第三章

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 リセたちにキュウジのことを聞いてもまだ信じられず、何かの間違いだと思ってもいた。
 そして次にジェスとスカイラーが見舞いにやってきて、ジェスの口からも同じ言葉が出たときは、それが真実だと認めざるをえなかった。
「婆さん、キュウジは助からなかったのは本当だ。こんなこと、冗談だったら私もどんなにいいかと思うくらいだ」
「それで、撃った犯人はどうしたんだ」
 私はホッパーが憎かった。
 こんな悪い役になってしまうなんて思いもよらなかった。
 私の創った話では、キュウジはホッパーに撃たれそうになるけど、全然違う方向に銃を向けて撃つ。
 『早く行け、俺の負けだ』と言って、キュウジを撃てなかったことに敗北を感じ、またリセの幸せを願ってホッパーは組織を裏切ることで、バッフルに追われる身となってしまう。
 男のロマン的なかっこよさを設定したつもりだったが、なんでホッパーはあっさりとキュウジを撃ってしまったのよ。
「あの後、身元不明の死体が湖に浮かび上がったらしい。そいつが持っていた銃とキュウジが撃たれた弾丸の線条痕が一致した。そいつがキュウジを撃った奴かもしれないと警察はみている」
 えっ、ホッパーもやられちゃったの?
 私の創り上げた理想のかっこいい世界は全て崩れ去り、この世界では全く違った歴史として刻まれてしまった。
 一体私はここに何しにやってきたのだろうか。
 あれだけ切望して、ようやくキュウジと出会えたのに、ずっと脇役ばかりとなって、キュウジのためのヒロインになれなかった。
 なんだか泣けてきた。
「婆さん、辛いのはわかる。僕達もキュウジを失って辛くてたまらないんだ。キュウジは本当にいい奴だった。なんでこんなことになってしまったのか。僕、悔しくて悔しくて」
 自分の感情に素直なスカイラーは恥ずかしげもなく泣いている。
 私はスカイラーを自分のベッドの傍に呼びつけ、そして抱きしめてやった。
 スカイラーは母親にしがみつくように泣いていた。
 感情を見せないジェスも、目が潤んではそこにたまった涙が溢れそうになっていた。
 私がここに来たせいで、皆が悲しむ最悪の結果になってしまった。
 これは全て私が起こしてしまったことの結果。
 私が自分の思うように創り上げようとしたから、罰があたったんだ。
 キュウジ、ごめんなさい。
 本当にごめんなさい。
 私が創ったというのに、キュウジの居ない世界なんて、そんな世界、そんな世界、全く意味が無い。
 これでリセは永遠にキュウジとくっ付くことはなくなった。
 私の妄想し続けた話はすっかり壊れてしまい、最悪な結果に終わってしまった。

