遠星のささやき

第十二章

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 三岡君を失ってすぐにうっちゃんと付き合ってしまったこと、自分でも軽薄だと充分判っていた。
 そんなに簡単に気持ちが切り替われるものか、人間として感情の欠陥があるのではというくらい自分でも驚くぐらいだった。
 でも美幸の嘘から始まって引き裂かれてしまった三岡君との恋は、世の中の理不尽さを存分に味わされた。
 ましてやそれで一人の命がなくなる結果となってしまっている。
 私が追い込んでしまった原因もあると思うと、一人でいると押しつぶされそうで苦しくなる。
 そんな時、私を好きで居てくれる存在は私には都合がいい。
 私の癖とでも言うべき、男に対しては弱みを見せることなく、適度のプライドを持ちそして粋がれる。
 安易だが、自分を保てるそんな気がした。
 そしてうっちゃんは誰もが認めるハンサムな男性であり、そんな人が私に惚れている。
 つまらない見栄が働くと共に、それに流されて暫くは気の赴くままに投げやりな感情が芽生えた。
 そしてその流れに乗ってしまったが、その速度が速くなるとこの先どこに辿り着くのだろうと今さら不安になってきた。
 成り行きはいつも上手く事が収まるとは限らない。
 結局、成り行きは成り行きで意味の成さない結果が多いこともなんとなく判っていた。

 付き合って間もない頃、うっちゃんが私に会いに仕事場に顔を出していた。
 その時は一緒に働いてる英子さんが必ず過剰反応する。
 英子さんは怪しい目つきで何度も付き合っているのか聞いてきたが、私はその度に話をはぐらかした。
 そしてそうじゃなければ自分に紹介して欲しいときたときは、さすがに顔が引き攣った。
 それでも嘘も方便で適当なことを言って誤魔化す。
 英子さんのうっちゃんに対する執着は結構私にはストレスだったが、こんなことがあっても本当の事は絶対言わなかった。
 英子さんに限ってではないが、うっちゃんが私の彼だということは他の誰にも言わずに内緒にしていた。
 私は自分のプライベートなことはあまり人に話さない。
 何でも話せるのは長い付き合いの佳奈美だけだった。
 佳奈美が留学して一年が過ぎ、そろそろ帰国予定という時、これまでのことを全て聞いてもらいたくて帰国を楽しみにしていたが、佳奈美はまだ帰らないとあ と半年延長した。
 来年の春には帰ってくるらしい。
 当分自分の正直な気持ちは誰にも言えないまま抱え込むことになってしまった。
 もし何もかも正直に自分の気持ちを誰かに吐き出していたら、また違った方向に進んでいたのかもしれない。
 これで本当にいいのか正直自分でもわからなかった。
 
 うっちゃんとの付き合いも順調だったある日、用事があり彼の自宅に電話をしたことがあった。
「内田さんのお宅でしょうか? 恭一郎さんはいらっしゃいますか?」
「どちら様?」
 うっちゃんのお母さんが出てきて、私の声を聞くなり敵意を抱いたような冷たい態度を現した。
「失礼しました。滋賀と申します」
「生憎、恭一郎は出かけておりますが……」
 その時、横からうっちゃんが受話器を横取りしたのか、何か揉めあってるような声が聞こえた。
「俺、居るだろうが! もしもし」
 うっちゃんが後から出てきたときは、母親の意図がすぐに読めたものだった。
 あれだけのハンサムな息子。
 これまでもいろんな女性が電話を掛けていたに違いない。
 親としては警戒態勢になる気持ちもわかる。
 
 それに何より、うっちゃんはいいところのお坊ちゃまだった。
 自宅は高級住宅街で有名な町にあり、それなりにお金持ちの家庭。
 そんなことは全然知らなかった。
 知ったのは付き合うようになってから徐々にうっちゃんのことがわかってきたからだった。
 
 ハンサム、金持ちときたら女性は放っておかないだろう。
 そして性格もいいし、社交性に溢れている。
 これはいい条件が整いすぎて、益々女性の間では目立つ存在。
 私はそんなこと気にしてなかったが、この彼の母親の存在で私のようなものは歓迎されず、そして不釣合いというのがよく身にしみた。
 それでもうっちゃんは私の側に居た。
 私もつまらない見栄と自分のプライドのためにうっちゃんの側に居続けた。
 この時はこれでいいとお互い思っていた。
 そして自分の中では終わってしまったことになっていたが、私の心の中には忘れられない人がいるまま。
 表面にはそういうことを出さないが、これだけは変えられない思い。
 私はその思いだけは特別な場所にしまいこんでいるつもりだった。
 だから現実はうっちゃんと付き合っても、どこかで割り切れる部分というのを感じていた。
 それがうっちゃんを傷つけることになってたと気がついたのは、春に初めて理由もなくうっちゃんと喧嘩したことからだった。
 何がきっかけともわからずに、二人でわめきあい、いがみ合い、そして物が投げられて壊れていった、あの日。
 辺りを見回したとき、掃除をどうしようというくらい私の部屋はめちゃくちゃになった。
 グラスが投げられ割れて、その破片が私の足首辺りに当たり、あっさりと切れて血を流すと、うっちゃんは我に返り大人しくなった。
 喧嘩もそれで終了となった。
 傷口は深く、暫く私の足の包帯は取れなかった。

 お互いその喧嘩についてはその後何も言わなかったが、私はカレンダーを見てため息をついた。
 喧嘩をした日が三岡君の命日。
 うっちゃんは私がどこかでいつも三岡君の想いを持っていると思っている。
 この特別な日、その想いにうっちゃんは嫉妬した形となった。
 亡き人の面影を抱いている私に我慢できなかったのだろう。
 だけどそれは私もどうしようもない。
 これだけは一生持ち続けたままだから。
 そして過ぎ去った大型台風のように、お互い喧嘩のことにも三岡君の事にも触れず、また何事もなかったように私達の仲はいつも通りとなった。
 だけどこの時もっと真剣に二人で話し合うべきだった。

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