第二章


 暫くは気さくに二人は飲んで他愛もない話をしていた。
 ケムヨはヤケクソも混じっているが、気を遣わないで話せるところは素直に将之の会話を楽しんでいるようにも見える。
 将之も合コンで抱いたケムヨのあの暗いイメージと言い争った挑戦的な雰囲気が払拭されたように、普通に会話ができるようになったことを喜んでいるようだった。
 しかし将之はこのときがチャンスとばかりにケムヨを見極めるように見つめる。
 表で会ったおじいさんがケムヨを『お嬢』と呼び、ケムヨは将之が居たことでそのおじいさんから逃げるようにアパートの前にハプニングで将之を連れてきてしまった。
 何か都合が悪いことでもなければ、そんな行動を起こさなかっただろう。
 時々ビールを口元に寄せ、将之は分析するようにおさらいする。
 アパートは見かけはおんぼろでつぶれそうに見えるのに、中はそれとは正反対に豪華でお洒落になっている。
 なぜそのようにアンバランスなのだろう。
 そこに上品な老夫婦の管理人。
 アパートの管理人にしては、お茶を出すだの礼儀だの丁寧すぎる。
 ケムヨの友達、夏生のこともお嬢様とも呼んでいた。
 身の振る舞い、話し方、まるで世話係のようだった。
 次に身の回り品。
 部屋の中は、ふかふかの絨毯、家具もアンティーク調で整えられてはいるが、手に入りにくそうなものだけに価値観が飛び出しゴージャスに見える。
 ケムヨの服装も動きやすいパンツのスーツだが、金曜日に見たスーツも含めて身なりが小奇麗。
 そしてあの時落とした腕時計。
 あれはロレックスに間違いない。
 どこか違和感を感じ謎めいている。
 色々な不思議なことが頭を巡り、知らずと将之の顔は眉毛に力が入ったように強張っていった。
「どうしたの、急に黙り込んで?」
 ケムヨはそれとは対照的にすっかりリラックスして将之に接している。
 将之は何かを聞き出せるかもしれないとそれとなく話題を振ってみた。
「あのさ、あの時落とした時計、壊れてなかったか?」
「えっ? ああ、あれ? うん大丈夫だった」
「ちょっともう一度見せてくれないか。傷でもついてたら弁償しなくっちゃならないし」
「大丈夫だから」
 将之はケムヨの左手を見たが、そこには別の腕時計がはめてあった。無難な普通の腕時計。
「どうして腕時計を見せたくないんだ。あれがロレックスだからか」
 ケムヨは何も答えなかった。
 将之の眉の幅が狭まるように訝しげになる。
 些細なことがずれて普通の域から飛びぬけたような感覚。
 それが不思議になり疑問へ繋がる。もう制御不可能。
 次は好奇心が湧き起こり、はっきりさせたいと将之は矢を飛ばすごとく不躾に質問をぶつける。
「お前さ、なんか隠しているだろ。人に言えないようなことがある。図星だろ」
 たかがロレックスの時計。無理をすれば買えないこともない。
 ただの見栄はりなのか。だが何かがひっかかる。
 ケムヨがどう対処していいのか困った顔をしていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
 二人の会話はケムヨには上手い具合に途切れ、将之には中途半端に不完全にされてしまい、ノックの音は一時停止のように流れを止めた。
 ケムヨがドアを開けるとシズが立っている。
「あの、お連れの方もいらっしゃいますしお食事はいかがいたしましょう」
「大丈夫、彼、長居はしないって」
「おいっ、それってすぐ帰れって催促してるぞ」
 将之は突っ込む。
 ケムヨは無視して、シズに小声で何かを話すとシズは黙って去っていった。
 再びケムヨは将之と向かい合わせになる。
「という事で、そろそろ帰ってもらいましょう」
「なんでだよ。酒を勧めたのはそっちからだ。まだいいじゃないか」
「こっちは困るの」
「何が困るんだよ」
「もうこれ以上、私のことを詮索するのはやめてほしいの。誰にだって触れられたくない領域があるでしょ」
「気になるんだから仕方ないじゃないか。ケムヨも俺のこと気になって何か知りたいとか思わないのか?」
「全然」
 ケムヨは大きくかぶりを振って返す。
 全く相手にされていない振る舞いに将之は息をもらした。だが気を取り直して笑顔を見せ付ける。
「やっぱりケムヨは落としがいがあるってもんだ。益々楽しくなってきた」
「まだそんなこと言ってるの? 言ったでしょ、私は……」
「ゲームじゃない。はいはい、わかってますよ」
 言いたいことを遮られて先に言われるとケムヨは言葉に詰まる。
 将之に一本取られたように癪に障ってしまい、腹いせに手を思いっきり伸ばし、ドアに向かって人差し指をさした。
 無言で「帰れ」と催促する。
 将之は腰を上げ、持っていた缶をケムヨに押し付けわざとらしく「ごちそうさま」と顔を近づけて言うとドアに向かった。
 どこまでも苛つく憎たらしい性格。
「あんたね、それで私の気が惹けると思うの? そんな態度だと逆効果じゃない」
「俺は自分らしさで勝負したい。このひねくれた性格も含めて俺を見せたいだけだ。無理していいところ先に見せてしまったら、あとは悪いところしか残らないじゃないか。それならば先に俺の嫌なところを見せて、後でいいところ見せた方が効果あると思わないか?」
「なんでそう理屈っぽいの。でももし将之にいいところなんてなかったらどうするのよ」
「厳しいね。俺にいいところがないか。だけど『能ある鷹は爪を隠す』っていうだろ。本当に賢い奴は最後まで色々と考えているってもんさ」
 突然出てきた祖父の口癖の言葉。それはケムヨの心に突き刺さった。
「能ある鷹…… それって間違ってるよ」
 ケムヨは俯き加減にぼそっと言った。
「えっ? 間違ってる?」
「能ある鷹は爪を隠すって、結局は相手に本当の姿を悟られずにフリをして、いざというときに力を見せ付けるってことなんじゃないの? 私には卑怯者のように聞こえる」
「なんでそうなるんだよ。間違ってるのはケムヨの方だ。本当に実力のあるものは滅多に自分の力をひけらかしたりせず、いざというときに力を発揮するってこ とだ。賢い者の例えだ。一体なんでそんな解釈をするんだ? 能ある鷹になんか悪いことされたのか? 上から頭つつかれたり、糞落とされたりしたとか。野生 動物は怖いときがあるからな」
「また話が勝手にこじれてるじゃない。意味不明なこと言わないでよ」
 将之はにやっと笑い、ドアを開けて玄関へと向かった。
 その後をケムヨはついていった。
 玄関で将之が靴を履き、ケムヨに向き合う。
「今日、本当はなんか嫌なことでもあったんじゃないのか」
「何よ、いきなり」
「いや、俺の独り言。俺も気を紛らわすとき酒を買い込んでしまうことがあるんだ」
「勝手に自分と重ねて決め付けないでよ」
「またそういうときがあるなら、俺付き合うぜ。今日は一緒に酒飲めて楽しかったよ。ありがとうな。それじゃまた」
 素直に礼を言われると、ケムヨはそれに乗せられて『うん、またね』などとつい言ってしまった。
 将之が歯を見せてニタっと笑ったことで、やられたと気がついた。
 そのやり取りはこの先もこの関係が続くということを決定付けてしまった。
 将之は玄関のドアを開け去っていく。
 ケムヨは将之の後姿が目に焼き付いたまま暫くその場で佇んでいた。
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