 私の体の容態はよくなったかと思ったが、キュウジが死んでしまったことで、塞ぎ込みになって、食欲もなくなり、私は日に日にげっそりとしていた。
 そこに思い出したように頭が痛くなり、その痛みも以前にもまして強くなった。
 おかしいと判断した医者が、念のため検査をすれば、頭に腫瘍ができているのを見つけた。
 それはすでに大きくなり、手術するのも困難でどうすることもできなかった。
 でも私はそれがとても嬉しかった。
 これで楽に私も死ねる。
 このとき、久々に気分が晴れ、残念そうに渋い顔をする医者と看護師の前で満面の笑みを見せていたと思う。
 もうこの世界に未練はない。
 一気に気が楽になった。
 そんな時、私はリセを呼び寄せ、リセにだけは全てを告白することにした。
 私がここへ来た経緯から、この世界を創造したこと。
 なぜ、私がリセとキュウジをくっつけたかったこと。
 衝撃がある度に皆に憑依して、リセにだけはなれなかったこと。 
 それらを全てリセに打ち明けた。
「……というわけさ。馬鹿げた話だから、どこまでリセが信じるかだけど、リセにだけは聞いて欲しかったんだ」
 リセはどのような反応をしていいのか困惑していたけども、目の前の先行きの短い私に気を遣い、微笑んだ。
「すごいお話でなんだか面白かったわ。だけど、お婆ちゃんがそういうのなら、きっとそうなんだと思うわ」
 力強くにっこりと笑っていた。
「リセは自由に、思ったままを生きて。好きな人ができたなら、全力で恋をしなさい。そうしたら私も嬉しいから」
「うん、わかった。実は私も好きな人ができたの。だから、お婆ちゃんみたいに全力で恋をするわ」
 リセの好きな人は訊かなくても私には想像できた。
「そうか。頑張ってな。それは結構難しい恋かもしれないよ」
「そうね、私よりも料理が上手いし、裁縫も得意だし、ちょっとライバル意識も芽生えちゃうかも」
 リセ、好きに突き進めばいい。
 私が一途にキュウジを好きだった様に。
 この世界はあなたのものだから、私はもう何も関係がない。
 結局は私が創った世界ではなく、偶然に似ていただけだったのかもしれない。
 この世界でキュウジに会えたことだけでも運が良かったということにしておこう。
 消えていく命でありながら、容態はとても落ち着いている。
 頭に腫瘍があるのがわかってから、私の傍であの人影もずっと姿を消さずに四六時中付きまとっている。
 じっと私を見ては、相変わらず何かを伝えようと必死に口を動かしていた。
 リセに全てを話し終えた後、とても気が楽になった。
 何も未練も無く、ただキュウジの元へいける喜びを感じ、穏やかな気持ちでゆっくりと呼吸をしていた。
 そしての瞼は重くなり、眠りに落ちるようにすっーと体が楽になっていく感じがした。
 遠くで「お婆ちゃん、お婆ちゃん」というリセの呼ぶ声が聞こえていたが、それは次第に聞こえなくなった。
 また光に包まれ体が引き寄せられる。
 このとき私の傍にはあの人影がいて、私を見ていた。
 やがてその人影に色がつき始め、それは徐々に人間の姿となってそこに立っていた。
 パクパクしていた口も、ボリュームを大きくしていくように、徐々に声が聞こえだした。
「成瀬ハナさん、成瀬ハナさん」
 それは私の名前を呼んでいた。
 そして私の目が再び開いたとき、そこにはさっきとは違う病室で、知らない顔が上から覗き込んでいた。
 そこで人影だったものも、完全な人間の姿をして私を見下ろしている。
「やっと気がつかれましたね。よかった。これで安心だ」
 安堵する声が漏れている。
「あなたは交通事故にあわれて、ずっと意識不明だったんです。やっと戻ってこられましたね。おめでとうございます」
 人影だったと思っていた人間が、話しかけている。
 白衣をきて、首に聴診器を掲げているのがはっきり見えた。
 もしかして私はずっと夢の中を彷徨っていたの? あれらは全てが夢だったってこと?
 夢であっても、キュウジが死んだという筋書きはどうしても気に入らなかった。
 夢ならばなんでもっと、素直にいい夢見させてくれなかったのだろう。
 こんな苦労して、疲労して、そして悲しんで目覚めるなんて、そんな夢見たくなかった。
 命が助かった喜びなんてどうでもいいほど、今はキュウジを失ったあの体験が悲しくてならなかった。
 
 こちらの世界で意識が戻ってから、私の容態は徐々に安定し、今ではベッドで体を起こせるようになるほど回復していた。
 定期的に看護師が私の容態をチェックする。
 この時も血圧機を片付けながら、看護師が付け足したように、何か必要なものはないかと訊いてきた。
 夢から覚めた後は、燃え尽きたようになって、ただ呼吸していただけだったが、ようやく自分の中で落ち着いてきたような気持ちが現れた。
 そこで、部屋の隅においてあった私のトートバッグを取ってもらった。
 自分の持ち物も一緒に助けられ、ここへ一緒に運ばれてきていた。
 看護師から渡されたそのバッグを手に取り、私は妄想ノートを探していた。
 でも見つからない。
 その様子を見て看護師が声を掛けた。
「何かなくしたものがあった? あなたのカバン、事故と一緒に放りだされたから、中身が飛び散ったかもしれないの。お財布とかは大丈夫だったんだけど」
「そうだったんですか」
 あの事故でノートが飛び出してしまったんだろう。
 私の妄想もそこですでに散っちゃっていた。
 仕方がない諦めがすでに現れ、夢の中で失ったキュウジの事を再び思っては悲しくなってしまう。
 だがその時、ふと、バッグの中に、ガラス瓶があるのに気がついた。
 そんなものを入れてた記憶が無いので、なんだろうと取り出したとき、それはオレンジ色を帯びていた。
「えっ? ジャム…… しかもマーマレード。まさか」
 入れた覚えはないけれど、そのマーマレードには見覚えがあった。
 これはジャスが作った手作りのマーマーレードだ。
 でも、どうしてこれがここに?
 私は混乱した。
 そのジャムを見つめていたとき、コンコンとドアがノックされる音が部屋に響いた。
 看護師がすぐに受け答えに行き、ドアの向こう側で話し声が聞こえだした。
 そして再び戻って来て、私に問いかける。
「あなたに会いたいっていう人がいるんだけど、どうする?」
「私に会いたい人?」
 誰だろう。
 私は入出を許可すると、看護師はその人を中へ入れた。
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