第十一章


「あっ、やっぱりケムヨさんだ。こんばんは」
 場違いに陽気に声を掛けてくる。以前、合コンで出会った将之の友達の楠井貴史だった。
 取り込んでいるときに来られると気持ちをすぐに切り替えられず、ケムヨは声を出せなかった。
 かろうじて会釈だけはした。
 さすがに貴史もまずかったかなともじもじしてしまう。
 だが、貴史は分かってこの二人に近づいた。ケムヨたちが抱きついていたところもしっかりと見ていた。
「いや、すみません、邪魔したみたいで」
 謝るがそれは白々しく二人の耳に届く。
「この方はケムヨさんの彼氏ですか?」
「だったらどうなんだ。君には関係ないだろう」
 翔は不躾につい八つ当たってしまった。
 それでも貴史は全く応えず、調子のいい営業マンのように気軽に接してくる。
「いえいえ、それは関係ありますよ。将之にすっかり騙されてました」
 将之という名前を聞いて翔はピクリと反応した。
「君は将之の友達なのか?」
「はい、そうです」
「だけど『騙されてました』ってどういう意味なの?」
 ケムヨが説明して欲しいと訝しげに眉を顰めた。
「実は、あのとき合コンで賭けをしてたんですよ。男に反応を示さない女性、これはケムヨさんのことですけどね、とにかく将之がケムヨさんを口説けたら勝 ちってね。そしたら将之負けたくないために意地になりまして、時間はかかったけど結局は上手くいったっていったんですけど、それ将之の嘘だったんですね。すっかり騙されるところでした」
 自分の言ってる事が失礼に値するとも思わず、貴史は軽いノリでいとも楽しげに語った。
 周りの薄暗さはスクリーンを掛けた様に、ケムヨの顔に出た表情をぼやけさせていたが、短く息を飲み込んだ音が微かに漏れた。
 その後は夜の静けさに同化するように黙り込んでいた。
 ケムヨが動かないその隣で、翔は止めを食らわすようにその話がもたらす重要な意味を纏め上げた。
「そっか、結局は将之は遊びでケムヨに近づいていたってことなのか。これはいい話を聞いたよ。ありがとう。ケムヨもしっかり聞いたよな今の話。将之ってそういう男だったんだよ」
 ケムヨは思わず星に問いかけるかのように夜空を見上げた。
 その時さっきまで見えていた小さな星の明かりも見えなくなっていた。
 真っ黒な空は自分の心まで暗く闇に染めていく。
「ケムヨさんも隅に置けないですね。結局はいい人が居たから他の男に見向きもしないっていう意味だったんですね。ケムヨさんにも騙されたかな。アハハハハハ」
 貴史の笑いは乾ききっていてわざとらしいが、悪気は全くなさそうだった。
 だから将之との賭けのことも全く悪びれずにシャーシャーと話してしまった。
 最初は将之を合コンに参加させるために、貴史がゲームを仕掛けた張本人であることも伝えず、きっかけはなんであろうと将之が本気でケムヨを好きでいることも確認せずに、貴史はそれが将之にとってどれだけ都合の悪いことか知る由もなかった。
 話のネタのように軽いノリで話してしまったのは、自分が損をしたくないからだった。
 嘘ならば約束したとおり、将之の父親の会社と取引ができる。自分の利益の事しか考えてなかった。
 貴史の登場で、翔はチャージアップしたように回復していた。
 その後、貴史は最後も陽気に笑って去っていった。 
「なんだか面白い人みたいだね。だけど、ケムヨが合コンに参加して、そこで将之と知り合ってたのか。将之って結構遊び人ってことだったんだ。もう少しで騙されるところだったな」
 将之とその話が噛み合わない違和感を抱きながら、ケムヨは暫く黙り込んでいた。
 だが考えれば、初対面であそこまでしつこく近寄ってきたのは、この時思えば納得できる。
 将之に取ってはやっぱりゲームだった。それは最初から自分も分かっていたことだったのに、ケムヨはなんだか気が抜けた状態になっていた。
「おい、ケムヨ、大丈夫か?」
「えっ、大丈夫に決まってるじゃない。遅くなってきたから私、タクシーで帰る」
「それじゃ俺も一緒に……」
「一人で帰れるわよ、それじゃおやすみ」
 ケムヨは道路沿いに出て、タクシーを探す。
 この時間は空車が溢れていたために簡単に乗り込める事ができた。
 ケムヨが帰宅を急いだことにどういう意味があるのか気になりながら、翔はケムヨの乗ったタクシーを最後まで見つめていた。
 車が横切ったとき、ヘッドライトの光が翔を照らしていく。
 そのときに浮かび上がった顔は、しっかりと口角を上げていた。
 光と闇の明暗の中の翔の微笑みは不敵さが益々強調されているようだった。
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