第十一章


 昼休みが終わり、留美との相談もすっきりしないまま仕事をすることになる。
 翔が来てから、雑用以外の仕事が増え、社員や派遣と同じようにケムヨは一般業務をやらされていた。
 こき使われているという感じがしてならない。
 翔はまだ二日目だというのに、すっかり部署に馴染み、部下の心もがしっと掴んでいた。
 昔からそういうことは上手かったと再認識してしまう。
 だからケムヨも翔のそういう魅力に惹かれて簡単に心を奪われてしまった。
 またまじかでそのような姿を見せられてケムヨは心惑わされてしまいそうだった。
 だが、一人抵抗して無視をするような意地を張るわけにも行かない。
 それに翔と仕事をしていると、久々に脳のシナプスが敏感に接続されて色々とアイデアが出てくる。
 社長もこれを期待してわざとケムヨの前に翔をしむけたのだろうかと、自分の刺激にもなっていることに気がついた。
 仕事についてはそれでいいとしても、やはりずっと翔と顔を合わせるのは過酷すぎた。
 その裏で周りは翔の影響を受ける。
「課長よりも勝元さんの下で働く方が楽しくて遣り甲斐があるよね」
 誰かがそんなことを言っていた。
「もしかしたら出張は建前で課長はリストラされて勝元さんが補佐から課長になるのかも」
 などという輩もいた。
 ここまで翔が評価されると、人の心を掴む術に脱帽だった。
 自分一人、私情を挟んでいる事が悪いことのように感じてくる。
 これもまた翔の思う壺というところだった。自分を見て欲しいと言うことはこのことだった。
 ケムヨは大きく息を吐いた。
「勝元課長補佐、書類ができました」
 指示された仕事をケムヨは手渡す。
「おう、サンキュー」
 アメリカ仕込みの舌を噛んだTHの発音で翔は返事を返す。
 アメリカでもこんな風に三年間頑張ってきたんだろうと容易に想像できた。
 翔のすごさは時を経ても、辛い想い出があったとしても、やはり根本的ないい部分は変わってなかった。

 そんな時、慌しくオフィスの中を走り回っていると、優香と狭い通路で肩が触れてしまった。
「ごめんなさい」
 そう言ったのはケムヨが先だった。
 優香は相変わらず無視を決めこんでいたいたみたいだが、寂しい瞳をケムヨにぶつけていた。
 ひっそりと悲鳴を上げるように本当は助けて欲しい様子に伺えた。
「優香さん、あの」
 ケムヨが引きとめようとしたが、翔に「ケムヨ、これ一体どうなってるんだよ」と叫ばれて慌しくデスクに戻る。
 優香はやはりまた冷たい目でケムヨを一瞥し、不機嫌な態度を取っていた。

「おい、このスケジュールどういうことなんだ」
 翔がケムヨの勤務時間を見て質問する。
「私はそのパートですから、こういう扱いでして」
「それにしても休みが多すぎるじゃないか。もっと仕事に出てこれないのか」
「だから私はパートで……」
「何を言ってるんだ。会社が必要とする人材がパートでどうするんだ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。私じゃなくても他にもっと適任者がこの部署にいます」
 翔は納得できない顔をしていた。
「スケジュール変更できないのか?」
「できません」
 ケムヨには掛け持ちの仕事がある。それを考えたら今後こっちの仕事の方ができなくなってしまう。
 そろそろ家業を継ぐ日もせまっている。
 そんなこと言える訳がない。
「仕方ないな。園田主任ちょっと来てもらえませんか?」
 名前を呼ばれて、園田睦子は張り切った声で返事をしてすばやく翔の前に現れた。
 その後は二人で綿密に今後の仕事のことを練っていた。
 園田睦子は見たこともないような生き生きとした表情で翔を見つめている。
 どうやら翔の魅力にとり憑かれているようだった。
 女性に持てるのもやはり健在だった。
 これが以前のケムヨの心配の種で、そしてそれが結局は浮気に繋がったと再び嫌なシーンが蘇ってしまった。
 ふと見れば、戸棚のガラスに一人振り回されている姿が映っている。自分の目から見ても呆れてくる。
 翔のあらゆることに反応しては、一体自分は何をいちいち考えているんだ。
 そう思うとケムヨは情けなくなってきた。
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