第一章
3
私は持っていたクッキーを落とし、咄嗟にこめかみを押さえてしまった。
「どうしたの? お婆ちゃん」
「おいおい、婆さん大丈夫かよ」
自分でもわからない。
急にめまいを起こして、視界が歪んだように見えた。
黒い靄が見えたと思っ
た場所をもう一度見てみれば、何もおかしいところはなかった。
頭が痛くなったときに感じた錯覚なのかもしれない。
よく考えれば、自分は婆さんでかなりの年を取っている。
その辺の老いというものがあるのかもしれない。
まさか、ここでの私の人生は短いのだろうか。
折角自分の作り上げた世界に来ることができて、動くキュウジや理想の自分であるリセも目の前にいる。
自分がリセにはなれなかったけれども、どうせなら、やっぱり二人がくっつくところまで見てみたい。
ここで、くたばったらもったいないじゃないか。
私はぐっと体に力を入れ、そしてテーブルの上に落としてしまったクッキーをもう一度手に取りそれを口に入れた。
むしゃむしゃと無言に食べてる姿を二人は心配そうに見ている。
噛み砕いたクッキーを咀嚼して、ついでにお茶を流し込み、思いっきり笑顔を見せた。
「旨いね。もう一つ頂こうかな」
またお皿に手を伸ばしてクッキーを掴んだ。
「お婆ちゃん、無理しなくてもいいのよ。なんか具合でも悪いんじゃないの?」
リセは心配でたまらないように、目を潤わせてじっとみていた。
「いやいや、大丈夫大丈夫。ちょっと手が滑っただけさ。それよりも、リセ、今好きな人とかいる?」
「えっ?」
少し唐突すぎただろうか。
リセはいきなり話を振られて困惑していた。
自分に残された時間が決められているのなら、私はすぐに行動を起こさないといけない。
直接リセをキュウジに紹介して、とにかくまずは面識を持たせない事には始まらない。
「おいおい、婆さん、いきなりすごいこと訊くな。この子はかなり奥手でさ、私も色々と紹介をしようと思うんだけど、なんか男に対して免疫
がないから、いつもそういう話は嫌がるんだよ」
そうそう、リセにとってキュウジは初めて好きになった人で、それから一途に思い続けていつまでもラブラブという設定なのだ。
リセは口をへの字にしてミッシーを咎めている。
その後はどうしていいのかわからないままに、落ち着きない様子で目の前のカップを無意識に触っていた。
こんな話題でも戸惑うその姿は自然で、それは誰が見ても天然ものだった。
恥ずかしがっているのは無垢くの証し。
純粋さはリセの売りでもある。
いいなこういう子は、やっぱり。
一人で感心している場合でもないけど、キュウジはこういうところを含めてリセにお熱になる設定だけに、ちょっと自分でも興奮を覚えるよ
うだった。
この状況に慣れてきたら、目の前のリセを応援したくなってきた。
キュウジと恋に落ちてくれたら、それで自分も成就できる。
すっかり、自分の役割を理解し、お節介な婆さんでも満足する気分になってきた。
「私は無理に好きになれないだけ。近づいてくる男性なら結構いるけど、私は好きになれないの」
そうそう、リセはモテて逆ハーレムの設定も作っていた。
しかし、沢山の男性が近づこうとも、リセにとったらキュウジ一筋なのだ。
キュウジに会わせたらきっと、二人はすぐに恋に落ちるはず。
「実はさ、いい男がいるんだけど、私もその人にぞっこんでさ、できたらリセのような女の子とくっついて欲しいなって思ってるんだ」
「なんだよ、婆さん。リセが自分の若い頃に似てるからって、そこで自分の好きな男とくっつけて満足しようとしてるのかい」
ミッシーはするどい。
全くその通りなので、私は口に入れてたクッキーでむせてしまった。
「お婆ちゃん、ほら、お茶を飲んで」
