幽霊と見たあの日の夢は終わらない

第三章


3 一之瀬光星

「ミーシャアアアア!」

 オレは咄嗟に彼女の名前を呼んでいた。

 そのほんのちょっと前、ミーシャが能面の女と対決している間、オレはそれをハラハラとして見守っていた。

 何かあったらどうしよう。どうやって彼女を助けたらいいのだろう。果たしてオレが彼女を助けられるのだろうか。

 そう考えた時、オレは無意識に机の上を見て武器を探していた。

 机の上にあったペン立て。その中にハサミがあることに気がついた。

 ステンレス製の工作用のはさみだ。あれなら武器になるかもしれない。

 ゆっくりと分からないように少しずつ近づき、手を伸ばしたときに背後からオレは腕を握られた。

 びっくりして後ろを振り向けば、あの赤いお面の男だった。

 いつの間に後ろにいたのだろう。

 悲鳴の変わりにオレはミーシャの名前を叫んでしまった。

 ミーシャは振り返る。その顔はオレと同じように目を見開いて驚いていた。

「ミーシャ、嘘じゃなかっただろ。赤いお面の男が本当にいたんだよ」

 半泣きになりながら情けない声を出す。

 オレの腕はその時きつく掴まれてぐいっと後ろにひきつけられた。

「いてっ」

「何が『いてっ』だ。卑怯にもハサミを武器に使おうとして」

 赤いお面の男が喋った。

 怖いながらも振り返れば、怯んでいるオレを見下ろしていた。

 急にひゅんと何かが縮んだようになった。

「お前は何かに頼らないとひとりでは何もできないのかよ。弱虫」

 ぶっきらぼうな口調で吐き捨てる。

「そ、そういうお前だって、う、後ろからこっそり現れて、ひ、ひ、卑怯じゃないか」

 必死に抵抗しようとしたが、声が上擦って自分でも情けない。

「ちょっと乱暴はやめてよ。コーセーを離してよ」

 ミーシャが言った。

 こんな状況でもオレのために怒ってくれるのがちょっと嬉しかったりする。

「ああ、情けないな、女に庇ってもらって。しかもヘラヘラしてさ。もっとシャキッとしろよ」

 オレは足を蹴られてしまった。

「いてっ、いきなり蹴るなんてこれも卑怯じゃないか」

「卑怯? だったら、お前は卑怯じゃないのかよ」

「オレが一体何をしたというんだよ」

 ちょっとハサミを手にしようとしただけだ。こういう場合は誰だって武器を探すに違いない。ミーシャを助けたかったからなりふり構わなかった。

 だけど赤いお面の男の答えは思っていたのと違った。

「何もしなかったからだよ」

「えっ?」

 赤いお面の男がオレの手を離した。

 オレはすぐにミーシャの元へ駆け寄った。

 赤いお面の男はじっとオレを見たままでその場から動こうとしなかった。

 能面の女と赤いお面の男に前後を挟まれて、オレもミーシャも戸惑う。そして怖い。

「お前って常に脇役だな。しかも調子のいいヘコヘコしてばかりの」

「それが、どうしたって言うんだ。それもまた生きる術なんだよ」

 自分の気にしている事を他人に言われると腹が立ってつい開き直ってしまった。

「そのニヤついた顔、見ていて苛々する」

「だったら見なければいいだろ。一体お前は誰だよ」

「このお面をよく見てみろよ」

 赤いお面を指差して顔を前に突き出した。

 それは赤いから赤いお面と言っていたが、詳しく言えばどこか戦隊モノのお面にも見えた。

 でもオレの全く知らないものだ。オレは初代から続くシリーズをずっと知っている。

 その時代に生まれてなくても、DVDやネットで配信されるストリーミングで全部観た。

 でも目の前のお面はどのシリーズにも当てはまらない。

 偽物か町興しのために作られたどこかの知らない地方のパロディものにしか見えなかった。

 だけどその赤のお面が何を意味しているのか考えたら、それが誰であろうともオレには侮辱に思えてならない。

 小学生の時になりたかった赤色の戦隊の役。なれなかった僕をあざ笑うためにわざと見せつけているようにしか思えなかった。

 そしてオレはそれを怖がって逃げている。仮にも赤の戦隊はオレにはヒーローなのに。

『何もしなかったからだよ』

 先ほどの赤のお面が言った言葉がひっかかる。

 何もしなかったとはどういうことだろう。

 だが考えるまでもなかった。その通りにオレは何もしてこなかった。

 おかしいと思っても反対意見を言うことも、命令されて嫌だと思っても抗うことも、そして広瀬の事件の真実を知っていても正義を貫く事をしなかった。

