遠星のささやき

第十四章

 不況の中、次の仕事を決めるのは、以前無職になって新しい仕事を探していた時以上に困難だった。
 そして実家で母と暮らすのも苦痛そのもの。
 一度家を出て一人暮らしを味わってまた親と暮らすのは、牢屋にでも入っている気分にさせられた。
 父が亡くなったときは、私がしっかりしなければと気持ちだけが先走り、具体的なことなど何も浮かばなかった。
 先の事も考えず、決意とその場の雰囲気に流されて奇麗事しか想像できなかった。
 その時はまだ仕事もあり、なんとかなると軽く思っていたが、あんな理由で自分があっさりと仕事を辞めてしまい、あの時感じた責任も一緒に飛んで行った。
 仕事をしている時はただ吉岡アヤカと離れたくてそれしか頭になかったが、我に返れば新しい仕事なんてすぐに見つかる保障はないのに、やはり我慢してでも お金のために残る べきだったのか、この時になってぐるぐると頭の中によぎる。
 考えというのは、環境に左右され心の強さがなければ信念は貫けないものだとつくづく思う。
 なんとか家族が力を合わせれば乗り越えられる…… そう思うのも奇麗事の一つであり、相手の理解あって初めて成り立つもの。
 私の場合は失敗だった。
 母は私が仕事を辞め、すぐに働きに出かけないことを煩わしく思っている。
 無職になって半年近くにもなれば、家でゴロゴロされると見てるほうも不快ということだった。
 これも父を失い不安が常に押し寄せ、お金の余裕がないことが原因で心に余裕がない。
 理解していても、露骨に何度も早く働きに行けといわれると私もイライラしてきた。
 暫くは失業手当ての適用で幾分か貰うことができたが、殆ど家に収め、自分の自由になるお金はあまり残らなかった。
 一人で暮らしていた時のことを考えると、今よりはましだったとさえ思えるほどこの状況も辛い。
 今使っている部屋をぐるりと見渡せば、あの小さなお城で使っていた家具や電化製品、そして段ボール箱に入れた荷物がまだそのまま無造作に置かれ、この部 屋は物置状態。
 その隅で自分もお荷物のように寝泊りする毎日。
 そんな部屋の中で肩身を狭くしながら、心休まる訳がなかった。
 全てが嫌で嫌でたまらなくなってくる。
 ベッドに寝転がり、側には就職情報雑誌が定期購入しているようにバックナンバーがまとまって揃っている。
 昔見たよりも一冊が薄っぺらくなっているような気さえする。
 最新号をパラパラとめくって見るが、中々思うようなものがない。
 あって申し込んでも面接で落とされるとつい思えるほど、この就職難の厳しさが胃を圧迫させる。
 天上を見つめ暫く寝転がっていれば、洗濯物を干しに来た母の小言が聞こえてきた。
「いつまでそうしているのやら。お金ないのに、なんでも仕事すればいいのに」
 気がつけば雑誌を無造作に投げつけていた。
 もういやだ。
 結局はお金。
 世の中にはお金よりも大切なものがあるとはいうが、そんなのまずお金を手にして安心して暮らせる余裕がなければ言えない言葉だ。
 それに私にはお金よりも大切だったものをすでに失っている。
 お金が欲しい。
 お金、お金!
 いつの間にか心は荒み、お金、お金、お金とそればかり考えるようになってしまった。
 一人で生きていこうと思っていたが、こんな状態ではそれすらままならない。
 同じ苦しさを味わっていても、一人暮らしの小さなあのマンションの一室で必死にすがりつくように生活している方がまだましだった。
 私の人生はいつもどこかで何かに躓く。
 それとも一番最初から躓きコロコロ転がってただけに過ぎないのかもしれない。
 それじゃ、この先どこまで落ちていくのだろう。
 そう考えると自虐的に笑えてきそうだった。
 でも目が急に熱くなる。
 それを冷やすかのように水滴がすーっと目じりを滑っていった。
 
 こういうとき、人はどうやって乗り越えるというのだろう。
 支えてくれる人に頼れる人がいるのは幸せだ。
 誰かに頼る。
 そんなことしたことなかったが、でも三岡君がいたらどうなっていたのだろうと、無駄な想像をしてしまう。
 こんなことを考えるだけで、やる気すらなくなり、私はどんどん落ちていくような気がした。
 誰にも頼らずに生きてきたつもりだったが、それって無理なことなんだなと私はとても弱気になっていた。
 年を取ったせいもあるが、こういう感情は実際に起こってからじゃないと実感がわかない。
 判っていたらもっと前からこういうことになった場合のために準備していたはずだから。
 救いなのは、弟が何も言わずに我慢してくれてることだった。
 仕方がないと一人一生懸命家のことを支えてくれていた。
 弟も顔には出さないが相当辛い思いをしていたに違いない。
 
 そして暑さも落ち着いた秋の始まりのことだった。
 ある日、弟が電話を持ってきた。
 黙って私に渡してさっさとどこかへいった。
 このシチュエーション、前にも同じことがあったなと思って電話に出たときだった。
「リサちゃん?」
「えっ、トモ?」
 あの時の再現になっていた。
 また弟に言い訳までしないといけないのだろうか。
 でもなぜ今頃、トモから連絡が入るのだろう。
 しかも実家に。
 今さら、なぜ?
 そう言えば、何かあるとトモから連絡が入るのも私の中ではパターンの一つだった。
 そしてその度にトモに救われている。
 もしかして今回も、お金をくれるかもしれない。
 安易にそう思いながらも、私は声を出すまで歯を食いしばるように顔を歪ませ、良心の呵責を感じていた。
 トモを利用して罪悪感を感じるのもわかっていたが、私はやっぱり何一つ学んでない。
 そしてまたやってしまった。
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