第四章

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 ◇澤田隼八の時間軸

 僕は確信している。
 商店街で栗原さんを待っているときに婦人服店のお爺さんが僕に饅頭をくれた。その時おじいさんはデジャブーを感じた。
 そして僕が渡された饅頭も丸く包装されていたものから四角いものに変わった。あのとき、ズレが起こってそれが栗原さんの世界線と少しだけ交わった。
 ここで犬が鳴いていたのも動物が感じる特別なセンサーが空間の歪みの感知をしたに違いない。それを裏付けるように、飼い主が感じたデジャブー。あれも栗原さんが同じように犬が吼えていることに疑問を持って訊いたのだろう。
 今ぼくたちは同じ場所にいて、この桜を見ている。この場所に栗原さんが来ている。
 桜の花びらを集めて象《かたど》られたハート。僕はそれをじっと見ていた。この狭い範囲だけが今あちら側の世界線と交わっている。
 なぜそれが起こっているのかと考えた時、この場所で僕たちはお弁当を食べる世界線があったのかもしれない。それは事故の起こらなかった世界線。
 もしそうだったとしたら、僕は栗原さんに声をちゃんと掛けられたんだと思う。そのいくつかの僕たちの重なりがここに奇跡を起こしている。
 きっとそうに違いない。
 それを強く信じて、僕はその桜のハートの上にケーキの入った箱を置いた。


 ◇栗原智世の時間軸

 私が目を開けたとき、そこには白い小さな箱が置かれていた。
「うそ!」
 あまりにもびっくりして、誰かのいたずらなのかと辺りを確認した。周りには人がいない。
 時折り、スズメがちゅんちゅんと戯れて、桜の花がひとつふたつと間隔をあけてこぼれていた。
 とても静かな午後。そこに突然現れた白い小さな箱にドキドキしながら中を覗けば、ふんわりと絞った白いクリームの上に赤い苺がのったショートケーキがふたつ入っている。
「これは……」
 ケーキをふたりで食べる約束も澤田君は覚えてたんだ。
 私は桜の木を背後にして地面に座り込んだ。隣に置いた箱からひとつケーキを取り出す。
「ひとつで十分だから、残りは澤田君の元へ戻ってください」
 ケーキを手にして、頭上の桜を見上げながら言った。
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