 だからオレはずっと赤色の戦隊のリーダーにはなれなかった。オレは脇役でも悪党のどうでもいい数合わせのためのエキストラだ。

 目の前の赤のお面の男はパチモンであっても堂々と戦隊の赤のリーダーになっている。

 体も適度に筋肉が付いて引き締まっていた。それが悪役のポジションだとしてもお構いなしに自信溢れた姿に見えた。

 ミーシャの前に現れた能面の女性。オレの前に現れたパチモンの赤の戦隊。ここが広瀬のいう悪夢の中だとしたら、これは僕たちが勝手に作り出した心の中の恐れなのかもしれない。

 何も広瀬だけが作った世界じゃない。オレたちが巻き込まれたということはオレもこの世界を作り出してしまったに違いない。そしてミーシャも多分そうなのだろう。

 オレたちの心の中の恐れやコンプレックスが今目の前に現れている。

「ミーシャ、ここから逃げよう」

 先ほどのように怯んだオレじゃない。本気でミーシャを守ってここから逃げるべきだと思った。

 まともに戦っても素手では絶対に勝てる相手じゃないから、ここは一旦引いて作戦を練るべきだ。

 こいつらを倒せばきっとオレたちは元の世界に戻れるはず。

 オレはミーシャの手をがっしりと掴んだ。

「うぉー!」

 そして腹の底から声を出して赤のお面に突進する。ふいうちを狙って突き飛ばそうとしていた。

「おっと」

 だが赤いお面の男は闘牛士のようにオレをするりと避けた。

 「えっ」と一瞬思ったけども、そのままミーシャを引っ張ってオレは職員室から脱出した。

 ミーシャも必死にオレについてきていた。

 勢いつけて廊下を我武者羅に走ったその時、階段から降りてくる誰かと角で鉢合わせになってぶつかってしまった。

「うわぁ」

「うぉぉ」

 どちらも大声でわめいてしまった。

「ああ、広瀬!」

「えっ、コーセー!?」

 オレたちはぶつかったところを抑えながら叫びあう。

「あっ、理夢!」

 オレの手をするりと抜けてミーシャが理夢に抱きついた。理夢は体を強張らしている。それを見知らぬ男子生徒が後ろで見ていた。

 誰だろうと思ったけど、広瀬は後ろを気にして落ち着かないでいた。

「とにかく逃げないと」

 広瀬が言うと、オレも同じように「そうだ、逃げないと」と言った。

 お互い顔を合わせてなんだかわからなかったけど、みんな何かに遭遇して逃げているとすぐに理解した。

「あっちに行こう」

 職員室は危ないし、階段の上も危ないのならどっちでもない方向しかない。そのまま走り出し隠れる場所を探す。

「保健室に隠れよう。あそこなら出入り口は一箇所だ。内側から鍵をかければ入って来れない」

 オレがいうとみんな首を縦に振り同意してくれた。

 オレは先頭を走りみんなを誘導する。こんなの初めてだ。いつもは自分がついていくばかりだったのに意見を言って実行する。

 オレだってやればできるんだ。

 保健室のドアの前にきた時、オレは息を落ち着けそしてガラッと引き戸を引いた。

 中に誰もいない事を確かめた上で、ひとりひとりを誘導する。そして廊下の様子を見てからオレも中に入った。その直後、鍵を閉めたところで、息を吐いた。

「ふげー」

 意味もない言葉がでると強張っていた緊張が一度に解けて、やっと落ち着けた。

 保健室は病院の相部屋の雰囲気がする。

 端にベッドが二床、カーテンで区切りがされ、そのカーテンを引っ張ればベッドの周りを囲んで個室みたいになる。

 部屋の壁際には保健の先生が使うデスクがあって、そこは診療所のように見えた。

 そして部屋の真ん中に四角いテーブルが置かれ、ここで自主学習するようにも出来ている。辛い時や問題を抱えている生徒がここに身を置く事ができる。

 そんなことをしたら仮病をつかってサボるやつがでるんじゃないかと思ったけど、保健の先生はプロだ。きっちり見極めて上手く機能しているらしい。

 中には否定的な先生もいるらしいけど、オレたちが入学するずっと前からおしょうが必要だと言い切って出来たシステムらしい。

『時には逃げたっていいじゃないか。自分を弱虫だなんて思うな。逃げることだって勇気がいるんだぞ』

 誰に言った言葉なのか、一般的な話の例えだったのかもしれない。だけどその言葉を発した時、おしょうと目が合ったから、僕はドキッとしたのを覚えている。

「だけど、無事でよかった。急に消えたからさ、教室に残ってたものは大混乱だったんだよ。それでコーセーと探しにきたんだ。頼りない奴だと思ってたけど、コーセーはやるときはやるやつだったよ」

