第一章


「何考えてるかわからなさそうな男だね」
 店を出るなり、ミッシーが呟いた。
「でも、悪い人には見えなかったわよ。癖はありそうだけど」
 リセはオレンジを顔に寄せて香りを嗅いでいた。
 これはまだ顔を合わせただけに過ぎない。
 あんた達とはとても係わり合いが深くなって、家族同然のような付き合いになるんだよ。
 言ってやりたかったが、ここは大人しく見ておくに限る。
 話は先の先まで知ってるだけに、今の状態ではもどかしいが、この出会いの初期の部分も新たな新鮮さがあってわくわくしてくる。
「ジェスは信頼置ける人さ。そのうちあんた達も気に入るさ」
 自分も重要人物として皆と絡むことができるのなら、この婆さんのポジションもそんなに悪くない。
 キュウジといちゃいちゃできないのは残念だけど、目の前のリセが私の変わりとなって私の思うように動いてくれたらある程度は我慢でき る。
 婆さんになってしまってどうしようもないんだから、それで満足するしかない。
「さあ、あんた達、次行くよ」
「えっ、次、どこへ行くんだよ」
 ミッシーは疲れたと言わんばかりだった。
「何言ってんだい。キュウジを探すんだよ。早く来なさい」
 ミッシーは不満たらたらな顔つきになりながらリセを見るも、リセはただ笑って文句もなく私の後をついてこようとした。
 それを見て、ミッシーもその後は不平を言うことはなかった。

 私の創った話では、ある建物の陰からキュウジが飛び出して、その時リセとぶつかり、リセが派手に尻餅をついてしまうという展開にしてい る。
 キュウジは申し訳なくなり、ひたすら謝りながらリセの手を取って起こすのだが、リセは気遣って笑顔を見せているうちに、キュウジが一目 ぼれするという、単純な出会い。
 このとき、本当ならリセは一人でここまで買い物に来ていていたはずである。
 私がここに婆さんとなって来たことで多少の違いが出てきたが、筋さえ合えば問題ないとは思う。
 私の思い通りになるのなら、キュウジはきっとリセとぶつかるはずである。
 あの先の角から飛び出してくるキュウジを想像しながら、私はリセをそこに立たせようとした。
 その時、リセはショウウインドウのかわいい展示品に目をやり、そこへ近づいてしまった。
「ちょっと、リセ、そっちじゃなくて、こっち。ここ、ここに来て」
 私が希望する場所に立ったそのときだった、角から急に誰かが飛び出して私ともろぶつかってしまった。
「ええ!?」
 驚きとともに、私はよろよろとしてどしんと尻餅をついてしまった。
 痛いと思っていたとき、目の前に立つ人物を見てびっくり。
「キュウジ!」
「あっ、婆さんじゃないか。すまない。大丈夫か」
 うそっ!? ちょっと待ってくれ。
 あれ、なんで私がぶつかってこけてるんだ。
 もちろん、それは私が望んだシチュエーションではあるが、ぶつかるべきはリセであり、この婆さんではない。
 でもキュウジが手を差し伸べてくれている。
 私は本能のままその手を掴んだ。
 これがキュウジの感触。
 ああ〜
 しばし満足感を得た。
 が、ちょっと、これじゃない。
 嬉しいのに、どこか狂ってしまった。
 困惑しながら、キュウジに引っ張られて起き上がってると、リセとミッシーが心配して駆けつけてくれた。
「婆さん大丈夫かい。おいおい、もっと前を確認してから曲がれよ」
 ミッシーはキュウジを責めていた。
「悪い、悪い、ちょっとある人物を追いかけてさ、急いでたんだ。婆さん、怪我ないか」
 私はすっかり放心状態で、この状況に戸惑っていた。
「お婆ちゃん、どうしたの、どこか痛いの?」
 リセが過度に心配している。
 私はリセを見つめ、そしてキュウジを次に見た。
 二人はここでは運命的な出会いをしなかった。
「婆さん、ほんとに大丈夫か。俺のせいですまないな」
「いや、そ、それはいいんだけど、でもその、あの、あれ?」
「お婆ちゃん、怪我してない?」
 リセも心配してくれてはいるのだが、私にばかり気を遣って全くキュウジを見ていない。
 キュウジも年老いた婆さんとぶつかって地面に倒してしまったことで、酷く申し訳ない顔をして、落ち着かないでいた。
 そんなときにリセの存在にかまけてられるはずがなかった。
「あ、あ、ああー」
 私も気が動転して、ただ奇声をあげるだけだった。
「婆さん、もしかして頭打ったんじゃないのか。どうしよう、俺」
