをずっと観察していると、まさに自分が描いていた光景がテレビドラマのように再現されているようだっ
た。
こういう友達関係が理想だった。
知らずと口元が緩み、微笑みながら二人を和やかに眺めているだけで自分も幸せを感じていた。
これでよかったとは思えないけども、普段物語を作っていた世界には一応入り込めただけでも有難いことかもしれない。
後はどうやって、リセとキュウジをくっ付けたらいいものか。
そんなことをぼんやりと考えていると、ミッシーがテーブルに近づき、向かいに座った。
「婆さん、さっきからリセばかりみてるけど、なんか訳ありなんじゃないの?」
「まあね。その通りさ」
嘘をついても仕方がないし、ミッシーなら一度打ち解けた後は親身になる事がわかってるので、私は自分の友達に相談するように接した。
「もしかして、リセが自分の娘に似ているとか?」
「娘じゃないんだけど、自分の若い頃に似ているんだよ」
「えーっ!」
ミッシーは大きな声を上げて驚き、その後は大声で笑い出した。
「それって、将来リセが婆さんみたいになるってことじゃないか」
やはり思ったことをすぐに口にする奴だが、それでも不快にはならなかった。
「すまないね、年を取ってしまって。自分でもこんなになるなんて思わなかったんだよ」
私も開き直った。
「ミッシー、それはちょっと失礼よ。誰だって年は取りたくないんだから。でも私も年取ったらお婆さんみたいになりたいわ。だって、とって
もかわいいお婆ちゃんだもの」
ティーポットをカップに近づけて、リセは笑顔でお茶を注いでくれた。
「そうかい。年取っても私はかわいいかい?」
「ええ、若い頃はとても美人だったんだろうなって、あっ、その今もそうですけど」
少し失敗したと慌てながら笑ってごまかしていたリセだったが、このベタな展開があまりにも典型すぎて却っておかしくなってしまった。
私が思いっきり声を出して笑うと、リセもミッシーも顔を一度見合わせ、そしてくすっとしていた。
「婆さん、中々楽しい人みたいだね。そういえば、どっかで見たことがあるなって思ってたんだけど、もしかしたら街角のキオスクにいつも
座ってる人じゃないかい?」
「ああ、そうだよ」
熱いお茶に息を吹きかけながら、私はゆっくりとすすった。
今まで飲んだことがないくらい美味しいと思えるお茶だった。
「なんだ、そうだったのか。だったら早く言ってよ。この街では婆さんに世話になってる奴は一杯いて、その噂はよくきいてるよ。相談した
ら、いつも的確なアドバイスくれたり、そして何でも知ってるって言われてるじゃん」
「ほうーそうなのかい。それは有難いね。私もちょっとした存在じゃないか」
とりあえずは一目置かれているならば、少しは気晴らしになる。
婆さんは情報屋ということで詳しい設定はしてなかったが、自然とそういう流れになっていくのだろう。
ミッシーは益々私に興味を抱いて、瞳孔を大きく見開かせて体を突き出した。
「ねぇねぇ、バッフルってやっぱりやばいことしているって本当?」
突然ミッシーの口から出たその言葉に、リセは動揺していた。
「ちょっと、ミッシー」
リセがけん制を掛けるようにミッシーに向けた表情は、まずいことを語っているかのように顔を歪ませていた。
バッフルとは表向きは一般の会社だが、私の作った物語では影で悪いことをしている組織であり、キュウジ達を苦しめる敵である。
この街ではバッフルの影響力が強すぎて、誰もがその名前を聞くと口をつぐんだ様になって黙り込むものがあった。
下手に変なことを言えば、何が襲い掛かってくるかわからないと思われるほど、権力にものをいわせる支配者でもある。
キュウジはそんな組織から弱いものの味方になって、対立している。
よくある設定ではあるが、そこが正義の味方でかっこいい存在であり、私が惚れる姿なのだ。
「うーん、そうだね。そうではあるとは思うけど、とても巧妙にずる賢く動くから中々尻尾がつかめないらしいね」
