第一章


 ボスがいそいそと入り口のドアに近づいて勢いよく開けた。
「お待ちしてました。さあさあ、入って下さい」
 その言葉に促されて、一人の男が木箱を抱えて入ってきた。
 スーツを着たきっちりとした身なりで、背筋をぴんとはって、歩き方がきびきびとしている。
 髪はオールバックにして、メガネをかけてまじめなビジネスマンの風貌だが、髪形もこのときのためにあのようにしており、めがねも伊達に違いない。
 軽く変装してのお出ましだった。
 あの男はバッフルが頼りにしている凄腕の殺し屋で、通称ホッパーと呼ばれている。
 左の懐が少し膨らんでいるように見えるのは、あそこに銃を隠し持ってるからだ。
 敵役ながら、やっぱりハンサムにしてあるのだが、いや、実際目にしてみると、中々様になってかっこいい。
 そんな悠長なことを言ってる場合ではないとはわかっていても、まずは自分の創った世界が形になって現れると、オタクの気質の方が先にでちゃう。
 ボスはひたすら腰を低くしながら、奥の商談の場所としてソファを置いてあるところへ案内していた。
 ホッパーがソファーに腰掛け、その前にボスも座り、私とミッシーは少し離れたところで二人のやり取りを見ていた。
 木箱をローテーブルにそっと置き、ホッパーは大人しく座っている。
 ボスが中身を拝見する前に白い手袋を身につけ、そして何か一言声をかけては恐る恐る箱の蓋を開けた。
 中からは金色に輝く古代エジプトの置物が出てきて、それを震える手でボスが持ち上げた。
 大きな木箱に対して、中のものは小さく手のひらにのせられるサイズだった。
「素晴らしいお品でございますね」
 その美しさに魅了されたボスのため息が何度も漏れ、その価値に取り憑かれているのが離れていてもよく伝わってきた。
「では、鑑定させて頂きます」
 許可を貰うと同時に、ボスはミッシーを呼びつけた。
 ミッシーもまた知らない間に手袋をしていてすでに準備をし、その目つきも鋭くすっかりプロの姿になっていた。
 ここでミッシーは本物だと鑑定するのだが、アレはまさしく本物である。
 それは私もわかっているのだが、何が問題になるかというと、入っていた箱なのである。
 あの箱は二重底になっていて、その中に麻薬が仕込まれている。
 バッフルがこの美術商を落としいれようと仕組んだ罠なので、美術品はもちろん本物じゃないと意味がない。
 そればかりに気を取られているために、まさかその箱に仕掛けがしてあるとはミッシーもボスも気づくはずがなかった。
 ミッシーは一通り見回すと、それをそっと箱の中に収めた。
 目で合図しただけでボスに知らせ、ミッシーは軽くお辞儀をしてまた私のところへと戻ってきた。
「あれはまさしく本物だ。すごい代物だ。ボスが興奮するのも無理ない。しかしよくここへ持ってきたもんだ。オークションに掛ければコレクター が競いあって高く売れるというのに」
 ミッシーは独り言のように呟いていた。
 奥では商談の話が聞こえてくる。
「ほんとうにこれをそのお値段でうちが引き取っていいのでしょうか」
「はい。こちらはとても信用の置けるところですし、顧客もきっちりとされた方が多いとお聞きします。金銭の問題ではなく、大切に扱って下さる人にお譲りしたいのです」
「そこまで言って下さると嬉しい限りでございます。ありがとうございます」
 このままでは商談は成立してしまう。
 架空の名前と会社名を名乗っているホッパーがこの店を出てしまったら、もう尻尾はつかめない。
 この後嘘の情報を吹き込まれた警察がここへきて、麻薬を見つけてしまう。
 そしてあの美術品の出所は、裏取引でボスが仕入れたことになっていて、あの麻薬も陰で売りさばいていることにされて、この店の信用はがた落ちになるように仕組まれている。
 ボスは警察に逮捕されてしまい、この店の商品はバッフルが手を回した業者によって持っていかれそうになり、それを阻止しようとミッシーが抵抗して、その時放り飛ばされて怪我をしてしまう。
 怪我をしたミッシーを見てリセが心配し、そしてキュウジに相談することでピッチフォークが解決しようと乗り出してくる。
 色々と調べればバッフルが一枚噛んでいることを知って、そこで雑魚を捕まえることで全てを吐かせて真相を知るのだが、バッフルものらりくらりともみ消して、結局は上手く交わされてしまう。。
 その後、捕まったボスの嫌疑はとけても、世間はそう簡単には処理してくれない。
 風当たりが強く、かなり苦労してしまうのだが、バッフルの言いなりにはならないと立ち向かう決心をすることで、同じ思いでバッフルに支配されている店のオーナーが共感して一致団結し、正義の味方のピッチフォークを陰ながら支援するという筋書きとなっている。
 私が創った話の筋ではあるが、ちょっとドラマティックな要素も入れて、ただキュウジと愛を語り合うだけの世界にはしてない。
 話のメリハリがなければ、愛しあっていてもマンネリ化してしまうし、何かがあってこそ、燃える境遇に置かれる。