 ミーシャがオレをちらりと見た。

「そ、そうだよ。やっとわかってくれたのか。ハハハハ」

 つい調子に乗ってしまった。ミーシャの呆れた目が突き刺さる。

「へへへ、なーんてね」

 やっぱり最後はヘラヘラとおどけてしまった。

 ミーシャはオレの側に来て「ばーか」とこつんと頭を叩く。でもその顔が笑っていたので、オレは構ってもらえた事が嬉しかった。

「ところで、その人は誰なの?」

 落ち着いたところで、オレはそいつを指差す。全然知らない奴。でも顔が整ったイケメンだ。

「彼は、三年生のショーアさんというんだけど……」

 広瀬が頼りなく紹介する。

 一年上の先輩か。でもショーアという名前が変わっている。きっとニックネームなのだろう。オレだってコーセーだし、ミーシャもカタカナ名だし、オレは普通に受けいれた。この場をしきろうとオレは気取ってしまう。

「どうも初めまして、オレはコーセーです」

「私はミーシャ」

 オレたちもニックネームで自己紹介した。一応ショーアは挨拶として簡単に首を縦に振っていた。

「そっちも逃げていた様子だけど、誰に追いかけられていたの?」

 広瀬が訊いた。

「追いかけられたというより、対立してた」

 オレは教室から飛び出して赤いお面に遭遇したことから、ミーシャが後を追ってきてふたりで広瀬たちを探して職員室に入った時のことを話した。

「それで、ミーシャは能面の女、オレは赤いお面の男と言い合いしたんだ。だけど向こうは大人で敵うような相手じゃないから、それで必死で逃げて来たんだ。そっちは誰に追いかけられたんだ?」

「僕たちは美術室でショーアさんと出会ったんだけど、そこで色々と話しているうちに掃除用具入れが勝手に開いてそこからスクリームのお面を被った黒尽くめの奴がナイフをかざして出てきたんだ。それで逃げて来た」

 広瀬たち話の方が怖い。映画さながら完全に襲われようとしているじゃないか。

「それってホラーじゃないか」

「そうだよ、本当に怖かった。一体あれは何なんだろう」

 広瀬はまた思い出したのか身震いしていた。

その話を聞いてミーシャは理夢に寄り添った。

「理夢、怪我はない?」

「うん、大丈夫。近寄ってくる前に逃げたから」

 理夢はミーシャに心配されたことで安心感を得たようだ。人は優しくされるとほっとする。怖い思いをしたらしいけど、ミーシャのお陰で少し口元が綻んでいた。

 その隣でショーアはまだ呆然としている様子だ。

「えっと、ショーアさんのクラスでは他に動ける人はいないんですか? いたら探しにいかないと、こういうときはみんなで固まっていた方が安全だから」

 一年上だけど、先輩後輩なんか関係ない。みんなで力を合わせないといけない気がした。

「ボクは、ここにはひとりで来たんだ。その、ボクは、じさ……」

「ああー、えっとその時差があったみたいな」

 広瀬が横から被せるように話し出した。

「時差?」

 オレが聞き返すと広瀬は「そうそう」と頷く。

「僕たちよりも一足早くここに来て、ずっとひとりだったみたい。それで校舎をぶらついているところ、勝手に僕と佐野がいちゃいちゃしてるって勘違いして逃げるんだもん。あーまいったな」

