第三章


 バッフルの悪の巣とでもいうべき、本社のある高層ビルに、その車は向かっていた。
 リセは恐怖のあまりぐったりとしては、移り行く景色を覇気のない瞳に映し憔悴しきっていた。
 抵抗したところで、成すすべもなく、諦めて屈服するしかなかった。
 ホッパーになってしまった私が、気を遣って心配しなくてもいいといっても、全く信用置けず、しかも婆さんを撃ってるから、声をかければさらに緊張感が高まり、戦慄が走って顔が青ざめていく。
 リセ、かわいそうに。
 一体、何が起ころうとしているのか、ここまで話がこじれて、自分が敵側になってしまうなんて想定外もいいとこだった。
 そうしているうちに車は地下へ通じる道へと入り込み、駐車場へと向かっていた。
 車が停まったところで、ドアが開き、下っ端の者達が一斉に整列してホッパーである私を向かえた。
「お疲れ様です」
 それだけで、極道の世界を思い描いてしまった。
 リセも銃を持ってる極悪人と判断し、何も言わず大人しく素直に言うことを聞いている。
 車から降りても逃げようともせず、震えて私の後ろに立っていた。
「いいか、あくまでもゲストだ。失礼のないように、彼女に接するんだ。わかったな」
 少しでもリセの負担を軽くしたかったので、そのように言えば、一斉に「了解しました」と声が返ってきた。
 リセの気持ちとは全く対照的に、私といえば、なんか気持ちいい。
 こういうのって何でも思いのままに動いてくれるから、ホストにちやほやされてるような気分になってくる。
 喜んでいる暇はないのだけども、一体何が始まるんだろう。
 私とリセは部下達に案内されて、最上階へ続くエレベーターに乗せられた。
 そこにはこのバッフルの最高責任者、即ち、この街を牛耳る影の支配者がいた。
 体全体がむっくりと丸みを帯び、葉巻を口に咥えて貫禄を持って、車椅子に座っていた。
 一見、介護が必要な弱々しさをアピールするも、それは弱者的な社長を演じるだけの見せ掛けだけで、本当は健康そのものでピンピンしてる奴だった。
 悪いものが、善良のフリをし、強いものが弱くみせるという戦略で、裏では全てを支配しきっている帝王だった。
 敵なので徹底的に悪という設定をしてるだけで、物語には全く重要性はない。
 私の前ではお飾りな悪役にしか過ぎない。
 典型的に、スケベな悪の帝王にふさわしく、その世話係として美女を秘書代わりに側に置いている。
 胸の谷間を惜しげもなく見せて、ぴっちりとしたからだの線が見えるボディコンを着た、その美女に車椅子を押されて、優しさなど持ち合わせてない邪悪な鋭い目つきでバッフルは前を見据えた。
「ホッパー、前回の失態を私はまだ許したわけではないぞ。こんな小娘を連れてきたところで、まだまだ罪はぬぐいきれぬ」
 えっ、ホッパー、もしかしてバッフルに怒られてるの?
 ホッパーはリセを貢物として連れてきたの?
 多分、正体をミッシーに知られてしまったから、口封じにリセを捉えるしかなかったのだろう。
 色々とこのシチュエーションを想像しておいた。
「どうした、何を黙っておる。一体お前は何を考えているのだ」
 そんなこと言われても、私はホッパーじゃないから何も考えずにここまでやってきました。
 正直にそれを言うこともできず、かといって何を言ってよいのかもわからずに、私も困ってしまう。
「ホッパー、いい加減にしないか。今まで好き放題させてやってきたとはいえ、失敗してそのえらっそうな態度はなんだ。なんとか言ったらどうなんだ」
 あっ、益々怒っちゃった。
 このスケベ親父め。
 一応あんたを創ったのも私なんだけど、自分の創ったキャラクターに怒られるとは思わなかった。
 悪役の親玉だから、典型的な悪人として適当に創っただけなのに。
 でもここは一体どうすればいいのだろう。
 リセは逃がしてやりたいし、私もホッパーのままはやだ。
 とりあえず謝っておこう。
「申し訳ございません。私も大変反省しております」
「そしたら、どう落とし前をつけてくれるのだ」
 そんなこと言われても。
 考えているうちに少し間があいたが、バッフルが一番望むことといえばこれしかなかった。
「はい、ピッチフォークをおびき寄せます」
「ほぉ、その言い方だと、その正体を掴んだということか。なるほど、邪魔者を消してくれるのだな」