 またホッパーも敵役の中では魅力を持たせ、結局は私好みのいい悪役になっては行くのだけども、でもこのときはまだ残酷さの方が目立つ。
 ホッパーがどう動いてくれるのか少し不安もあるし、また、リセがキュウジと付き合っていない以上、私が創った話の通りにはならないんじゃないかと思えてきてしまった。
 リセがキュウジにまだ恋に落ちてないし、今キュウジの正体を先に知ったら益々慄いて引いてしまわないだろうか。
 そしたら、折角盛り返してきたのに、また一歩ラブラブの道から遠ざかってしまう。
 このままではダメだ。
 そう思うや否や、私は声を張り上げていた。
「ちょっと待った!」
 誰もが私を見て、何事かと驚いていた。
 みんなの注目を浴びたはいいもの、この先のことを何一つ考えてなかった。
 どうしようと思いながら、一瞬、しまったと思ったが、リセとキュウジをくっつけるためにもなりふりかまってられなかった。
「おいおい、婆さんどうしたんだよ。いきなり声張り上げて」
 ミッシーが突然の私の行動に戸惑い、それ以上何もしないように体を拘束しようとした。
 私はそれを払いのけ、ホッパーの方へと向かった。
 もう後には引けない。
「ちょっと、婆さん、どうしたんだね」
 ボスも立ち上がり、私を奥に引っ込めようと無意識に手が出ていた。
 それも跳ね除けて、私はソファに座っているホッパーを見下ろした。
 ミッシーも側に駆け寄り、ボスと一緒におろおろしているが、私が面と向かってホッパーと対峙していることですでに成り行きを見守っていた。
「あなたはなんですか?」
 ホッパーは出来るだけ優しく語ろうとしているが、メガネの奥の目は全く笑っていなかった。
「すまないが、この件はなかったことにしてもらえないかい。その箱もさっさと持って帰ってくれないか。そして二度と変な取引をここに持ってこないで欲しい」
「ちょっと、婆さん!」
 ミッシーが我慢しかねて叫んだ。
「おいおい、一体この婆さんは何をするつもりなんだ」
 ボスも、路頭に迷った子供みたいに慌てふためいていた。
 そんな騒がしい周りのことなど気にせず、ホッパーの目が鋭くなって私をにらみつけていた。
「一体何の権限があって、あなたは私にそのようなことをおっしゃるのですか」
「権限? それは大いにあるんだよ。説明してもわかってもらえないだろうけど、とにかくその箱は持って帰ってくれ。それは呪われて、それを持っていると不幸になる」
「何を馬鹿なことを。いくら古代エジプトのものだからといって、そんな呪いなど迷信だ」
 ホッパーは馬鹿らしいとここで乾いた笑いを見せた。
「ちょっと、婆さん、落ち着いて。ああ、すみません。この人、この店には関係ない人なんです。年寄りで少しぼけてるみたいで」
 ボスがその場を取り繕うとして、好き勝手に言っていた。
「ミッシー、カメラを持ってないかい?」
「カメラ? 婆さん、こんなときに何を言うんだ?」
「いいから、カメラ出して」
 ミッシーは仕方なく言われた通りに、自分の持っていたスマートフォンを取り出した。
「で、どうしろというんだよ」
「皆で記念写真だ」
「はあ? ちょっと婆さん、ぼけるのもいい加減にしな。怒るよ」
「いいから、ミッシー、この人とこの箱を一緒に撮るんだ。この人が持ってきたという証拠を残して」
「何で、そんなことを」
「いいから、早く」
 ミッシーはしぶしぶとして、写真を撮ろうとしたとき、ホッパーは立ち上がった。
「ちょっと、からかうのもいい加減にして下さい。私はここを信頼して良かれと思ってこの話を持ってきた。それなのになんですか、この扱いは」
「どうもすみません。あの、ちょっと待って下さい。この婆さんを追い出しますから」
 ボスは私を取り押さえようとしたが、私はそれを交わしてすばやく木箱を手にした。
 ホッパーの瞳が一瞬大きく見開き、その木箱を条件反射で取り返そうとして、それに手を掛けた。
「ミッシー、今だよ。写真撮って」
 ホッパーが木箱を取り返したその時、パシャッという音が聞こえた。
 ホッパーははっとしてミッシーの手元のスマートフォンに視線をやると、それを奪おうと突進してきた。
 運動神経のいいミッシーはすぐさま、後ろにジャンプして逃げると同時に、ホッパーは勢い余って前屈みになる。
 バランスを崩しそうなところを立て直すものの、その反動で抱えていた木箱を床に落としてしまった。
 無残にも美術品は中から飛び出してコロコロと転がり、ボスもミッシーも「ああ!」と叫んでいたが、木箱から、白い粉が入った袋が顔をのぞか しているのに気がつくと、瞬時に黙り込んだ。
 その場にいた者全てがはっとして、一瞬時が止まったように、誰も動くものはなかった。
「一体これは」
 ボスが不意に呟いたとき、さっきまで漂っていた静寂さが引き裂かれるように、突然鋭い悲鳴が上がった。
inserted by FC2 system