リセは慌てて椅子から立ち上がり、優しく背中をさすってくれた。
「す、すまないね」
「ははーん、図星か。へぇ、一体どんな男なのか、興味でてきちゃった。リセ、これは一度会わないと。なんか面白そうじゃん」
ミッシーは物分りがよく、私の思う方向へと持ってきてくれるところが嬉しい。
「リセ、お願い。一度会ってみてくれないかい。悪いようにはさせないから。お願い!」
私は必死に訴えた。
「えっ、でも」
私の懇願する思いを汲み取ると強く断りきれない様子で、リセは半ば人助けだと思うことで承諾してくれた。
「会うだけならいいけど、でもほんとにそれだけだよ」
「ありがとう、リセ」
一歩自分の希望する世界に近づいた。
ここから、リセとキュウジの恋物語が始まろうとしている。
私は婆さんになってしまったけど、この二人をくっつけることがこの世界での役目なんだ。
今となっては意地もでてきて、やる気に燃えてきた。
絶対二人をくっつけてやる。
私はまたクッキーを手にして、パクパクと食べた。
その姿を面白そうに見ているミッシーに対して、リセはこの先のことを考えているのか不安そうにしている。
その不安も喜びに変わるんだとはっきりと教えてやりたいが、そうやって恋することに怯えるリセもなんだかキュンと乙女心がうずいてく
る。
自分に酔ってる感覚になるのだろうか。
物語をノートに書いているような、あのときの興奮がまた蘇ってくる。
実物が目の前で自分の思うように動いてくれるのも悪くはないもんだ。
キュウジとリセが上手くいってくれたら、もう婆さんでいいわ。
後は二人を見守って、第三者としてキュンキュンさせてもらう。
お茶を全て飲み終わって静かにカップをソーサに置いた。
「さて、リセ、行こうか」
「えっ? 今から? そんなまだ心の準備も、何も」
「それでいいって。自然なままのリセが一番魅力的だから。もうちょっと自信を持ちなさい。あなたはとてもかわいい女の子なのよ」
私が立ち上がってリセの手を取って引っ張った。
リセは助けを求めるようにミッシーを見つめたが、ミッシーは私サイドにいて、いたずらな笑みを浮かべて笑っている。
ミッシーはこういうプロジェクト的な事が好きなのだ。
お節介を焼いては、リセを引っ張っていく存在。
ミッシーの事も手に取るように読める。
こういう部分はスムーズに自分の意のままに動いてくれる。
「さあ、ミッシーも手伝っておくれ」
「もちろん」
立ち上がったミッシーにも腕を引っ張られ、リセは有無を言わされずに私たちの思うままに行動するしかなかった。
私もこれから起こることに期待を寄せて、口元が自然と上向きになっては、ニヒヒと笑ってしまう。
早く二人のラブラブを見てみたい。
キュウジだって、リセと実際面と向かって会えば無条件にすぐに惚れるはず。
あの時は、はっきりとリセの良さが見えなかっただけに違いない。
キュウジの居る場所は心得ている。
仲間が集まる店に集まっているはずである。
その場所も、私が設定したから絶対に見つけられる自信があった。
私は今後の展開に期待した。
この世界では私は神なのだ。
なんだか笑わずにはいられなくなって、高らかに声を上げて、これから作り上げるこの世界に狂喜した。
「おいおい、婆さん大丈夫かよ。落ち着け」
ポンとミッシーに背中をたたかれたとき、また目の前に黒い靄が現れ、一瞬だけぐらっときたような気がした。
しかし、それは気のせいかもしれないと思えるほどだったので、すぐに元に戻った。
もしかしたら、この世界での寿命は本当に短いのかもしれない。
少し焦る気持ちが、却って失敗は許されない切羽詰った感覚を呼び起こさせた。
とにかく、キュウジに早く会わなければ。
私は、リセの顔をじっと見つめ、この恋がうまくいくように願った。