「はい。今度こそ失敗はいたしません」
 なんてその場限りでいっちゃったけど、失敗したら、消されちゃいそう。
 それまでになんとしてでも、この体から抜け出さなくては、私が消されてしまうではないか。
 えらいことになってしまった。
 私はただ、キュウジと恋がしたかったのに、全然違う物語になって、修正しようと思えば思うほど、酷くなってるではないか。
 こんなのやだ。
「それじゃとくと拝見させて頂こう」
「はい。全ては私にお任せ下さい」
 とにかくホッパーになりきって、この場を逃げなければ。
 私は一度頭を下げると、リセの手を取り、その部屋から出て行った。
 誰にも邪魔されない場所はどこだと思いつつ、屋上を目指すことにした。 
 
 屋上は庭園のようになっており、草木が人工的に植えられていた。
 そこがビルの上とは思えないほど、花が咲き誇り、自由に散策できる空間だった。
 その反対側にはヘリコプターが降りられる場所も設けており、上からも自由に出入りできるようになっていた。
 花と緑に囲まれ、雲一つない青い空も清々しいのに、今、自分はとても憂鬱だった。
 私が大きくため息をついたので、リセが気になってじっと見つめていた。
「少し座らないか」
 バラが咲き誇ったところにベンチがあった。
 そこに腰をかけると、リセも少し離れて腰を掛けてきた。
「怖い思いをさせてすまなかった。必ず無事に返してやるから、何も心配しないで欲しい」
 とにかく、私がリセになるつもりだ。
 そのチャンスがくるまではホッパーでいないと、都合が悪い。
 ここでリセになったら、ホッパーはただの敵になってしまうだけで、私にはなんのメリットもなくなる。
 折角リセがいて、ちょっと頭を頭突いたら、憑依するかもしれないけど、我慢するしかなかった。
 安全を確保してからじゃないとリセになっても、危ない目にあったら元も子もない。
「あなたは、本当にお婆ちゃんを撃った人なの?」
「うーん、あれはどっちかっていうと事故だった。多分脅しで銃を向けたんだろうけど、それが婆さんが無理するから、弾みでああなったんだと思う」
 これはその時婆さんであった私の主観だ。
 それがホッパーらしからぬ、態度だったのだろう。
 リセが不思議そうに見ていた。
「あの、私、あなたとどこかで会ったような気がするんですけど」
「えっ」
 あっ、そうだった。
 ホッパーもリセに恋心を抱く設定だが、そのきっかけとなったのが、雨の降る日に街でリセと会ったからからだった。
 傘を持たずにホッパーが歩いていて、髪から雫が滴り落ちながら信号待ちをしているときに、リセが横に立って傘に入れたというエピソード だった。
 ほんのこの一瞬の出来事で、ホッパーは優しさという心地よさを感じ、それが荒んだ心を癒して暫くそのことが忘れられなくなった。
 信号を渡った後は、リセがカバンからハンドタオルを出して、それを渡し、そのまま去っていった。
 ホッパーにとって、初めての人からの親切だったから、それがいつまでも心に残っていたはずである。
 リセに恋心を抱いてしまうが、それを素直に認められず葛藤してしまう。
 だが、リセがピッチフォークと結びつきがあることを知ってしまい、バッフルの組織として誘拐しなければならなくなった。
 今回のようにピッチフォークをおびき寄せるために、利用する筋なのだが、その後はキュウジ達と対決する。
 ホッパーにとっては、リセと二人っきりになりたいという思惑もあり、ここでリセとやり取りしている間に、徐々に目覚めていく。
 でもリセとキュウジが恋仲だと知って、そこはリセの幸せを重視して身を引き、また恋にもキュウジとの戦いにも敗れて、そこで殺し屋から足を洗うという筋書きになっていく。
 ホッパーは悪い奴ではないのだが、寧ろかっこいい役柄にしてある。
 だけどすっかり筋書きが違ってるから、それも発生しないだろう。
 ここは一体どうなるんだろう。
 リセは私の言葉を待っているから、自分で話を創るしかない。
 私ならここでホッパーをどう動かすかと考えたら、自然と言葉が出てきた。
「さあ、気のせいじゃないのか。私のような男はよくいるタイプだろう。どこかのビジネスマンと間違えているのかもしれない」
 リセは黙り込んでいた。
