第三章 星の下逃げればどこまでも追いかけられた


 朝早く、シズに部屋のドアをノックされ「笑美子お嬢様、旦那様からお電話です」と言われたときには、ケムヨはがばっとベッドから起き上がる。
 ぼさぼさの髪を掻き揚げてドアを開け、嫌々ながら受話器を受け取った。
「もしもし、おじいちゃん? こんな朝早くから何? えっ。来賓の相手? そんな急に言われても。わかったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
 ため息を交えながら電話をシズに渡す。
「事情はお伺いしております。シズがお支度のお手伝いさせて頂きます」
「おじいちゃんの気まぐれと強引さに振り回されるのは嫌なのに、すぐに『立場わかってるのか』って脅すんだから・・・・・・」
 不満げにケムヨが呟く。
「仕方がございません。三代目跡取なんですから」
「私は継ぎたくない。お陰で普通の人生歩めない」
「さあ、ぶつぶつ言わずに早く朝ごはん済ませて下さいませ」
 優しい笑顔を浮かべても、シズの瞳が鋭くきらりと光っていた。
 ケムヨは嫌な予感がした。

「えっ、振袖を着るの? この年でちょっとそれはアレなんでは……」
 朝食を食べた後、待ってましたと言わんばかりの得意げな顔でシズは振袖をケムヨの前に差し出した。
「大丈夫でございます。お嬢様はもちろんまだ若く、未婚の女性なら振袖はオッケーですし、着てしまえばこっちのものです」
「やだ、シズさん、なんか強引」
 シズの目つきが変わった。
 責任感と使命が混ざりこんだ職人の目になっている。
 ケムヨはそれに圧倒されて、口を噤み全てをシズに任せてしまった。
 落ち着いた藤色に美しい花の飾りが高級感を醸し出している振袖はキリリと引き締まる気品があった。
 それに合うように髪型も変えられてしまった。
「ほら、お嬢様、お綺麗でございます。これなら相手側もお気に召されるかと」
「えっ? どういうこと」
「いえ、身だしなみがきっちりとして来賓客に失礼がないということです」
 シズはケムヨが知らぬ何かを知っている。
 だが問い質しても口を簡単に割らないと分かっていたのでケムヨは黙っていた。
 祖父には逆らえないとゲンジが運転する車で指定の場所へと出向いた。
 着いた先は有名ホテルの正面玄関だった。
 事情を知っている制服を着たボーイがケムヨの乗った車に近づき、ドアを開けた。
 ボーイの着ている制服は白地をベースに立て襟や袖口には鮮やかな水色のラインが入り、正面は金色のボタンがV字のように並べられている。白いパンツにもアクセントの色と同じ水色のラインがサイドにまっすぐ入っていた。
 背筋が伸び定規で線を引いたくらいに真っ直ぐ立っている。ケムヨが車から出てくると洗練された笑顔を向けて斜め45度で丁寧なお辞儀をした。
「笑美子様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」
 ホテルマンの正装がなんかのコスプレを見ているようだった。
 仕事でこういう服を着られるのは楽しいだろうなとケムヨは暫くじっと見てしまう。
「あの、何かおかしいことでもございますでしょうか?」
 ボーイが心配そうな顔をして伺ってきたので、ケムヨはつい本音で答えた。
「いえ、私、制服萌えでして……」
「はっ?」
 ケムヨは余所行きの笑顔でとにかく誤魔化す。
 ボーイはビジネス精神で深く追求せずに自分の仕事だけをこなし、ケムヨをホテルの広間へと案内する。
 祖父からは来賓の相手をすることだけしか聞いてなかったが、一体何がそこで催されているのかケムヨは分からなかった。
「今日は何のイベントがあるんですか?」
「政界パーティで世間で言われる大物の方々が集まってこられます」
「えっ、なんでそんなところに私が来なければいけないのよ」
 つい口から出てしまったが、見ず知らずの人に愚痴を言っても仕方がない。
 ケムヨは口元を押さえ、息を整えてにこりと笑顔を作る。
 しかし、はっきりと内容を知らせなかったケムヨの祖父が何か企んでいるに違いないと懐疑心が湧き上がり、腹が立つと同時にどんどん顔が引き攣っていった。
 ボーイはコロコロと表情が極端に変わるケムヨを見てクスッと笑っていた。
 ボーイが会場のドアを開け最後に一言ささやく。
「笑美子様のおじい様からのご伝言で『失礼のないように』とのことでした。でも笑美子様は全く大丈夫でございます。それではお楽しみ下さいませ」
 ボーイはにこやかに笑顔をケムヨに向けていた。
 ケムヨは一歩部屋の中に入った。中ではテレビで見たような顔も見受けられる。
 そこにシャンペングラスをトレイに載せたスタッフが現れ、ケムヨの目の前に差し出す。
 それを一つとり、景気付けに一気にぐっと飲み干して、空のグラスをすぐにトレイに戻した。そんな意気込みがなければやってられない。
「いい飲みっぷりですね」
 突然後ろから声を掛けられケムヨはドキッとした。
 振り向くと、見たことのある顔がそこにある。
「あー! あなたは二宮君」
「やっぱりケムヨさんだ。またお会いできて光栄です」
 先日社員食堂で一緒に席を共にした二宮タケルが、甘えた子犬のように屈託のない笑顔を向けている。
「ちょっと、あなたここで何してるの?」
「ケムヨさんもどうしてここに?」
「わ、私はその…… アルバイトで、コンパニオン」
「それで振袖着てこのパーティに華を添えられてるんですか」
 タケルはくすっと笑っていた。
「そっちは何してるの? 仕事はどうしたの?」
「僕ですか? 今日は休みを取って、父のお供をさせられてるんです」
「お父さんのお供?」
「はい、あそこに父が居ます」
 指を指されたその先にはケムヨも知っている顔があった。二宮登、有名な何度も当選している政治家だった。
「あなたのお父さん、超有名人じゃない。しかも権力持った」
「ケムヨさんもその点では同じじゃないですか。ケムヨさんのおじいさんも……」
「ちょ、ちょっと待って、あなた一体」
「嘘をつかなくてもいいですよ。僕はケムヨさんの正体知ってますから。うちの父もケムヨさんのおじいさんと面識ありますし、事情は大体分かってます」
「あなた知っててあの時私に近づいたの?」
「はい。僕もケムヨさんを見習いたいんです。あの時も、全然悪くないのに、潔い行動をされて惚れ惚れしました。ケムヨさんの正体を知ったら震え上がるだろうに、それを隠してじっと我慢する。もうかっこいいです。姐御と呼ばせてもらってもいいですか」
 タケルは憧れの眼差しを向けている。
「ちょっと待ってよ」 
「大丈夫です。姐御の正体は誰にもいいません。僕も姐御から色々と学びたいです」
「二宮君!」
「タケルと呼んで下さい」
 真面目な瞳で見つめられてケムヨは困り果ててしまう。好きにすればいいと、最後はあきれてしまったが、自分の正体を知られている以上邪険にもできなかった。
「わかったわ、タケル」
 二人でお祝いするかのごとくシャンペーングラスを手に取り乾杯する。
 自分のことをわかった上で慕ってくれる友達がいると思うとケムヨは少し楽になった。
 そして気楽にそのパーティを楽しもうと心構えたとき、もう一人とんでもない奴が同じ会場に居た。
「ゲッ、なんであいつがここに居るのよ」
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