第十二章


 修二が運転する車の後部座席で、ケムヨは将之を抱きかかえるように支えていた。
「ケムヨさん、本当にすみません」
「いいえ、こうなってしまったのも私の責任です。こちらこそ申し訳ございません」
 泣きそうな声で答えるケムヨに、その後修二は何も言えなくなった。
 修二もそっとしておこうと、その後運転に専念して、暫く静かに走行していた。
 その間、ケムヨは自責の念に駆られながら疲れきって眠っている将之を見つめていた。
 
 車を降りてからはケムヨと修二は雨の中、将之を真ん中に挟むようにしてマンションまで運んだ。
 将之は朦朧として、時折ぶつぶつと何かを言っている。
 その話し方は小さな子供のようにたどたどしく聞こえた。
 合鍵を持っていた修二はドアを開け寝室へと向かい、将之をベッドに寝かして、二人は仕事が終わったように深く息をついた。
「将之、大丈夫でしょうか?」
「このまま静かに寝かせておけば多分大丈夫でしょう。それよりも何か飲みませんか。重いものを運んですっかり汗を掻いて喉がカラカラです」
 太り気味の体系では少し動くと汗をたくさん掻きやすいのか、修二は雨と汗でびっしょりだった。
「私は大丈夫です」
「そしたら少しだけ私に付き合ってもらえませんか。なぜ将之が発作を起こしたかご説明します」
 修二はケムヨを居間へと案内する。
 一度来た事がある部屋。
 ケムヨを楽しませようとデコレーションで飾り付けをして、あの時は将之とここで星を見てお酒を交わしていた。
 そんなことを思い出しながら部屋を見回すと、ダイニングテーブルの上がかなりごちゃごちゃと物が置かれているのが目に入った。
 修二は冷蔵庫からウォーターボトルを取り出し、それをごくごくと半分くらい飲んでからケムヨと同じ場所を見つめていた。
「もう少しで出来上がりだったのか」
「将之は一体何をしてたんですか」
「どうか、ケムヨさんの目で確かめて下さい」
 ケムヨはテーブルに近づき、目を見張った。
「こ、これは」
 テーブルの上には、たくさんの資料となった本や雑誌の切り抜き、そして色とりどりの絵の具や使ったまま、放り出されたために絵の具が固まってしまったパレットや筆など散らばってあった。
 そして真ん中には絵が描かれたイラストボードが置かれている。
 その絵はヨーロッパの絵本に出てくるような、またはルネサンスに代表されるような絵柄で、美しいお姫様と剣を持った王子様が今にも飛び出してきそうなほど生き生きと描かれていた。
「これ、将之が描いたんですか?」
「そうですよ。なかなかの腕でしょ。かなりブランクがあったのにまだこれだけのものが描けるなんてすごいと私も思います。だけどその絵柄に決まるまで大変 だったんですよ。あーでもない、こーでもないって、私も色々とアドバイスして、ようやくやっぱり本格的な絵柄で描こうということになったんです。これなら ケムヨさんも気に入るだろうって」
「この絵を私のために描いたってことですか?」
 ケムヨはじっと見つめていた。
 確かに救ってやるとは何度も聞いていたが、こういう形で絵にしていたとは驚きだった。
 ケムヨがじっとその絵を見つめているときに修二は驚く言葉を発した。
「実は将之と私は本当の兄弟じゃないんです」
「えっ?」
「そして将之にとったら、父と母も本当の親ではありません」
「ど、どういうことですか?」
「将之の本当の家族は不幸な事故で亡くなっているんです」
 ケムヨは驚きすぎて声がでなかった。
「将之は私の家族が引き取ったので篠沢の姓を名乗ってますが、本当だったら正木でした」
「えっ? マサキ?」
「そうです。正木将之。ちょっとした語呂合わせみたいな名前でしょ。事故で亡くなった妹もマサコって言いました」
「マサ…… キ……」
「ケムヨさんはマサキマサユキという名前を聞いたことありませんか?」
 ケムヨには過去にマサキと言う名前の友達がいた。
 だがそれはずっと下の名前だと思っていた。
「まさか、将之は私の知っているマサキ君?」
「将之の奴、偶然にケムヨさんのお父さんにお会いしたそうですね。その時、家族写真を見せられたそうです。それはかなり古いものでしたので、ケムヨさんの小さい頃のお姿が写っていて、そこで将之は昔一緒に遊んだエミコちゃんのことを思い出したといいました」
「嘘……」
「ケムヨさんのお父さんも、何度とエミコという名前を言ったので、それでケムヨさんがエミコちゃんだと確信したそうです。それと同時にエミコちゃんとの約束を思い出したんですよ」
「それって、私が悪い魔法使いからお姫様を救う王子様の絵を描いてって言ったことですか?」
「その通りです。将之はそれを思い出して、それでケムヨさんを驚かせようとしてこの絵を描いたんです」
「あ、ああ」
 ケムヨの目から想い出が混じった涙が零れ落ちてきた。
 幼い頃に出会ったマサキが将之だった。
「将之の家族が乗った車は、対向車線から居眠り運転をしていたトラックに突っ込まれたんです。行楽地から帰るときの出来事でした。その時奇跡的に将之だけ が助かりました。将之は事故後も一人意識がある中、助けが来るまで地獄絵を見続けました。前の席に座ってた両親は即死、隣に居た妹は虫の息でした。辺りは すでに 暗く、恐怖心が一層引き出されて、それは戦慄のごとく悲惨な事故でした。将之はそれ以来、夜を恐れ、一人になることを怖がり、それがトラウマとなってしま いました。そして、引き取る予定だった猫が轢かれたところを見て大切な人を亡くした事故を思い出してパニックに陥ったんだと思います」
「プリンセス……」
 部屋の隅に置かれていたプリンセスが使うはずだった猫のグッズが、ケムヨの目に留まった。いたたまれなくて思わず目を伏せてしまう。
「修二さん、私……」
 ケムヨの声は震えていた。足も震えて立っているのがやっとだった。
「ケムヨさん、こんな将之ですけど、見放さないでやって下さい。私の両親は将之の両親と共に大学時代からの友達同士で常に家族付き合いをしていたんです。 それがあったからうちに引き取られ、その後もいつもいい子を演じて、迷惑かけまいと頑張ってきた奴なんです。私がしっかりしてないもんですから、将之は心 配かけまいと遠慮して、役に立つことばかり考えていました。だからこそ私も将之のために何かをしてやりたいんです。でも私にできることはケムヨさんにお願 いする ことしかできませんが」
 修二はケムヨに頭を下げた。
「修二さん」
 その時奥から叫び声が聞こえてきた。
 二人が駆けつけると、将之は子供に戻ったように「パパ、ママ、マサコ」と名前を何度も呼んでうなされていた。
 ケムヨは将之の側に駆けつけ、将之を抱き寄せた。
「将之、大丈夫だから。ここに居るからね」
「ママ、ママ」
 次第に将之は再び落ち着き、そして寝息を立てだした。
 ケムヨは雨で少し湿った将之の髪を優しく撫でていた。
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