 自分でもはっきりと言い切れる自信がなかったみたいだった。
 とにかく自分に有利に持って行きたくなって、そういってみたまでだった。
「あなた、あまり悪い人にはみえないんだけど」
 そりゃそうよ。
 今中に入ってるのは、リセの原型よ。
「さあな、油断してると、痛い目を見る。そういうことは自分が助かってから言うんだな。それまでは決め付けるべきじゃない」
 おお、自分で言っておいて、なんかかっこいいと思ってしまった。
 痺れるわ。
「まるで、自分でもどっちかわかってない言い方ね」
「とにかくつべこべいうな。おしゃべりはここまでだ」
 ここで、悪役っぽいところも見せておこう。
 これで、ホッパーらしくなっただろう。
「スマートフォンを出せ」
 リセは戸惑ったが、ホッパーの言うとおりに、ショルダーバックから取り出した。
「ミッシーに電話を繋げろ。きっとあんたの仲間がでるだろう」
 アパートで電話を落としてきたから、ジェスが拾っているに違いない。
 リセは言われたとおりに電話をつなげると、一回のコールが終わらない速さですぐに通じた。
「リセ、リセ、なのか」
 ジェスの声が聞こえてくる。
 私はリセからその電話を取り、通話を始めた。
「リセは無事だ。それに傷つけるつもりも全くない。必ず無事に返してやると約束する」
「一体、何が望みだ」
「そうだな、それはまずはリセを引き取りに来て、直接会ってから話そう。できたら、あんたじゃない方がいいんだが」
 こういえば、きっとキュウジがくるはず。
 目的は、私がリセに憑依して、そしてキュウジに助けてもらうこと。
 それが発生すれば、そこは自然に恋が始まると思うの。
 ここはキュウジにきてもらわないと、話にならない。
 キュウジが来た時点で、私はリセに頭突いて憑依して、そしてホッパーが目覚めて困惑しているすきにさっさと逃げるだけの計画です。
「私じゃない方がいいって、もしかして、美術商のボスのことか」
 おいっ!
 なんでそこに話が飛ぶの?
 ジェス、頼むよ。
「違う、そんな奴はどうでもいい」
「だったら誰が行けばいいんだ?」
 ちょっとジェス、なんでそこでキュウジが出てこないのよ。
 もしかして、ジェスはホッパーが仕事を失敗したことで、あの時あそこにいた人物に恨みをもってるとか思ってる?
 違う違う、深読みしすぎ。
 一応ホッパーは名前は知らないんだから、ここでキュウジの名前は出せない。
「わかった、わかった。あんたでいいし、ついでに友達も連れてきていいよ」
「……」
 あっ、しまった。
 つい自分がでてしまった。
 ジェスも反応に困ってそう。
「とにかくだ、場所はグレートセントラルパークだ。時間は今夜12時でどうだね」
 都会のオアシスのような大きな公園。
 周りはビルが建っているというのに、そこはアイランドのように森林が茂り、緑に溢れている。
 夜はさすがに人気がなくて、治安が悪いと誰も近づかない。
「わかった」
「いいか、変な真似はするな」
「少し、リセと話をさせてくれないか」
 リセが無事かどうか確認を取りたいのだろう。
 私はスマートフォンをリセの耳元に持っていってやった。
「もしもし、ジェス?」
「リセか、無事なのか」
「ええ、大丈夫」
「こんなことになって申し訳ない。必ず助けに行くから」
 私はそこでリセからスマートフォンを遠ざけた。
 私の創った話にもこのやり取りがあったけど、その時はジェスじゃなくてキュウジだったのに、すっかり変わってしまった。
 なんだか不安になってしまった。
 リセはキュウジと恋に落ちるんだから、これはなんかやばいよ。
 ジェスもいつになく取り乱しているように思える。
 まあ、目の前で何が起こってるかわからずに、リセが連れ去られただけでもプライドが許さないのだろう。
 それにしても、ちょっとイライラしたから、そこで通話をブチッと切ってやった。
「無事だとわかったんだからこれで充分だろう」
 私はスマートフォンの電源を切ってからリセに返してやった。
「こっそりと連絡取ろうなんて思うな。必ず返してやるから、変な真似をしないで欲しい。わかったな」
 リセは頷いたものの、ホッパーがほんとに悪い人なのか判断しきれないようだった。
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