 あまりにも心配しているキュウジの顔を見ると、私の方が申し訳なくなってきた。
「違う、違うったら、キュウジ、私は大丈夫だから、心配しないで。私が悪いの。こんなところにぼーっと立ってたんだから。キュウジこそ大 丈夫だった? ほんとごめんなさい」
 婆さんだということをすっかり忘れて、素の自分が出て謝ってしまった。
「婆さん……?」
 キュウジは目をパチパチとなんどもしばたたかせて、私をじっと見ていた。
 これこそ、私が想像していたその通りのシチュエーションで、喜ばしいながらも、はっと自分が婆さんであったことを思い出すと、しゅんと しぼんでしまった。
 この感情の変化が慌しすぎる。
 しかし、そんな意気消沈している暇はない。
 リセをキュウジとくっつけなければ。
「そうそう、キュウジ、いいところであった。この子、リセっていうの」
 急に紹介されて、キュウジは戸惑いながらリセを見た。
 リセもキュウジに見られて、どう対応していいのかわからずきょとんとしている。
 キュウジの声にならない息が漏れた音だけが発せられ、そして軽く首を動かした。
 リセも一応はそれに答えようと、同じく首を動かす。
 二人は見詰め合ってはいるが、別にこれといった反応はなく、何も変化は起こらなかった。
 なんで、何も起こらないの。
 キュウジは面と向かったときリセに一目ぼれするはずなんだけど、どうもその兆候が見られない。
 どうして。
 本能的にこれはやばいと判断すると、急に血の気が引いていくのが感じられた。
「へぇ、あんたがキュウジか。なるほど婆さんが気に入るのもわからないでもないな。しかし、どこかワイルドだね」
 ミッシーがじろじろとキュウジをみて、不躾に言った。
 キュウジはミッシーの気取った態度が鼻についたのか、嫌な顔を見せていた。
「なんだよ、お前」
「私はミッシー、ただの付き添いなだけ。なんでもさ、婆さんがキュウジとリセを会わせたいって言い出して、それでついてきただけなの。婆 さん、あんたとリセをくっつけたいんだって」
 なんでもはっきりというミッシーはこんなとき、マイナス効果だった。
 キュウジが「はあ?」と不快感たっぷりの顔をしている。
「キュウジ、あのさ、その」
 私がこの場を取り繕うとしたとき、ミッシーは面白がってまた口を挟んだ。
「なんでも、婆さんがあんたにぞっこんで、そこで自分の若いときに似ているリセとくっついてもらえば嬉しいんだと」
 ミッシーにとったら悪気はないので、この場を和ませようとしただけにすぎない。
 でもそういうことはキュウジに言っちゃだめ。
 キュウジにもプライドがあるし、人から言われたら反発してしまう性格だけにこれは逆効果だった。
 私は恐る恐るキュウジの反応を見た。
 キュウジは苦笑いになりながら、私を諌める。
「婆さん、すまないが、俺はそういうのに興味がないんだ」
 やっぱり。
「でもキュウジ、リセはいい子なんだ」
「いい子でも、無理に紹介されても、俺困るしさ」
 そしてリセの方を向いた。
「という訳で、すまないが、他をあたってくれ」
 これに対してリセもむっとしてしまった。
 リセにとったら私の顔を立てるためだけに来ただけなのに、こんな風に言われたらやはり気持ちのいいものではない。
 私は慌てて弁解した。
「キュウジ、これは私が勝手にやってることで、この子には何の罪もないんだ」
 自分の理想と全くかけ離れてしまった。
 これではキュウジとリセが恋に落ちるどころか、心証が悪くなってしまった。
「あーあ、婆さん、二人の相性は悪いわ。残念だけど、私もこの男にはリセを任したくない」
 またはっきりとミッシーは言ってくれた。
「おいおい、俺のこと見下してるみたいだな」
「キュウジ、違うの、落ち着いて。全て私が悪いの」
 前に出ようとしていたキュウジの体を押さえ、私は必死に謝った。
「婆さん、もういいよ、落ち着けよ」
 私の潤んでいる瞳を見て、キュウジは焦りだした。
「それよりも、婆さん、ほんとにどこも怪我してないか?」
「それは大丈夫」
「そっか、それならよかった。でも……」
 キュウジは少し考える風にして私を見つめた。
 もし私が婆さんでなかったら、素直に喜んだけど、釣りの合わない姿なだけになんだか切なくなって目をそらした。
 その時、また角から誰かが飛び出してきた。
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