第十三章
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「おじいちゃん!」
ケムヨが叫ぶと、辺りは緊張に包まれた。
「お父さん、大丈夫ですか」
幸助が側に寄り支える。幸造は胸を押さえて息切れに喘いでいた。
将之が立ち上がり叫んだ。
「救急車!」
将之の一言で、ゲンジがはっとして急いで電話を掛けに行く。
その10分後、サイレンの音と共に幸造は息子の幸助の付き添いの下、病院へ運ばれていった。
「だから気をつけてっておじいちゃんに言ったのに」
救急車のサイレンが遠く消えかかっていく。
ケムヨは母親に寄り添いながら玄関の前で行く末を見守っていた。
「お義父様は大丈夫よ」
久々の母親の側でケムヨはその言葉通りに信じて安らいでいく。
「そうさ、大丈夫さ。少し興奮しただけさ」
将之も慰めようとした。
「将之が、そんな変な格好して来たのが一番の原因じゃないのか。お前、ふざけすぎだ」
「そういう翔さんだって、呼ばれてもないのに勝手に押し掛けてきたのも負担の原因じゃないのか」
「なんだと、お前やる気か」
「ああ、受けて立ってやる」
二人は睨み合い今にも殴りかかりそうだった。
ケムヨが止めに入ろうとしたとき、シズがパンパンと手を打ち、鋭い目つきを将之と翔に投げかけた。
「はい、そこまでで結構です。今日は喜美子様、即ち笑美子お嬢様のお祖母様の命日でございます。どうか派手なことはお控え願います」
シズのシャープな声は二人の燃え盛った心の炎を一瞬にして消し去った。
将之も翔も借りてきた猫のようにしゅんと大人しくなる。
「はい、よろしゅうございます。旦那様はきっと大丈夫でございますので、皆様もお気になさらないように。折角料理を作っておりますので、とにかくどうぞ召し上がって下さい」
本当はシズも幸造が心配だったが、客人をもてなすことを第一に優先した。
気品を添えた凛としたシズの態度は、見るものを冷静にさせる魔力があった。
皆また応接間へと戻って行った。
ゲンジが酒を振舞い、シズは料理を取り分けてそれぞれに出す。
皆、黙々とそれらを食していた。
少し落ち着いたところで、ゲンジとシズが下がろうとしたとき、ケムヨは引き止めた。
「ゲンジさんも、シズさんも一緒に居て下さい」
「私からもお願いします。そして、今まで笑美子がお世話になり、本当にありがとうございました」
百合子は頭を下げた。
「若奥様、私どもは大したことをしておりません。笑美子お嬢様と暮らせて本当に楽しかったです。若奥様たちが戻ってこられて本当に嬉しく思います」
シズは優しく微笑み、その側でゲンジも控えめに笑っていた。
将之と翔はその様子を黙って見ていた。
「ケムヨは、保科コーポレーションの社長の孫だなんて、なんで黙ってたんだ。おまけに自分の会社なのにパートで働いたりして」
将之が聞いた。
「いつか論争したことあったよね。能ある鷹は爪を隠すって。全てはおじいちゃんの教えだったから。そのお陰で沢山見えたものがあった。もし私が社長の孫でその跡取りだって知られていたら、本当の会社の姿が見えなかったと思う」
「そっか、だからあのとき、騙してるみたいでずるいって言ってたんだ。やっと全ての謎が解けた気分だ」
「だけど、将之、おじいちゃんが極道だと思ったのはまあ勘違いとしてなんとなく理解できても、なんでシャーの服着てるのよ?」
将之はすっかり自分がコスプレしていることを忘れていた。
皆の視線が将之の服に集まった。
「こ、これはその」
将之は正直に語った。
夏生がケムヨの趣味の話を修二に話したこと。ケムヨが制服や軍服に弱いこと。ガンダムのシャーが好きなこと。修二がシャーのコスプレをすればケムヨの気が引けると提案したこと。そして、自分の背広が汚れてしまい、これしか着ていける服がなかったこと。
それらを話すとケムヨは困ったように笑っていた。
「こんなときに、そんな服着ようと普通思うか?」
翔が呆れながら言った。
「俺、焦って頭のフューズが飛んじゃって。家帰ってる時間がなかったし、とにかく、来るだけ来て、事情を話そうとしたら、いきなりおじいさんの前につれてこられてしまって……」
将之は下を向いてもじもじしていた。
「でも、素敵だと思う。よく似合ってらっしゃるわ」
百合子は海外生活が長かったので違和感を感じてなかった。
「で、どちらが笑美ちゃんの彼氏?」
目の前の料理を箸でつまみながら百合子は暢気に聞いていた。
将之と翔の体に力が入る。
ケムヨも母親の不躾な態度に困ってしまった。海外生活が長いとこうも空気が読めなくなるのだろうかと、呆れてしまう。
「お母さん、あのさ」
その時シズが口を挟んだ。
「お嬢様、もうはっきりなさったらいかがですか? 二人の男性から求愛を受けては避けられぬ話題だと思いますが」
シズの言う通りだった。自分が何も言わなければ、拉致があかない。
シズにも施された形となって、ケムヨは大きく息をついた。
覚悟を決めて一気に喋り出す。
「それじゃ、はっきりいうね。私、将之が好きです」
ケムヨは真っ直ぐな目で将之を見つめる。
将之もこんなにはっきりと言われるとは思わず、ドキッとして驚いた。最後は照れてもじもじとしながらケムヨを見ていた。
それとは反対に翔はふてくされて、目の前の酒を手に取り一気に喉に流し込む。
将之がこんなにもケムヨの心を捉えていたとは思わなかった。
自分の浮気、三年のブランクがケムヨの心を完全に突き放してしまった。自業自得と分かっているが、それでも足掻くように念を押す。
「ケムヨ、ほんとにそれでいいのか?」
翔は悔しさをそのまま表面に出して問うた。
ケムヨは微笑んで首を縦に振った。自分の心に素直になったとき、将之を好きな気持ちが心に充満してくる。もう誰がなんと言おうと、将之しか目に入らなかった。
さらにあのシャーの服を着た将之に萌えるということは内緒だった。
「この俺がこんな奴に負けるなんて」
一人で酒を注いで乱暴に飲んでいた。
荒れた翔に百合子が声を掛けた。
「えーと、翔さんでしたね。もしよかったら、可愛い子がいるんですけど一度お会いになりません?」
「お母さん、何を言ってるのよ」
「だって、笑美ちゃんが振っちゃったし、お気の毒だから、振った娘の母親としての責任と思って」
どこまでも感覚が日本人離れしていた。
ケムヨはついていけなくなった。
「でね、年は24歳のフランス人。貴族の血が流れてて、お城もいくつか持ってるの。日本がとても好きらしくて、将来は日本人と結婚したいとか言ってるの
よ。誰か日本人を紹介してくれっていつも頼まれてるから、翔さんみたいな人なら自信もって紹介できるし私にも都合がいいの」
振られた直後の相手に、よくここまで言えると周りも引いてしまう。
だが翔は、貴族、お城というキーワードに耳がピクリと反応してしまった。
その時、電話の音が奥から聞こえてくる。シズがすぐに部屋を出て行った。
そして、戻ってきたとき満面の笑みを浮かべて言った。
「旦那様は命に別状はないそうです。軽い発作らしく、すぐに良くなるとのことでした」
それを聞いて一堂はほっとしていた。