第六章


「そっか、なるほど」
 コーヒーカップをソーサーに置いて同時にふーっとケムヨは息を漏らした。
 顔を赤くしたまま、ずっと下を向いてる多恵子の側でタケルは何を言っていいのかわからない。助けて欲しいとばかりにケムヨにすがった目を向けた。
「タケル、私も多恵子さんが吉永課長に悪口を言ってるとは思わない。多恵子さんが時々タケルを見てたのは好意を寄せていたからだし、気になってつい目 でタケルを追っていた。私と初めて会ったときも、きっと私をライバル扱いしてしまって、つい意地悪な発言をしてしまったんだと思う。人間の心理ってものよ。 自分の地位を脅かすものには敵意を持ったり、嫉妬という気持ちが湧く」
 タケルはチラリと多恵子を見ると、多恵子は恥ずかしさに押しつぶされそうに小さくなっていた。
「あの、私…… その、ご、ごめんなさい。ケムヨさんに失礼な態度とってしまったり、二宮さんにもご迷惑かけてしまったり、本当に反省してます。申し訳ございませんでした」
 下を向いたままの状態でさらに謝罪で深く頭を下げたので多恵子はテーブルにゴツンと頭をぶつけていた。
「あらららら。多恵子さん大丈夫?」
 ケムヨは気にするなと多恵子へ手を差し伸べて優しく肩に触れていた。多恵子は目に涙を溜めてケムヨを見つめた。
「これで多恵子さんの誤解は解けたわね」
 ケムヨはタケルに同意を求める。
 タケルはまだ整理し切れてないために、多恵子に対してどう接して良いのかわからない。
 沈黙が続けば続くほど、タケルは言葉を発するのが躊躇われてしまう。
「二宮さん、本当に私は何も知らなかったんです。でも、まだ疑っているのなら、それは私にも責任があると思います。誤解されるような女なんだと思います」
「多恵子さん、タケルは混乱してるだけよ」
「いいんです、ケムヨさん。私、今猛烈に反省してるんです。自分がとった行動がそのまま返って来てるんだと思います。ケムヨさんには特に失礼なことをして しまって本当に申し訳ございませんでした。それなのに助けて下さって本当にありがとうございます。私なんだか目が覚めました」
 多恵子の真剣に見つめる眼差しは、彼女が一つ成長のステップを登って何かを手に入れたようにきらりと光る。それをケムヨに知らせたいのか多恵子は誓うように言葉を続ける。
「私、ケムヨさんを見習って仕事も一生懸命頑張ってやってみます。中身で判断されるようになりたいです。二宮さんがケムヨさんを姐御とお慕いする気持ちがすごくよくわかります。ケムヨさんは男前過ぎます」
「えっ、どうしてそうなるのよ」
 最後の部分は蛇足だったが、多恵子は勢いでタケルを好きだと告白してしまい、取り返しのつかなくなった以上、自分がしっかりと気丈に振舞わなければならないと思ったに違いない。
 ケムヨも最後は元気付けるように応援の微笑を向けた。
 多恵子は伝票を手にしてそしてすくっと立ち上がった。
「ここはご迷惑お掛けしたので私が払います。どうぞお二人はごゆっくりして下さい。どうも本当にありがとうございました」
「多恵子さん」
 ケムヨが声を掛けたときには多恵子はすでにレジに向かっていた。
 ケムヨも追いかけても余計に多恵子を苦しめるだけだと思い、そのままにしておいた。
「彼女、いい子じゃない。タケルに気持ちを伝えちゃったから慌てて帰っちゃったけど、タケル明日会ったら、ちゃんと挨拶するのよ。それともまだ疑ってるの?」
「違うんです。僕はなんだか彼女に素直になれなかったんです。彼女のこと疑ってしまって悪態をついてた自分が恥ずかしくて、彼女みたいに潔く謝れなかっ た。僕は彼女のこと上から目線で見てたんだと思います。自分の方が優れているって知らずに思ってました。だけど彼女の態度見てたらなんだか余計にそれが恥 ずかしくなって何も言えなかったんです」
「そう、それで今は彼女のことはもう疑ってない?」
「はい、僕も彼女じゃないと思いました。でも一体誰が僕のこと陰で虐めてるんでしょう?」
「他に心当たりないの?」
「ありません。僕、仕事は一生懸命してるし、部署で迷惑かけたことないです」
 ケムヨも自分のことと照らし合わせて考えてみる。タケルと同じような境遇にあるといっていい。
「そうね、迷惑をかけなくても人から疎ましく思われるのは、その人にとって都合の悪いことをタケルがしているってことになるのよ。例えば、仕事がその人よりできたり、その人が得られないものを手にしていたり」
「えっ、それって妬みってことですか?」
「そう、ジェラシーよ。会社に限らず人間関係が存在するところならどこにでもあると思うわ」
「あっ!」
「どうしたの? 何か心当たりがわかった?」
「そういえば、僕、仕事を教えてもらっていた清水先輩より先に大きな契約取っちゃったことあります。その清水先輩は噂では井村さんに好意を寄せているって聞いた事がありました」
「なるほど、証拠はないけどその線が考えらえるかもね。自分より後に来たタケルが活躍して、好意を寄せている多恵子さんもタケルが好きとなれば、嫉妬もでてくるわ」
「だからといって、僕を陥れるようなことするんですか」
「うん。しちゃうわよ。人間って追い込まれたら何するかわからないものよ」
 ケムヨは怨念を表現しようと、髪を前にたらして貞子の真似をしていた。怖さを表現するお決まりのパターンとなっていた。
「姐御、それやめて下さい。でも僕、そしたらどうすればいいんでしょう」
「そうね、注意深く気をつけることね。その線は濃くても証拠がないので、とにかくこのことを多恵子さんに話しなさい。そしたら彼女も白黒はっきりつけるために手助けしてくれるかもしれない」
 タケルは不安な面持ちになり、首をうな垂れる。入社早々トラブルに巻き込まれて参ってしまった。
 その気持ちはケムヨには痛いほど理解できた。
「大丈夫。必ず解決するから」
 タケルを励ましているのはもちろんだが、同じような境遇の自分も乗り切れると暗示をかけていた。
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