幽霊と見たあの日の夢は終わらない

第三章


2 河合実紗

「コーセー、さっきからビクビクしすぎ」

「少しはやっぱり警戒したほうがいいよ。ここには広瀬たちもいないようだし、他を探そうよ」

 職員室に入ろうとしているところをコーセーに引き止められた。

「誰もいないから入っても大丈夫だよ。何かここで役に立つものがないか見るだけだから」

「役に立つものって何?」

「例えば、ちょっとした食べ物とかさ。いつまでここにいるかわからないから、食べられるものも確保しておかないと」

 いつまで異様な学校の中で過ごせばいいのか。

 戻る方法を探すのも大切だけど、長引くようなら食べるものも必要だ。

 かといってここで見つけられるとしたら、せいぜいチョコや缶コーヒーくらいしかないかもしれないけど。

 そういう何か食べられるものはあるはずだ。先生だって息抜きに甘いものがほしかったりすると思う。

「アメリカの学校はな、ドリンクの自動販売機だけじゃなく、お菓子の自動販売機もあるんだぞ」

 おしょうが言っていた。

 時々、持ち物検査が抜き打ちであるけども、それはナイフや危険物をもってないか確かめるだけで、お菓子を持っていてもおしょうは気にしない。

 その時にアメリカの学校の事を教えてくれた。

 アメリカの高校生はガムや飴を食べながら授業を受けていると聞いた時はびっくりした。

 授業中、堂々と食べるのはダメだけども、休み時間少し口に入れて気分転換するにはお菓子だっていいとおしょうは言っていた。甘いものは神経を落ち着かせる。

 しかし、他の先生や他のクラスの生徒の前ではするなよとも付け加えていた。

「こっそりとするんだぞ」

 おしょうは無意味な校則を嫌い、自分の受け持ちの生徒には臨機応変に自由にさせてくれる。

 だからといって全てに甘いわけでもない。理にかなった厳しい部分も持っていて、問題になったときはどうすべきなのかいつも生徒に問いかけ考えさせた。

 おしょうも人間だから腹を立てることはあるけども、それを引きずらず生徒にも八つ当たりはしない。

 それとは対照的に家庭科の沢渡(さわたり)先生は機嫌が悪いと八つ当たりでつっけんどんな態度を取ることがあり、実習でちょっと失敗すると嫌味を言ったりしていた。

 他にも贔屓する先生、特にあの体育の真田(さなだ)先生は最低だ。

 かわいい生徒には鼻の下延ばしているし、権力を盾に取っていい成績がほしければ先生を敬え、みたいなあの態度が鼻につく。

 私は大嫌いだ。

 でも先生が嫌いだからといって授業は放棄しない。

 バレエで培ったしなやかな体を使ってとことん運動能力を発揮する。

 やる事をやれば問題ないと思っていた。

 だけど、どんなに早く走っても一学期の体育の成績は『3』だったから驚いた。

 私の場合内申点が悪いのだろう。少しふてぶてしいとは自分でも思っていた。

 でも久保田美佐が『5』を貰っていたと知ったときはけっ! て思った。

 意地悪な美佐なのに真田先生の前では猫なで声でかわいこぶる。

 運動神経は私よりもはるかに劣るのに、あの媚を売った態度が真田先生には好みなのだろう。

 そして美佐は先生と個人的に会って、手を合わせて何度も「お願い、お願い」と言って何かを頼み込んでいたのを見た事があった。

 あれは露骨に成績をよくしてくれと頼んでいたに違いない。

 中学の成績の付け方ほど馬鹿なものはないと思う。

 クラスで『5』や『4』を与える数が決まっていて、もらえる生徒が少ない。

 内申点という先生の観察で得点が加算されたり、減点されたりで成績が決まってしまう。

 テストの点数がいいだけではいい成績にならないところがあるなんて、一生懸命頑張っている人たちが可哀想だ。

 でも私はそこまで一生懸命頑張ってないからどうでもいい。

 ただ、おしょうのような先生がいっぱいいたらいいのにとは思う。

「おしょうのデスクってどこか知ってる?」

 隣にいるコーセーに訊いたけど、首を横に振っていた。

「本当に入るの?」

 コーセーは赤いお面を被った男に追いかけられたから、誰かが潜んでいないか心配になっていた。

「ふたりなら大丈夫だよ。もし危なくなったら助けてあげるよ」

 普通こういう台詞は男が言うものだと思うが、コーセーは私に言われて逆に喜んでいる様子だ。

「ミーシャは頼もしいな」

 プライドもなく素直なコーセー。私はそれがかわいいと思ってしまった。

 一緒に職員室に足を踏み入れる。しんと静まり返っているのがやっぱり不気味だった。

 それぞれの机には本や書類が山積みにされたままだった。

 さっきまで先生がここで仕事をしていたみたいに、物が散乱していた。

 もしかしたら動ける先生もいるんじゃないだろうか。辺りを何度も見回した。

「やっぱり誰もいないみたいだ」

 それをいいことに目に付いたデスクの引き出しに手をかけてみた。

「ミーシャ、勝手に開けたらやばいよ」

「大丈夫だよ、食べ物探すだけだから。今は非常事態だし、見つかっても言い訳できるって」

 私は引き出しを開ける。なんとそこには筒状のポテトチップスの箱が入っているじゃないの。

「食べ物みっけ!」

 遠慮なくそれをつかみ、中身を確かめようと蓋を開けた時だった。いきなり目の前で蛇のようなものが勢いつけてびょーんと飛び出した。

「うわぁ」

「ミーシャ、大丈夫!?」