ここで私の作り上げた設定を詳しく言うよりかは、少しほのめかして、この婆さん役を楽しんでもいいかもしれない。
雰囲気を作りながら、意味ありげにミッシーに目でコンタクトをとってみた。
「やっぱりそうか。実はさ、私の店にそこの関係者らしい奴らがきてさ、えらっそうな態度だったのよ。でもボスも文句も言えず、ひたすらヘ
コヘコしてるだけ
で、手土産までもたせてんの。なんかあるなって睨んでたんだけど、ボスはその後、訊いても何も言わなくなってさ、一人でもやもやしてたん
だ。まだ酷い被害 はないけども、なんか嫌な気分でさ、腹が立ったんだ」
ミッシーの働いている店は絵画や美術品を扱い、ミッシーはそこでは目利き役として鑑定をしている。
彼女は鋭い観察力と記憶力の良さを持ち、また度胸の良さと自慢の運動神経で、後にキュウジの仕事の手伝いをすることにもなる。
それはリセがキュウジと付き合っている時、リセが危ない目に遭うことでミッシーも一緒になって助けるという筋書き。
それは物語にメリハリをつけるイベント的な要素だった。
そこがまたリセとキュウジの絆が深まるようになる盛り上げ要素でもある。
でも、今の状態ではまだリセはキュウジの存在すら知らないし、キュウジもリセが好みではないとも言っていた。
一体この部分はどうなっているのだろうか。
まだ私が作り上げた物語は始まっていない。
どうやら、この世界の設定は自分が作ったままだけども、リセとキュウジがくっつくように私が操作しなければならないようだ。
全てのことを知る私が動かなければ、物語は自分の創造した通りにはならない。
なんとも面倒くさいことになったものだ。
ここへ来たからには、二人には是非ともくっついてもらわなければならない。
「どうしたんだい、婆さん。なんか考えこんでいるようだけど、バッフルについて何か知ってるの?」
「ミッシー、やめなよ。暗黙の了解で、ここではその会社の名前を大きな声で言うのはタブーなの知ってるでしょ」
「どうしてだよ。皆恐れすぎ。ああいう組織こそ、この世界では必要ないし、悪の権化じゃないか。警察だってあいつらには甘いしさ、支配さ
れてやりたい放題
されてるのに腹立たないのか? ほんとやっつけたい奴らだよ。そういえば、ほら、どこぞの有志たちも始末しようとしているじゃないか。な
んていったっけ な、あのグループ……」
「ピッチフォーク……」
私の口から自然とこぼれた。
「やっぱり婆さんはそういう情報に詳しいね。そうそう、ピッチフォーク。あいつらは私達市民の救世主だよ。一体どんな人たちなんだろう。
婆さんそういうのは知ってる?」
もちろん知ってる。
ピッチフォークとはフォークの形をした農具の名前だけど、わら草や落ち葉なんかを片付けるときに用いる。
ぐさっと差し込んでその後は放り投げるという部分があるので、要らないものを始末する意味で命名した組織名だった。
キュウジがそのメンバーの一人であるし、何せ私が生み出したんだから、誰よりも詳しい。
しかし、その正体は秘密であり、バッフルもキュウジ達を探そうと躍起になっている。
ここで私がそれをばらす訳にはいかない。
「さあ、詳しいことは知らないけども、向こうからは情報集めに何かと私には近づいてはきてるかもね」
とりあえずお茶をすすって、まさにお茶を濁した。
「ねぇ、もうこういう話はやめましょう。それより、お婆ちゃん、お菓子も食べてね。私が焼いたのよ」
ちょうどリセが話題を変えてくれた。
クッキーが乗ったお皿を私に差し出し、優しく微笑む。
形の整ったクッキーは焼き加減もちょうどいい具合に焼けている。
リセは料理が得意だった。
そこは全てにいい女と呼ばれる条件を詰め込んでいる。
そしていつの間にか、私のことを親しみをこめてお婆ちゃんと呼んでいたことに気がついた。
そういえば、この婆さんの名前は設定してなかった。
まあ、いいかとその辺は気にすることなく、リセから差し出されたクッキーを一つ手にして、口に入れようとした。
その時、不意にぐらっと揺れて、黒い靄が
一瞬目の前に現れたような気がした。