遠星のささやき

第十一章

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 三岡君のお葬式はもちろんいける訳がなかった。
 まず美幸が許すはずがない。
 そして我を通したとして最後の別れができたとしても、人一倍の涙を見せる女がそこに居れば、勘のいい周りの人間は私がどんな間柄か想像できるというもん だ。
 不倫相手などそういう席では歓迎されないし、三岡君の名誉のためにも最後の最後にそんな噂になることは広めたくなかった。
 三岡君がこの世に居たという魂の抜けた体に別れを告げなくても、三岡君は私に想いを馳せて側にいる。
 そう信じながら、お葬式の日は空を見つめていた。
 後にトモから様子を聞いたが、その時美幸が私に会いたいと言ったらしい。
 トモは私について美幸から質問攻めにあうのではと背筋がすーっと冷たくなったらしいが、美幸の表情は感情が一切なくただ目と鼻と口がついていて、その後 何も言わずねっとりとトモを見ていたらしい。
 トモは一種の不気味さを覚えて、曖昧に返事をしたとか言ったが、一騒動起こるのではと心配して自分も一緒に行くと申し出た。
 美幸は余計なお世話とでも言いたげにきつく「結構です」と言って、そしてトモから離れたらしい。
 トモはその様子を電話で話してくれたが、気をつけろと口を酸っぱくして何度も言った後、美幸が接触してきたときは絶対一人で会うなと釘をさした。
 しかし、彼女は私の仕事場を知っているだけに、その気になれば自由に会いに来るだろう。
 そして何があったとしても私は驚かず、平然と立ち向かう覚悟をしていた。
 こっちもどんな内容くらいかは容易に想像できる。
 美幸がどれほどの感情を私にぶつけてくるのか、すべて受け止めるつもりでいた。
 三岡君は死んで私のものとなった。
 この時哀れむのは美幸の方だ。
 形は違っても夫を私に取られたのだから。
 私はその時が来たら来たでいいくらいだった。
 責められる覚悟も腹に据えて、堂々と美幸と会ってやる。
 あれやこれやと考えても仕方がないので、私はその日が来るのを自然の成り行きに任せた。

 四十九日が過ぎた頃、5月も半ばでそろそろ初夏を思わせる汗ばむ季節となった。
 夜、独りになったとき、三岡君のことを考えればまだ涙がホロリとでてしまうこともあるが、私も自分の生活がある。
 それに追われて、悲しみはどこかに紛れていた。
 そして三岡君から貰った指輪をじっと見ては、想いは残って自分の心にあるんだと言い聞かせる。
 それで満足いくかと聞かれれば「はい」とは素直に言えないが、現実はこれ以上変えられないのなら、心のよりどころを自分で見つけて解決していくしかな い。
 愛するものを失う辛さは、失ったものにしか判らないし、そして人それぞれの悲しみは本人が処理していくほか方法がない。
 一人寂しい暗い夜は、やはり泣くことしかできないのもそれも一つの対処方法であり、心の思うままにその時を過ごす日々が続いていく。
 私でこのような気持ちなのだから、美幸も辛さは計り知れないものだろう。
 彼女の場合、子供がいる。
 これからの生活のことを考えれば、私が抱いている以上の悲しみと不安を抱えているに違いない。
 それを考えれば罪悪感も芽生える。
 子供のことに関しては三岡君も心残りだったのではと、どうしても子供には申し訳なく思う。
 あの子には三岡君の血が流れている。
 せめてしっかりと育って欲しいと願うが、私が言えたもんでもないだけにただ辛いものだけが残る。

 そして、決戦の日とでも言うべき瞬間。
 とうとう美幸が職場にやってきた。
 以前会ったときは生活に疲れている雰囲気がしたが、この日はしっかりと背筋を伸ばして、化粧も念入りにしたのか派手な豪華さがあった。
 軽く会釈をして、私に余裕のきつい笑みをこぼした。
 私も覚悟はしていたが、実際彼女を目の前にして少しドキッとしてしまった。
 それでも全てを受け入れる態度を込めて丁寧にお辞儀をした。
 ちょうど休憩を取るときだったので、私は彼女と一緒にまた前回と同じ喫茶店に入った。

 ウエイトレスに注文をして、そしてまじまじとお互いを見つめ合う。
 唾を飲み込み喉の調子を整えて私から話しかけた。
「息子さんは、今日は連れられてないんですね」
「ええ、実家に預けてきました。今日はあなたと二人で話したかった」
 美幸は視線を外すことなく、睨みつけるような目つきを突きつけた。
 私は来たかと殊勝な態度にでる。
「そうですか。とにかくこの度はご愁傷様です」
 決まり文句を何も考えずにただ言っただけだった。
 しかしそれは私の口から言うと嫌味に聞こえたみたいで、美幸は少しむっとしたようになった。
「ご愁傷様はあなたも同じことですね」
「やはり私を責めにやってこられたんですね」
 美幸はここでグラスを手に取り水を一口飲んだ。
 そしてまたそれを元の位置に戻すと、落ち着いた口調で静かに私に言った。
「いえ、私はあなたに聞いて欲しい事があったんです」
「聞いて欲しいこと?」
 そのとき、注文したアイスコーヒーが運ばれてきた。
 話の腰を折られて、また美幸は黙ってしまった。
 間が持たなかったので、落ち着かせようと私はその間にシロップとミルクをいれ、ストローを紙の袋から出して、グラスにさして軽く飲んだ。
 美幸も私が手を動かすと真似をするように同じことをしていた。
 これからどう言おうとまるで楽しむかのように、口元が笑っている。
 気が狂った感じを見せて私を脅しているようにも見えた。

「さっきの話の続きですが、聞いて欲しい事ってどういうことですか?」
 私が聞いた。
 もしかしたらなんらかの法的処置でも取ろうとしているのだろうか。
 中々美幸は話さないのでじれったくなった。
 美幸は私の気持ちを弄ぶかのようにグラスを持ち、今度は一気にアイスコーヒーを飲み干した。
 最後はズズズと音を立てていた。
 飲み終わると、グラスをテーブルに置き、そして私の目を挑むように見た。

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