第十章


 すっかり遅くなってしまい、プリンセスがお腹をすかせているんじゃないかと、家の最寄の駅についてからケムヨは早足で歩いていた。
 家の門についてから玄関のポーチを見て、心配する必要はなかったと顔が緩む。
 その時なぜかほっとして笑みがこぼれていた。
「よっ、遅かったな」
 玄関先の電灯にぼんやりと優しく照らされて将之がポーチに座り込んでいる。
 その隣でプリンセスもちょこんと前足を揃えて座っていた。
 なんだか絵になるような光景でかわいい。プリンセスも、もちろん将之も。
「ちょっと何してるのよ」
 ケムヨはお決まりのように責めた言葉を掛けるが、顔は緩みきって迫力がない。
「プリンセスの様子を見に来た。それとケムヨの顔が見たくてずっと待ってた」
 優しく言われると、少しドキッとしてしまったが、敢えてリップサービスとして捉える。
「家の中に入って待ってればよかったのに。シズさんもお茶くらい入れてくれたのに」
 ケムヨはもう将之のことを否定しなかった。 
「実はシズさんにそうしろって誘われたんだけど、こうやってプリンセスと一緒にケムヨが帰ってくるのを待っていたかったんだ」
「プリンセスはすっかり将之に懐いたね」
「ああ、そうだな。梅雨に入るまでには引き取るつもりでいる。今は家が片付いてなくて、それにちょっと大切な用事があって猫に邪魔されると困るんだ。それが終わったら問題ないから」
「そっか、それにしてももうすぐだね」
「それじゃ、ケムヨの顔も見られたことだし、俺帰るよ」
 プリンセスの頭を撫ぜて、将之は立ち上がった。
 あっさりと帰ろうとする将之にケムヨはなんだか引き止めて一緒にビールを飲みたい気分になってくる。
 だか、そんなことは言えずに、黙って将之を見つめていた。
「あっ、そうだ、これ」
 将之が背広のポケットから袋を取り出し、ケムヨの前に差し出した。
 その中には小さな色とりどりの星のような形をした飴が詰まっている。
「これは、コンペイトウ?」
「うん、店に売ってあるのを見て衝動買い。なんだか星を一杯集めてきた感じがするだろ」
「ありがとう。こんなにきれいな星だとこれを食べて願い事をすれば叶うかもね」
「いや、それは一粒食べることに俺のことを考えてしまうのさ」
「相変わらずね」
「なんてね。そうだったらいいなって思ってね。とにかく疲れたときにでも食べてくれ。それじゃあな」
 将之はそういい残して去っていった。
 今度はケムヨとプリンセスが横に並んで一緒に見送った。
 なんだかどちらも名残惜しそうに将之の去っていく姿を目で追っていた。
 将之が見えなくなるとケムヨはプリンセスに向き合う。
「プリンセス、もうすぐシンデレラのように迎えがくるんだよ。将之という王子様に出会ってよかったね」
 プリンセスは無表情にケムヨを見つめていたが、じっと見つめられるとプリンセスにそれは自分の方じゃないのかと問われている気分になってくる。
 思わず首を横に振って「違う、違う」と一人で突っ込んでいた。
 そしてプリンセスが「ニャーオ」とあどけなく鳴くと、ケムヨはそっとプリンセスの頭を撫ぜ「おやすみ」と声を掛けて家の中に入っていった。
 プリンセスはその場で暫く座っていたが、誰ももう構ってくれないとわかると大きく一度体を伸ばしてから暗闇に消えていった。

 将之が駅に向かって歩いていると、目の前に男の影が立ち止まり不気味に睨んでくる。
 無視を決め込んで見ないフリをしていたが、声を掛けられてその人物が誰だか気がついた。
「将之、一体ここで何をしている」
「翔さんこそ、こんなところで会うなんて奇遇ですね」
 二人とも挑戦的な目を向けて会話をする。
「ケムヨにはこれ以上近づかないでくれるか。将之がいると邪魔なんだ」
「そっちこそ、いい加減諦めたらどうですか。もう終わってるんでしょ」
「何を生意気に。結局は相手にもされず、まだ何も始まってもないくせに」
「いえ、もう始まってます。俺はケムヨの心を掴む準備ができてます」
「言ってくれるな。だがケムヨの心は今俺にぐらついてるぞ。俺達が付き合ってきた時間は否定できるものでもないからな」
 翔はかつてのケムヨの恋人であり、ケムヨが好きになったという事実を将之はどうしても恐れてしまう。
「終わったらそれまでなんですよ。翔さんもそれを恐れているからストーカーみたいにこの辺をついうろつきたくなるんでしょ」
 今度は翔が言葉に詰まる。
 確かにじっとできなくて、オフィスでケムヨと別れてから暫くどうすべきか考えていたが、感情が先立ってつい後をつけるような真似をしてしまった。ストーカーの気持ちが分かると言ってもいいくらいだった。
 結局はなんの対策も浮かばず、落ち着いてられなかったのだった。
「それじゃ俺は忙しいのでこれで失礼します」
 将之がすれ違おうとした瞬間、翔はありったけの憎悪を込めて言った。
「あまり図に乗るなよ」
 将之は何も言わず平常心を装い去っていく。本当は手でも飛んできて殴られるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。
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