第十三章


「し、篠沢さん、お待ちしておりました、ど、どうぞおあがり下さい」
 ゲンジは困惑しながらも将之を家にあげようとするが、将之も狼狽しきってこれで本当にいいのか神経が麻痺していた。
「こ、こちらでございます。あ、あの、篠沢さん……」
「はい?」
「あっ、その…… いえ、なんでもございません。どうぞお気を楽になさって下さい」
 ゲンジは何か言おうとしたが、本人を目の前に何も言えなくなって口を噤んだ。
 将之もなるようにしかならないと覚悟して、ゲンジの案内されるまま、その後ろを着いていく。
「なんだ、また来客か?」
 幸造の低いよく通る声が部屋から漏れていた。それを聞くだけで将之の緊張感が高まった。子供の時に会ったことを思い出して震えが生じる。
 ごくりと唾を飲み込み、部屋の中に足を踏み入れた。
 そこに翔が居たことでびっくりして声を発してしまった。
「翔さん、どうしてここに」
「将之、お前一体…… 何なんだ」
 将之が目の前に現れただけでも驚くに値するが、それ以上の驚愕した表情になり、翔は将之を見て口をあんぐりとしてしまった。
 幸造は見知らぬ男を目の前に、厳しい目をさらに細めて視線を突き刺していた。
 その時やっとケムヨが着物を着て現れた。
 「遅くなってすみません」と慌てて部屋に入ったものの、目の前に翔がいて非常にびっくりしたが、さらに将之を見てケムヨもまたそれプラスの驚きを付け加えた。
「えっ? 一体どうなってるの? それに将之、何その格好」
 将之はもう開き直った。ここまで来たら後には引けない。
 オフィスを出る直前に墨汁をかけられ、修二の背広を借りようとしたが、身長差がありすぎて、背広の肩幅は狭く、袖とズボンの裾は短く、着られたものじゃなかった。
 そして目の前にあった出来立ての衣装を着る羽目になり、この時将之はコスプレの衣装で現れていた。
 ケムヨにはそれが何のアニメの服かすぐにわかった。赤い彗星のシャー・アズナブルだった。
 皆が驚いて呆然としているとき、幸造は容赦なく不機嫌な態度を取った。
「一体、貴様は何者だ。そのふざけた軍服のような派手な服を着て何しにきた」
 将之はゴクリと喉をならし、大きく息を吸い込んで腰を屈め手を前に差し出す。
「お控えなすって。手前、篠沢将之と申します。この度は突然の無礼お許し下さい。今日は是非お会いしたいと望んでやってきました」
「ちょっと、将之、何やってんの?」
 幸造はその時、興味を示してケムヨに手を向けた。
「まあいい、なんだか面白そうだ。好きにやらせてやろうじゃないか。続けたまえ」
「お控えなすって。ありがとうございます。私、篠沢将之は笑美子さんとの交際を認めて欲しく願っております。もちろん、親分さんのお仕事については理解しております。それを承知の上で、私は笑美子さんを愛しております」
 ここまでくると、幸造はおかしくて笑わずにはいられなかった。
「ほう、なかなか面白い青年だ。それで笑美子と結婚してわしの後を継ぎたいとでも思っているのか」
「いいえ、それは願ってません」
「何? 願ってない? それじゃどうしたいというんじゃ?」
「笑美子さんをどうかその世界から足を洗わせてやって下さい。私が一生をかけて守ります」
 辺りが急にしーんと静かになった。
 その場に居たケムヨも翔もゲンジも幸造までも、将之が何を言おうとしているのか理解不能でこんがらがってきた。
「笑美子、この男は一体なんだ? 何かの余興でわしを楽しませようと雇ったのか?」
「えっ? そんなことするわけないじゃない。ちょっと、将之、一体どうしたの。もしかしてあの発作で頭が……」
 将之は緊張しすぎて、自分でも何をやってるかわからなくなってきたが、極道の仁義の切り方を一応勉強してきたつもりだった。
「すみません、こういう世界の挨拶の仕方があまりわからないもので」
「まあいい、とにかくだ、笑美子、この二人がお前と結婚したいがためにわしに会いにきたということか?」
「待って、私は将之を呼んだけど、翔は呼んでない」
 ケムヨは今度は翔の方を見た。
 翔はここが正念場だとばかりに、己の計画通り突き進む。
「先ほど申しました通り、私に笑美子さんを頂けませんか。必ず、社長のご期待に応えます」
 突然、翔がケムヨを本名で呼び、幸造のことも何一つ驚かず社長と呼んだことにケムヨははっとした。
「翔、あなた、何もかも知ってて、おじいちゃんに会いに来たの?」
「ああ、そうだ。だけど、ケムヨが今働いてる会社の社長の孫だなんて初めて知ったときはそれはびっくりしたよ」
 将之だけが話が見えないと疎外された気分で突っ立っていた。
「えっ? 会社の社長の孫?」
「篠沢将之とか言ったな、あんた、一体わしを誰と勘違いしてたんだ?」
 皆、将之の方を見た。
「えっ、ケムヨのおじいさんは極道の親分さんじゃないの?」
「あんた、わしをヤクザと思ってたのか?」
「は、はい……」
「ちょっと、将之、どこでそんな勘違いを」
 その時、シズが「大変お待たせしました」と料理を運んで入って来た。
「あら、皆さんどうかされたんですか? まあ、篠沢さん、なんですかその格好?」
 将之は自分一人だけが浮いていることを再認識して、心細くなってしまい、逃げたくなっていた。
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