遠星のささやき

第十四章


 私の頬に触れたトモの手は温かかった。
 そして優しくそっと撫ぜるように濡れたものを拭おうとしている。
 三岡君の話を夢中で聞いていたとき、私は涙を流していた。
 トモは大切なものを受け取るかのように涙に触れながら、愛しく私を見つめる。
「辛かったんだね。でもいいんだよ、一杯三岡の事思い出して。俺の前では遠慮することなんて何もない。リサは好きなようにすればいいんだ」
「トモ……」
 暫く見詰め合う形となってはっとすると、私はなんだか恥ずかしくトモからぎこちなく目を逸らし、暫くじっと動かず下を向いてしまった。
 トモも余計な事をしたかと手を引っ込めてナーバスになっている。
 乱れた息遣いがかすかに聞こえた。
 トモに触れられたことは決して嫌ではなかった。
 寧ろトモの言葉が体に沁みいるように、そして優しく触れられたことが冷え切った心を温められたように心地よかった。

 辺りは照明の明るさをあたかも手で操作するように日がすーっと暮れだした。
 昼間は観光客や地元の人間で大いに集まって賑やかな場所なのに、人がいないと全く別の場所に見える。
 ひっそりとして物悲しい雰囲気が漂う。
 お寺は晴れても、雨が降っても天気によって常に違った風情を感じるところ。
 かつては楽しい祭りの中で最高の気分を味わったり、そして雨が降って何もかも消えた惨めな気分も味わった。
 それから昔を偲ぶ懐かしい気持ちもあった。
 いつもここは何かと色々な感情が渦巻いた場所である。
 そしてこの日も、また心配と不安を味わい、さらに解決と安心も一緒に味わった。
 私はこのお寺と関わると何かと感情豊かにされている。
 何もかもここのお寺から始まったといってもいいのかもしれない。
 それじゃ終わりがあってもいいことにもなる。
 物事は始まりと終わりで一セットなのだから。
 ここから始まりここで終わる。
 私が三岡君を思い続けて始まった物語の終わりは自分で決めることもできるのかもしれない。
 一つの区切りとして──。
 私は頭を上げるとトモの顔をじっと見つめた。
 トモはその時真剣な顔つきをして見つめ返してくる。
「俺、リサのこと好きだ」
 我慢できない想いがここで爆発してしまったようだった。
「そんなの前から知ってたよ」
 そっけなかったかもしれなかったけど、私としては真面目に答えたつもりだった。
「俺、三岡には敵わない。三岡を越えてやりたいとも思わない。それでもリサのことはこれからもずっと好きだ」

 初めてトモに会ったときは印象が悪かった。
 でもトモは私に一目ぼれしたと言っていた。
 それからずっとその気持ちを持ち続け、私のためにと何かと協力してくれた。
 私はその間、三岡君と恋に落ち、そして悩んで苦しんでまた再会して、結局は悲しみに明け暮れた。
 そんな私の姿もトモは見てきた。
 それからうっちゃんと付き合っていたときも、トモは何も言わず私を見守っていた。
 お金のこともそう。
 自分の身を削ってまで力になってくれた。
 私と離れていたときも、トモのことだからきっと私をどこかで思って案じてくれていたのだろう。
 だからこうやってまた出会った。
 いつもいつもトモは遠くから私を見ていた。
 そして他の人たちはさっさと去って行く中、トモだけはどんなに冷たくあしらっても決して私から去ろうとはしなかった。
 