 コーセーが側に寄ってきた。そして床に落ちていた黒いものを拾って私に見せる。

「これ、開けたら飛び出すびっくり箱だね」

 コーセーはそれを縮めてまた箱の中に入れ込んで蓋をした。

「なんでそんなもの、先生の机の中に入っているのよ」

 コーセーと顔を合わせると急におかしくなって笑いだしてしまった。

「びっくりしたミーシャってかわいかったよ」

 さらりとコーセーに言われて、恥ずかしさからつい「ばーか」と彼の頭を軽く叩いた。

 その時、コーセーの顔が恐怖に慄き出した。

「大げさなんだから。そんな強く叩いてないでしょ」

「違う、ミーシャ、あそこの隅に人がいるんだよ」

「また私を驚かそうとからかっているんでしょ」

「ほんとだって。きっと机の陰にしゃがんで隠れてたんだ」

 コーセーの怯えた顔が嘘をついているようには見えず、私はゆっくりと振り返った。

 奥の窓際で女性がすっとした姿勢で立っていて、私はどきっとして息を飲んだ。

 顔があまりにも白く細い目でこちらをじっと見ている。よく見ればそれは能面だった。

 正直それは不気味で怖い。

「ち、ちょっと、誰よ。何でそんなお面被っているのよ」

 私が訊いても、一言も喋らず、ただじっと佇んでこちらを見ている。

 コーセーは無意識に私の腕を取り怯んでいた。

「赤いお面を被っていた奴がいたというのは嘘じゃないってわかったでしょ。この世界には変な奴らがいるんだよ。どうしよう」

「ちょっとそんなにくっつくなって。もうしっかりしろ、コーセー」

「早くここから逃げようよ」

 コーセーは小さく囁いた。

 でも私はその女性から目が離せない。黒いパンツスタイルのスーツを着こなしスタイルがいい。

 そこに微笑した能面がミスマッチ過ぎてどうしても怖いもの見たさで見てしまう。

 何か惹きつけるものがそこにはあるように思えた。

 能面の女はただ突っ立っているだけで、私たちを襲う気配がない。

 武器も持ってる様子もなく、ひたすらこっちを見ているだけだった。

「さっきからじろじろとこっち見てるだけで気持ち悪いじゃないの」

 自分の方からふっかけた。

「ふん、ガキの癖に生意気な」

 能面の女が喋った。

 隣でコーセーが力を入れて縮こまるのが、掴んでいる私の腕から伝わった。

「ちょっと、痛いじゃないの。コーセー」

「だって、あの女の人、なんか怖そうだよ。早く逃げようよ」

コーセーは赤い仮面の男に追いかけられたから、命を狙われると思い込んでいる様子だ。

「一体あなたは誰? 何が目的なの?」

 私は背筋を伸ばす。追いかけて来るにしても、襲撃されるにしても、その理由は一体何なのか知る権利があるじゃないの。

 この馬鹿げた世界が悪夢というのなら、なぜ自分はここに閉じ込められたのか知りたい。

 私はコーセーの手を払い、自分から能面の女に近づく。

「ミーシャ!」

 後ろでコーセーが呼んでいた。あれは鼻水垂らしていそうだ。

 能面の女も受けて立とうとゆっくりと私の方に向かってきた。

 お互いのパーソナルスペースを確保した距離で私たちは立ち止まり対峙した。

「その負けず嫌いで尖った性格は自分を強く見せようとしてるだけだろ。本当は怖いくせに」

 能面の女が言い放つ。多少はその言葉に反応してびくっとしてしまった。

 向こう見ずな自分の性格。自由きままで怖いもの知らずと人の目には映っている。

 いつもみんなからは思った事をずけずけというきつい奴と思われ、私を避ける者が多い。

 それがいつしか自分を大きく見せていると思うこともあった。

 誰にも従わず、はっきりと自分の意見を言う。それが私なりの正義感でもあった。

 だけど、ふと別の部分の気持ちが顔を出す。

 自分は無理にそういうのを演じてないだろうか。

 本当は弱い自分を隠すためにわざと悪ぶってバリアを張っているだけじゃないだろうか。

 そういう思いをどこか心の隅に抱きながら、口からはいつも威勢が飛び出していた。

 実際今も何をされるのかと思うと怖くなる。それを悟られないように私は強がっているだけだ。

「あなたも私を低く見てるから、貶そうと必死なんでしょ」

「そういう自分はそうじゃないとでも?」

「どういう意味よ」

「人の事を考えないでずけずけと思った事をいうことよ。そう言う事ができるって上から目線だからでしょ」

「な、何よ」

「ほら、自分に返って来たら言葉を失くすじゃない」

 急にカァッと体が熱くなってきた。

 目の前の能面には感情が現れてない。

 でも能面の内側で私をあざ笑っているような気がしてならなかった。

 言葉にならない喉から反射した音が「うっ」と自然に出てしまう。

「でも仕方ないわよね。まだ子供なんだから。そういう年頃はそういうものよ」

 ふーっと能面から息が漏れた感じがした。今度は冷めた目つきで見られているように思えた。

「ふん、大人だからって好き勝手言わないでよね。あなたに私の何がわかるというのよ」

 何だか悔しい。こんなにも自分がちっぽけだと思った事がないくらい、とても惨めに思えてしまう。

 能面の女はまた黙り込んでじっと見つめていた。

 その時、後ろからコーセーが私を呼ぶ声が聞こえた。

 呼んでいるというより、悲鳴に聞こえた。

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