第三章


「なんだい、その態度は。俺様を誰だと思っているんだ」
 陳腐な芝居がかった言い回しは、滑稽なほどわざとらしく、その場の注目を浴びようとしただけに聞こえた。
 ケムヨはその声の方を振り向いた。
 そこには、崩れるようにだらしなく椅子に踏ん反り返って座っている典型的なチンピラが居た。
 白いスーツを身にまとい、内側の派手なシャツは胸元までわざとボタンを外している。そこから趣味の悪い金色のチェーンが見え隠れしていが。
 いかにも見掛け倒しだけで中身のなさそうなバカな奴と、蔑んでケムヨは見つめた。
「ですからお客様、申し訳ございませんが、ここでは他のお客様に迷惑になるようなことはご遠慮お願いしております」
 その場を丸く治めようと腰を低くしてこのバーの店長が諌めているが、その男は全く聞く耳持とうとしなかった。
「何言ってんだ、この野郎。ちょっと可愛い子が居たから声を掛けて一緒に飲もうとしただけじゃないか。なあ、姉ちゃん困ってなんてないよな」
 ナンパにかこつけて、嫌がらせを決め込んでいる。
 なんとかしようと店長が、事なきを得ないようにとひたすら頭を下げていた。
 しかしそれがその男の思う壺なため、横柄な態度は収まることがなく、執拗に絡んでいくだけだった。
 ケムヨは目を細くしてその光景を睨んでいた。
 チンピラは注目を浴びることを楽しむかのように、まだ女性客に絡んでは、周りの反応を見ていた。
 目が合った客には容赦なく睨み返す。
 ケムヨはグラスに残っていたカクテルを一気に飲み干した後、グラスを置くのと同時に勢いつけて立ち上がった。
 そして力強くコツコツと踵を床に響き渡らせ、そのチンピラの男の前に堂々とした態度で立ちはだかった。
「姐御っ……」
 タケルは変な事になりはしないかと、ハラハラしてケムヨの行動を見守るが、案の定恐れた通りにケムヨが食って掛かってしまったので、顔を青ざめて頭を抱え込んだ。
「ちょっとあんた。うるさいじゃないの。静かにしてくれない?」
「なんだ、姉ちゃん。なんのつもりじゃ」
 当然チンピラ男も受けて立つ。
「ここはこの店に合った善良な客がお酒を楽しむところよ。あんた場違い! さっさと出ていきな」
「俺を誰だと思ってそんな口叩いてるんだ?」
「チンピラでしょ。それもこの辺りだったら、K組がY組がらみでしょうね」
「へぇ、姉ちゃん結構知ってるやん。それを分かってて食いかかってくるとはええ度胸しとるやないか」
 売られた喧嘩は買うのが決まりなのか調子に乗ってチンピラは答えていた。
 それが典型的な態度だったのでケムヨは大きく情けないため息を吐いた。
「どうしてあんたのようなチンピラってお決まりの言葉しか言えないの? もっと違うこと言ってよ」
「何言うんじゃ、ふざけるなこのアマ」
 チンピラは威嚇するように突然立ち上がり、ケムヨを怖がらせようとする。
 だがケムヨは全くそんな脅しには動じず、物怖じするどころか、自ら顔を近づけて睨み返した。
「あんたこそ、この私が誰だか分かってないようね。私に手を出したら偉い目に遭うよ。指一本じゃすまないぐらいにね」
 ケムヨは力強い目つきを向ける。
 一瞬、チンピラは怯んだ。脅しの効かないケムヨから只者じゃない雰囲気を読み取ってしまう。
 その時、タケルが見ていられないと心配のあまりに「姐御!」と声を掛けてしまった。
 それが機転となり、チンピラの威勢が急に弱くなる。
「えっ、姐御?」
 ケムヨはそのチャンスを見逃さなかった。
「もう一度言うからね。あんたこの私が誰だかわかってる?」
 意味ありげにケムヨはゆっくりと言った。
「ちょっと、待って、えっ? それって」
「最近この辺りのシマを狙ってわざとこの辺の店の印象を悪くしようと営業妨害で悪態ついてるんでしょ。あんたはチンピラだから小遣いほしさに誰かに頼まれて遊びでやってる程度でしょ。本格的な組織がらみだったら一人でなんて来ないでしょうし」
 図星だったのか、チンピラはその質問に答えなかった。
「まあいい、後で調べたら、どこの組のもんかってわかるし、そんなことさせないようにこっちも手を打ってやる。言っとくけど、この辺のシマはうちのもんだ。好き勝手にさせるか。そっちこそ、私が女だからってなめたらあかんぜよ!」
 ケムヨは少し調子に乗って、どこぞの映画の台詞を言い切り、片足を上げて思いっきり床を踏んだ。
「えっ、ちょっとあんたどこの組のもんなんじゃ?」
「そんなの自分で調べな。まあ、こんなことしてるってばれたらただじゃおかないだろうけど。黙って何事もなかったように早くここから出て行かないと、こっちも助っ人頼むから。店長さん、電話貸して下さい」
「あっ、は、はい」
 店長が機敏に動くと、チンピラは急に焦りだし、ジリジリと体が後ろに下がって額から汗が流れていく。
 その間ケムヨは睨みを効かしたままチンピラから目を逸らさない。
 そして再び店長が現れると電話を手渡された。
 ケムヨはそれを手にしてプッシュし始める。
 一体誰に応援を頼むのだと、チンピラは上から押されて縮こまるように緊張しだすと共に戦慄を感じ始めていた。
 電話が繋がったのか、ケムヨが喋りだす。
「もしもし、おじいちゃん? 今、友達と飲みに来てるんだけど、訳の分からないチンピラがおじいちゃんのシマ狙ってて、うん、あっ、それってK組、なるほど、それでね……」
 そこまで会話を聞くと、チンピラは、顔を真っ青にして後ずさり店の出口へと向かっていく。
 出口がすぐまじかになると慌てて走って逃げていってしまった。
 そしてそれを見ていたお客達は一斉に拍手をする。
 ケムヨは報告も兼ねて祖父に一部始終話していた。
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