 私はトモの告白をしっかりと受け止めたが、敢えて何も言わなかった。
 沈黙は続いても不思議と二人の間に変な気まずさはみあたらない。
 トモも気持ちを伝えたことだけでも満足そうに笑顔を見せている。
 トモ自身、私に何も望んでいる訳でもなく、これからもずっと私を見守ると宣言しただけのようだった。
 私もつられて顔がほころんだ。
「トモ、そろそろ暗くなってきたね」
「そうだな、空の星が見えてきたよ」
 トモは薄っすらと笑みを浮かべるように車の窓から外を眺めていた。
 そしてまた私の方を向くと照れ隠しのように微笑む。
 その笑顔が薄暗さの中でもはっきりと私の目に映る。
 まるで夜空の星の光を見たような気になった。
 星は周りが暗くならないと明るい空の下では見えない。
 見えなくても、遠いところから光を放ち続けている。
 遠い場所の小さな星は暗くても小さい点となった光しか届かないし、注意して見なければ見過ごされるもの。
 折角夜空になっても見つけて貰えなければ意味がないと虚しくなることだろう。
 でもたった一人でもそれに気がつけば、その光は弱々しくともしっかりと輝き続ける。
 その星も気づいてくれた一人のために一生懸命輝こうとするかもしれない。
 私はこの日、そういう星を見つけた。
 私のためだけに遠くから弱々しい光を必死に出して輝いている星。
 だから見つけたことを言ってあげなければ──。
 
「ねぇ、トモ……」
 私はにっこり微笑んだ。
 トモに見せた中で一番幸せな最高の笑顔だったと思う。
「ん? 何?」
 私がその後、ゆっくり言葉を伝えるとトモは目を見開いて驚いていた。
 そして急に光りが増したような喜びに満ち溢れた笑顔を見せてくれた。

 辺りはどっぷりと暗くなっていた。
 まどろんだ闇に包まれ、夜空を見上げれば沢山の星が輝いているのがよく見える。
 その中でも普段全く見向きもしなかった消え行きそうな小さな星が、私の目に映る。
 弱々しい光ながらも必死で輝いてる。
 それがトモと重なり、目が離せなくなった。
 この星をずっと見続けて見ようか。
 見上げればそこにあるように、小さい光ながらも私が道に迷わないように輝き続けてくれるかもしれない。
 困った時に助けてくれて、我がままにも耐えてくれて、そして私のことを一番に考えてくれるかもしれない。
 時には暴走して軌道から外れてしまいそうなところもあるが、それは私がきっと修正してあげられる。

 三岡君、今度は私がトモの面倒を見てみるよ。
 私もなんだか放って置けなくなった。
 いいよね。
 
 三岡君の事は絶対に忘れられない。
 それはトモも同じ。
 でもトモはそんな私を受け入れて、いつまでも私を見守っている。
 なんだかトモとならありのままの自分でいられそうな気がする。
 無理をすることもなく、辛い気持ちを隠すこともなく、心のままをさらけ出すような感じ。
 毎日の暮らしはまだ辛いものがあるけど、一つだけ気持ちが軽くなったような気がした。
 
 車の窓から遠くの星を仰いだ。
 さっきトモに言った言葉をもう一度心の中で繰り返してみる。
「トモの思い、私にやっと届いたよ」
 自分を守る役目をしていた心の棘が、ポロポロ落ちていくようだった。
 この先、また自分の思うようにならない人生を歩むかもしれない。
 でも小さな光が少しでも照らしてくれたら踏ん張っていけそうな気がする。
 だから私はそれに応えてみよう。
 またトモの顔を見つめた。
「トモ、私まだこの先どうしていいかわからないけど、トモのことはきっちりと考えるから」
「無理すんなよ」
「バカ、無理なんかしてないわよ」
「そうそう、いつものリサのままが一番」
「何よ、それ」
「そういうこと」

 秋のつるべ落とし。
 辺りはすっかり闇に包まれていた。
 ひっそりとした静かな忘れられたような場所に、車が一台。
 その中で小さな光を淡く出す星が二つ、今一つになって明るい光を出し始めたような気がした。
 これからもっと輝くかもしれない。
 未来に向かって輝くように。
 遠い星の光がささやきかけるようにずっと──。
 弱くても輝いていたい。
 自分なりに無理をせず。
 そうなればいいと願いを込めて私とトモの手は指を絡めて固く握り合った。




《The End》


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