第二章
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専務の須賀譲(すがゆずる)はこの会社でも社長の右腕に位置づけられ、絶対的な力を持っていた。
人事部を経て人を見る目を肥やし、この会社の戦力となるものを見極めては会社の運営を担う戦士を育ててきたと言ってもいい。
落ち着いた話し方が人を安心させ、それが表面にも現れて見掛けは物腰柔らかそうに見えるが、彼の皮膚の下には研ぎ澄まされた鋭い刃物が隠されているように気づかぬところでそれが刃を向くこともある。
社長も信頼するだけに仕事の腕も経営力も部下の統治もすべてに置いて優れた能力を発揮している人物であった。
そんな地位の者がしがないパートのケムヨに声を掛けてくるのは、須賀はケムヨのことを良く知っていたからだった。
決して公にできない二人の間柄は密かに隠れてやり取りが行われる。
ケムヨがパートで仕事に来る理由もそこにあるようだった。
須賀から聞いた話にケムヨの気分は暗くなる。
元々暗い風貌なので誰もその変化に気がついてないのはちょうどよかった。
だがその午後は仕事に身が入らない。
同じようなところを何度も掃除したり、ボーっとすることが多かった。
「ちょっとケムヨさん、この在庫のチェックをしてっていったでしょ。もう切れてるじゃない」
お局っぽい気の強そうな女性社員に注意を受けてしまった。
「あっ、すみません。すぐに補充します」
会社で使う事務用品。それはこまごまと色々あり、社員達の仕事がスムーズに行えるようにとケムヨはいつもチェックしていたが、ついこの日は忘れてしまい、最悪にも在庫が切れてしまっていた。
在庫を取りに倉庫室へ行くと、ドアを開けると同時に、中でいちゃついているカップルを見てしまいギョッとする。
カップルもドキッとしていたが、相手がパートのケムヨだと分かると開き直ってガンを飛ばすだけだった。
ケムヨは必要なものが入っている箱を手にして、さっさとその場を去ろうとする。
「俺達のこと言うなよ。言ったら首だからな」
弱い立場のケムヨに、ある程度の地位についている男性社員は強気だった。
ケムヨはぐっと堪えて部屋を出てドアを閉めた。
無性に腹が立つ。皆見えないところで自分をあざけ笑っている。自分がパートだというだけでこの扱いだ。
慣れてるつもりだったが、いざこういう場面を目の当たりで見てしまうと、イライラして仕方がない。
それでも平常心を保ち、腹に力を込めて我慢していた。
「こんな私でも、恵まれている。残念なのはあちらの方」
そう呟いていた。
この日の仕事が終わり、ロッカールームで持ち物と上着をとり出していると、回りも同じように一日の仕事を終えてほっとした女子社員や契約社員が好き勝手に話していた。
「知ってる? あそこの部署の課長さん不倫してるんだって」
「あのお局さん、陰険で腹が立つ」
「なんかこの会社の副社長、会社の金使い込んでるらしいんだって。父親が社長だと息子はバカっぽいよね」
話題にはつきそうもなかった。
その時ふと聞き覚えのある名前を聞いた。
「二宮タケル君、また課長に叱られてたよね。あれじゃパワハラだ。かわいい子だけに同情しちゃう」
聞いたことのある名前。この日一緒に昼食を共にした新入社員だったと思い出した。
まだ仕事に慣れてない姿が容易に想像できる。めげずに頑張って欲しいものだとタケルの奮闘振りの話を耳にして、ケムヨは応援したくなった。
「ねぇ、知ってる? 勝元さんが海外勤務から本社に戻ってくるんだって」
「えっ、その人誰?」
「あら、知らないの? 三年前まで本社で働いていて、将来を有望された社員。しかも超ハンサム。この会社の王子様って女性社員たちの憧れの人だったのよ」
「へぇ、そうなの。私が雇われる前の話なのね。その人結婚してるの?」
「どうなんだろう。当時同じ会社で付き合っている人が居るって噂は流れてたけど、もてた人だったから、いろいろと乗り換えてたみたい」
「ふーん、なんか昼メロみたいな話っぽいね。だけどどんなハンサムなのか気になる」
まだその話は続いていたが、ケムヨはロッカーを閉め、そこを去った。
勝元翔が戻ってくる噂はあっと言う間に会社に広がっている。
須賀専務が前もって教えてくれたということはケムヨがあまり傷つかないようにと思ってのことだったのだろう。
なぜなら、勝元翔はケムヨの元恋人だったというのを須賀は知っていたからだった。