遠星のささやき

第十一章

「リサ、悲しませてすまない。いつもお前には迷惑かけてしまう。本当にごめん」
 遠くに行ってしまいそうな程、消え入りそうな三岡君の声。
 どこにも行かないでと必死に捕まえようと私はベッドの側に走りより三岡君にしがみついた。
「どうして、どうしてこんなことしたの。こんなの誰も望んでない」
「判ってる。だけど、俺はこれしか道は残されてなかったと思ったんだ」
 三岡君はふんわりと私の頭を撫ぜた。
 私が頭を上げて三岡君を涙目で見つめる。
 青白い顔色。
 それとは対照的に痣になって黒ずんでいる首のあたり。
 魂をどこかに置き忘れてきたように感情の色がついていないというのか、覇気が全くない。
 命は取り留めても、すかっと気持ちのいい笑顔を見せてくれた三岡君とは別人だった。
 
「三岡君、一人で思いつめるのはやめて。やっぱり無理があったんだよ。三岡君は奥さんや子供のところへ戻るべきだよ。私がこんな風に追い詰めちゃったんだ ね」
「違う、リサのせいじゃない。俺は自分の気持ちに正直になったから、これが正しい道だって思った」
「こんなの正しい道じゃない。生きてなきゃ意味がないんだよ」
「リサ、俺やっぱりお前に出会えてよかったよ。こんなに人を好きになれて、幸せだった」
 優しくまた私の頭を撫ぜる。
「リサは幸せになれよ。俺がそうしてやれなかったけど、俺はリサに会ってるときが最高に幸せだった」
「これからだって、三岡君はいつだって幸せになれる。子供の成長を見守ることだってそうじゃないの。美味しいものを食べることも、好きなことをすること も、生きていたら絶対幸せはどこにでもある」
「そうだな。でも俺はお前が幸せだったら一番幸せかもしれない」
「だったら、私幸せになるから」
 私も必死だった。
 幸せなんかどうにでもなる。
 三岡君が望むなら、いくらでも幸せつかんでやる。
 この瞬間だって幸せなんだからと、私は訴えるような目をして三岡君を見つめた。
 暫くお互い見詰め合ったが、三岡君が無理をして笑っていると思うと辛くて私はまた涙ぐんでしまった。
 時間のある限り私は三岡君に抱きついていた。
 三岡君も黙って私を抱擁する。
 言葉なくそのまま時が過ぎていくが、動くこともなく静かに抱合う私達には時間が止まったようだった──。
 
 この瞬間が終われば、もう二度と三岡君に会ってはいけない。
 それは充分理解していることだったけど、さようならという言葉だけは使いたくなかった。
 代わりにありがとうという言葉を一杯心に詰める。
 私をこんなにも愛してくれた。
 だからもうこれ以上私は望まなくても充分幸せなんだと、三岡君に判って貰いたかった。
 でも言葉にすると奇麗事過ぎてどうしても自分が強がっているようで、三岡君を慰めるためだけに言ってるように聞こえるのではと、うまく伝えられない。
 それに私はまだ恐れている。
 三岡君はこの時も生死を彷徨っているような気がしてならない。
 言葉を探そうとすればするほど、声を奪われたように苦しく喘ぐだけだった。
 そして無常にもコンコンとドアをノックする音が聞こえる。
 トモの合図だった。
 覚悟はできていたはずだったのに、辛いほどに瞳は悲しみの色を滲ませていたように思う。
 冷静でいた三岡君でさえも、この瞬間だけはっとして急に目が覚めたように私を食い入るように見つめた。

 トモはそっとドアを開け、隙間から様子を伺い気を遣っていた。
 一番嫌な役を引き受けたというくらい気まずい顔をして覗いていた。
 何かを言おうとしながら、いいにくそうにしている。
 判ってると、こっくりと首を縦に振って伝えると、トモはドアを半開きにしたまま自分の身を引っ込めた。
 私は立ち上がり、体に力を込める。
 こみ上げる涙と嗚咽を体中で押さえつけ、声を絞り上げる。
「三岡君、私もう行くね」
「なあ、リサ、人を愛する気持ちって永遠だと思うか?」
「えっ?」
「ほら、電気を消した後の暗闇で、目にはぼわっと蛍光灯の明かりが焼きついてることってないか。想いも、命が消えてもそのまま残るんじゃないかって、俺 思ったん だ」
「三岡君……」
「目に見えなくても、想いは人の心で形になる。だから俺の想い、お前がずっと持っていてくれ。それが俺の願いだ」
「うん。三岡君の想いは私がずっと持っている」
「ありがとうな、リサ。祭り一緒に行けなくてごめんな」
「ううん、この三岡君の想いを一緒に持って今度一人で行ってくる。私達は心で一緒だからね」
 三岡君は精一杯私に笑ってくれた。
 私も三岡君とこれで本当の別れだと思っていた。
 でもそれは、三岡君が妻と子供の所へ戻ってやり直すためであって、私ともう会わない最後の別れのことだと思っていた。
 だから私も最後は必死に笑顔を残した、幸せになるからと約束したつもりで。
 それなのにその二週間後、三岡君はまた自殺を図って、今度は本当に死んでしまった──。

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