第二章
5
「心配するなって言う方が無理があるけど、私はとにかくお婆ちゃんの意識が戻るって信じてるから、ミッシーもそんなに思いつめないでね」
「わかってる。ありがと、リセ」
アパートについてから、私はリセが入れてくれたお茶を飲みながら、テーブルについてボーっとしていた。
ボスは送り届けてくれた後、婆さんのことは病院に全てを任してあるからと何度も言ってから、帰っていった。
私が混乱している様子を見て、婆さんの事が気がかりで気を落としていると思われていた。
だけど、婆さんには申し訳ないが、今は捩れてしまったこの状況の方が大問題で、自分はどうするべきなのかわからないから、気持ちが塞ぎ込んでしまっている。
自分の気持ちに素直になったら、全てが変わってしまい、かといってリセとキュウジをどうくっつけてよいものかもわからない。
そこにスカイラーが係わってきてるだけに、モヤモヤして落ち着かない。
リセはそんなこととは知らずに、婆さんのことを心配しながらも、気丈にも私のために明るく振舞おうとしていた。
その姿が痛々しいのだけれども、リセは自分を押し殺してでも無理をするところがあるように設定しているので、言ったところでどうしようもないと思って何も言わなかった。
「スカイラーがね、犯人は必ず見つけるって言ったの。でも危ないからそれは警察に任した方がいいと思うっていったら、ピッチフォークが後ろについてるから大丈夫とか言ってた」
スカイラーの奴、簡単にピッチフォークの情報をリセに吹き込んで、もう、これだからあの男は軽い。
気さくで明るくていい奴ではあるんだけど、今はイライラが募ってしまう。
「スカイラーは元気つけようと、話題の名前を言ったに過ぎないだけさ。そんなの本気にしちゃだめ」
「そうだよね。スカイラーは大げさに言ってるだけだよね」
「そうそう。ああいう男には気をつけるんだよ。やっぱりリセには、ぐいぐいと引っ張ってくれるような逞しい男の方がいいから」
「そうかな」
「婆さんも言ってたけど、リセはキュウジとお似合いだよ」
「えっ? いきなりどうしたの? ミッシーがそんなこと言うなんて…… でも私の目にはミッシーとキュウジの方がお似合いに見えたんだけど。
キュウジだって、ミッシーに気があるように見えたのは気のせいなのかな」
「リセ! なんてこといってくれるのよ。キュウジはリセとの方がお似合いなの。キュウジは絶対リセを好きになるの!」
私は心配していることをつつかれて、ムキになってしまった。
リセは私がむきになって叫んだことに驚きすぎて、言葉を失っていた。
「あっ、ごめん、なんかあいついい奴だってわかったし、婆さんの希望をちょっと主張してみたくなったんだ」
リセは全てを察したと言わんばかりに、にこっと笑って受け流してくれた。
それに合わせて私も苦笑いになりながら、無理して笑っていたときだった。
リセのスマートフォンの音楽が聞こえてきた。
無造作に床に置きっぱなしにしていたハンドバックを手に取り、テーブルの上に置いて中からスマートフォンを取り出した。
リセの顔が瞬時に強張り、そして私を見つめた。
ミッシーである私は何が起こったかすぐに把握した。
リセからフォーンを奪い、表示されている名前が”ミッシー”となっていたのを確認すると、急に喉がからからに渇いて声も引っかかったように思えた。
この名前で電話を掛けて来るのは、ミッシーの電話を持っている奴しかいない。
ごくりと唾を飲み込み、慎重に受信ボタンを押して、それをゆっくりと耳に当てた。
「もしもし」
ミッシーのフリした私が答えると、ざわざわとした外の騒音が聞こえてくるだけで、応答がなかった。
「もしもし、聞こえているんでしょ。私の電話を返してよ」
「あの時の鑑定士か」
低い声が不気味に聞こえた。
やはりホッパーだった。
「そうよ」
「君が取ったってことは、このリセという友達と一緒なんだな。それとも一緒に住んでるかだ」
登録先の電話番号と名前を見られている。
きっともっと隅々と調べて、色々なものをみているのだろう。
「あんたには関係ないはず。とにかく証拠さえ消去したら、それは用なしなんでしょ。だったら返してよ、ホッパー」
「……なぜ俺の名前を知ってる」
棘棘しい声だった。
あっ、しまった。
私はホッパーの名前を知らないはずなのに、つい口が滑っていってしまった。
私が答えに困っていると、唐突にブツリと電話が切れた。
そのとたん私は壊れたように慌てだした。
「リセ、リセ、今すぐ荷物をまとめるんだ!」
「どうしたの、ミッシー?」
「あの殺し屋がここに来るかもしれない。逃げるんだ」
「えっ、嘘、でもどこに逃げるの?」
「ジェスの店だ。あそこに行けば、きっと助けてくれる」
数日分の着替えや必要な身の回りのものを、即座にスーツケースに詰め込みだす。
ホッパーが今すぐここへ現れるかもしれない恐怖に、私とリセは無我夢中で荷物をつめて、慌しくアパートから脱出した。
表通りに出れば、夜の客を拾おうとタクシーが沢山走っていた。
私とリセはすぐさまその一台を捕まえ、ジェスのあの店へと向かった。
タクシーに乗っている間は怖くて私もリセも一言も話さず、ただ無事にジェスの店へと到着することを願っていた。
噴水広場でタクシーを降りてからは、怪しい人物がいないか警戒しながらジェスの店を目指す。
昼間の活気ついた雰囲気と違って、夜は静寂さが漂い、薄暗さの中で時折人影をみればドキッとして肝を冷やす。
ジェスの店がある狭い路地にやってきたときは、全く明りがなくて入り込むのに勇気がいったほどだった。
「ねぇ、本当にこんな夜遅くに訪ねていって大丈夫なのかな」
「ああ、大丈夫さ、ジェス達なら力になってくれるし、あそこはジェスの家だから、上にも繋がっていて結構広いんだ」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「えっ、ああ、婆さんから聞いたんだ」
やばいやばい。
私はミッシーだということを忘れていた。
リセは納得してくれたが、気をつけなければと気を引き締めて、私はドアの前に立って一呼吸した。
そして覚悟はいいかと一度リセの方を向いて、リセと顔を合わせてから私はドアをノックした。
暫くした後、ドアの鍵をはずす音が聞こえてくる。
そしてそのドアは静かに開くと、中からジェスが顔を出して、目を鋭く細めていた。