「そういえば、広瀬は佐野の手を握って教室を飛び出したもんな」

「だろ。僕もなんて大胆な。ハハハハ」

 なんか広瀬らしくないけど、オレみたいにヘラヘラしてるのはちょっと親近感が湧く。

「オレもそういえば、ミーシャと手を繋いでさ」

 つい対抗したくなっていってしまったが、ミーシャはそんなこと全然気にしている様子がなく理夢と喋っていた。

「とにかく、ショーアさん。何も気にせず僕たちと一緒にいよう」

「広瀬君……」

 ふたりは意味ありげに見詰め合っている様子だ。広瀬も相手が先輩だから気を遣っているのだろう。

「この世界はオレたちが恐れてるものや悩んでいるものが実体化して脅かしてくるんじゃないかって思うんだ」

 オレは自分の感じた事を言った。赤いお面はオレの恐れ、能面の女はミーシャの恐れという事を位置づけた。

「それじゃあのスクリームの殺人鬼は僕の恐れなのか?」

 広瀬が呟く。

 本人はあまりピンときてなさそうだが、殺人鬼という言葉を聞いたときオレはハッとする。

「広瀬は田原に脅されて窓から突き落とされた。その時の恐怖なんじゃないかな」

 オレが言った言葉に広瀬の顔が強張った。その広瀬と向き合い覚悟を決めた。

「広瀬ごめん。あの時、オレは全てを見ていたのに何もしなかった」

 ミーシャが見ている。こんな話を聞いたらオレは軽蔑されるだろう。だけど、今オレは広瀬に謝らないといけない。

「条野は広瀬がいないところで好き勝手に広瀬の事を言っていた。広瀬が描いた漫画も面白がって他の奴らに見せていた。条野 は従順な奴に近づいては自分を信用させてコントロールする奴なんだ。個人的に内緒だからとか、お前だから言うんだとか、いかにも特別な関係にみせかけて信 用を得ようとするんだ」

 広瀬は拳を握りながら顔を歪ませていた。でもオレは正直に話す。

「オレは条野がどういうやつか知っていて何もいわなかった。条野は嘘をついて周りを引き込むのが上手く、人望が厚いと思わ せてみんなを騙す。実際女の子にももてていただろう。ああいう奴を相手すれば自分が不利になることが分かっていたんだ。だけどボクもまた利用される側だっ た。広瀬がいたことで注意がそれただけさ。許される訳はないけど、本当にごめん」

「スケープゴートってやつだよね。あーあ、やっぱりコーセーらしいな。ヘラヘラして柔軟だけど、ふりをしてたってことだ。お調子者はずるい奴か」

 やっぱりミーシャは容赦ない。心を通わしたと思ったけど、聞きたくない事をはっきり言われてしまった。

「でもさ、それってやっぱり自分を守ってたってことだろ。コーセーもそういう自分が嫌だと思いながら、仕方なくそうなってしまったんだろ」

 オレはミーシャを反射的に見つめた。彼女は哀れむように微笑んでいた。

「私もきついこと平気でいうけどさ、それって結局自分を守るためなんだよね。人を寄せ付けないようにとか、強く見せようと するとかそういう感じ。私とコーセーは正反対の態度だけど、自分を保とうとする点では同じだと思う。私もいいわけさせてもらうなら、継父の暴力が反発力に なってしまったところがあったんだ」

 誰も知らなかったミーシャの家庭環境にハッとした。

「コーセーを庇うつもりはないけど、どうしようもない立場におかれたとき、人は本能で自分を守りたくなるんだと思う。それが間違っていても、目の前のものが絶対的な強さを見せ付けたら、コーセーのように屈服するか、私のように反抗するかのどちらかになると思う」

 ミーシャの言葉はオレの胸に染み入る。

「でも、それでもコーセー君やミーシャさんは本当に強いと思うよ。どちらにもなれなかったものもいるから」

 ショーアが発言した。

 どちらにもなれなかったもの? それはなんだろうと思っていたとき、広瀬がまた被せるように口を挟んだ。

「そうだよ、あの時はみんな田原が怖かったんだよ。あいつは頭がおかしいくらいの不良だから、先生すら恐れた。僕だって被害に遭っておきながら正直に言えなかった」

「あいつも家庭環境複雑そうだからな。かなりぐれてる。おしょうですら梃子摺(てこず)っていたもん」

ミーシャが困った顔つきを見せていた。

「おしょう?」

 ショーアは不思議がった。

「僕たちの担任の先生なんだ。馬場先生っていう名前なんだけど知らない? 下の名前はナオカズだったっけ? ちょっと見かけが住職っぽいんだ」

 広瀬が教えると、ショーアは「いや、知らないけど」と困惑した表情を見せた。

「学年が違うと知らない先生がいるもんね。私も同じ学年を担当している先生でも授業とか受けてない先生はあんまりピンとこない」

 ミーシャはその後、体育の真田先生はこうだとか、家庭科の沢渡先生はこうだとか悪口が入った。

「その点、オレたちのクラス、おしょうが担任になってよかったよな。ちょっと若作りしようと見かけは痛いけど、オレたちの事よく考えてくれている。今になっておしょうが言った色んな言葉が思い出されてさ、身に沁みるんだ」

「私もおしょうには助けてもらった。照れくさくてさ、あんまり面と向かってお礼は言ってないんだけど、へへへ」

 ミーシャがオレのように誤魔化して笑ってるのは意外だった。

「君たちに好かれていていい先生みたいだね。ボクもそういう先生が側に居てくれていたら……」

 ショーアは微笑むも寂しげに下を向いた。

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