第五章 二人寄り添い夜空の星を素直に眺めてみた


 そして土曜日の昼過ぎ、玄関ドアに設置していた呼び鈴が家中に響きシズがドアを開けた。
 そこには豪快な笑顔を向けて将之が立っていた。
 頻繁に現れる青年にすっかり慣れた調子でシズの方も上品な笑みを添えていたが、一瞬キラリと光を帯びた鋭い目つきが将之を刺す。
 ケムヨが部屋から出てきたとき、心配そうに顔を曇らせながらシズは言った。
「あの、今日はこちらの方とどこへお出かけになられるんですか?」
 しかし答えたのは将之だった。
「何も心配することないですよ。ただのデートですから」
「はぁ?」
 堂々と言われて、シズだけじゃなくケムヨも一緒になって口を開けていた。
「とにかく、早く行こう」
 シズの戸惑いも気にせず、ケムヨの手を引っ張り将之はせかす。
「ちょっと、く、靴! まだ履いてない」
 バタバタと慌しい光景が玄関で繰り広げられ、シズは余計に心配になってしまった。
「あの、お気をつけていってらっしゃいま……」
 最後をきちんといい終わらないままに、ケムヨは将之に引っ張られて連れて行かれてしまった。
 虚しくドアの閉まる音がシズの耳に届く。
「篠沢将之さん、悪い人ではなさそうだけど、笑美子お嬢様の本当のご身分を知られたらどうなることやら」
 シズはどうして良いのかわからないまま、見守ることしかできなかった。

「ちょっと、そんなに引っ張らないでよ」
「なんかケムヨと一緒に過ごせるのが嬉しいんだよ」
 子供のように将之ははしゃいでいた。
 天気は良く、空が高い。
 清々しい青空を見るとそれに染まるように、ケムヨも悪くないと思えてしまう。
 門の前には軽自動車の白いワンボックスカーが停められていた。
「洒落た車じゃなくてすまないな。会社の車を借りてきた」
 道理で両サイドに会社名のロゴが入っている訳だった。
「会社のもの勝手に使っていいの?」
「いいのいいの、ほとんど俺専用の車だし、これに乗ってたら宣伝にもなるだろ。さあ乗った乗った」
 ケムヨは助手席のドアを開け言われるままに乗り込んだ。
 シートベルトをカチッとはめ込み、将之に視線を移す。
 将之はエンジンを掛け前後を確かめているところだった。
「一体どこへ行くの?」
「それは行ってからのお楽しみ。絶対気に入ると思うぜ」
 ここまで来てしまった以上、将之に任せるしかないとケムヨは力を抜いて座席に背中をもたれさせた。
 実はこういう演出も悪くはない。
 すっきりとした晴れ渡った空を見つめると心まで素直にさせられる。
 子供心に楽しんでもいいかと将之に付き合う覚悟を決めた。

 車を運転している将之は、突然人が変わったように真剣な目つきになっていた。
 安全運転に徹底した真面目なドライバーらしい様子が伺えるが、それはどこか神経質そうでもあった。
「車を運転するときの将之って人が変わったみたい」
「なんだ、俺のかっこよさに惚れたか?」
「そういう意味じゃなくて、なんか超真面目で真剣そのものってこと」
「当たり前だろ、大切な人を隣に乗せてるんだから、事故を起こさないように気をつけてるんだよ」
 さらりと気遣う言葉が飛び出て、またそれが妙にくすぐられる。
 女はこういう気遣いについ反応してしまう。
 ケムヨがそう思ったとき、自分も結局は普通の女だったんだと思わずにはいられなかった。
 久々に味わった感情。肩の力がすっと抜けていく。
 土曜日で多少道が混んでたが、将之の慎重な運転で快適だった。
 運転は上手いと認定。
 小一時間ほど車に乗った後、ケムヨが連れてこられたところは、ホールや会議室などがある市の公共施設らしい大きな建物だった。
 その一角に人が沢山集まって列になっている。イベントが催されているのか、看板が立ち、スタッフらしき人が誘導したり派手な動きがあった。
 そこをかき分け将之は建物の中へと入っていくので、その後をケムヨは見失わないように着いていった。
 入り口を通ると受付らしい場所で、スタッフ達が集まり来る人々に対応している。
 将之は全てを把握しているようにテーブルに置いてあったIDとされる紐がついたカードらしきものを二つ手に取り、それを首から提げケムヨにも一つ手渡した。
 ケムヨはそれを手にして将之の後ろで立ってどうしていいのか分からず回りを見渡していた。
 会場になっている先をちらりとみれば、壁に色々な絵が掛かっている。だがそれは現代的アートというのか、やや人を選びそうな作風だった。
 空間には子供にも喜ばれそうな形をしたオブジェらしきものが置かれ、それを沢山の人たちが見に来ていた。
「大反響のイベントじゃないか」
 将之が人の邪魔にならないところで眼鏡を掛けた少し太り気味の男性に声を掛けていた。ケムヨも近づいていく。
「お陰さんでな。自分の趣味を兼ねたようなものだから集まってくる人の気持ちになっただけだ。今回は同じ趣味のものが集まって皆で作った手作り感がよかったよ。ところでその人、お前の彼女か?」
 突然彼女と言われ、ケムヨは風が送れるくらい手を横に強く振っていた。
「そんなに強く否定するな。まあいい。こちらはナサケムヨ。俺がアタックしてる女だ」
 その紹介も気に入らないと、ケムヨはじろりと横目で将之を見てしまう。そして体制を整えて、とりあえず目の前の男性に形ばかりに頭を下げた。
 その後頭を上げて男性を見ると、自分の名前に反応して少しびっくりしている様子だったが、ケムヨはお構いなく愛想笑いで済ませた。
「それで、こっちが俺の兄貴。篠沢修二」
「えっ、お兄さん? あっ、それはどうも初めまして」
 条件反射で急にかしこまってしまった。再びきっちりと挨拶をする。
「いや、いつも弟がお世話になってます」
 修二は背広のポケットから名刺を取り出してケムヨに腰を低くして渡していた。
 垢抜けはしてなかったが、それが素朴な気の良さそうなおじさん風で構える必要がないと安心感を植え付けた。
 年も少し離れ太ってるせいか、兄弟といっても全然似てなかった。ケムヨが思ってることがわかっていたのか修二は自ら口に出す。
「弟はすごくかっこいいでしょ。兄と名乗るのが恥ずかしくて」
「何言ってんだ、修ちゃん。俺にはもったいないほどのいい兄貴の癖に」
 修二は嬉しそうに笑っていた。
 将之が兄のことを『修ちゃん』と呼ぶのも微笑ましく、兄弟仲はとても良さそうに見える。
 将之の言葉通り、修二はとても穏やかないい人に見えた。
「俺ちょっと、主催者の代表に挨拶してくる」
 将之は急にビジネスマンらしくなりネクタイを無意識に調えていた。
「ああ、その人なら奥のところにいるよ」
 修二が方向を指した。
 ケムヨにすぐに戻ると言うや否や将之は人ごみに紛れてしまった。
 不意に仕事熱心の顔を見せられ、また違った雰囲気の将之の後姿をじっと見詰めてしまった。
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