第六章


 タケルはその後も一緒にご飯を食べに行こうと誘ってきたが、ケムヨに頼ってこれからのことを具体的にどうすれば良いのか助けを求めてくるように見えたので敢えて断った。
 本当ならケムヨも愚痴の一つも垂れてみたかった。
 タケルと同じようなトラブルに巻き込まれて、自分の方も大変で、人のことに力を入れて助けてあげられる立場ではなかった。
 タケルは年下で、甘え上手なところもあり、そうなるとケムヨがしっかりしなければとタケルがニックネームで呼ぶように変に姐御を演じてしまう。
「私だって大変なのよ」
 帰宅途中、誰も居ないことをいいことにぶつぶつと呟いた。
 また帰り道、コンビニで酒を買い込んでしまう。その酒はどうみても一人で飲みきれそうにもなかった。
 そしてケムヨは時間を気にしている。帰宅途中何度も腕時計を確認していた。
 辺りもすっかり暗くなり、タケル達と会ってたせいで帰るのが遅くなったことが気がかりに繋がっていた。
 だから、暗闇の中、街灯にぼーっと照らされながら大きな塊の影が家の前で見えたとき、それがすっきり晴れて、なんだか笑顔になっていた。
「遅かったんだな。こんな時間まで何やってたんだよ。体の調子はもういいのかよ」
「将之こそ、こんな時間に人の家の前うろついてるなんて、もうとっくに帰ったかと思ったわよ」
「それで、わざと遅く帰ってきたのか?」
「そうよ」
 とは言ってみたものの、手に提げていたビニール袋が何かを主張するようにずっしりと重い。
「あっ、また酒一杯買い込んでるじゃないか。なんかあったのか?」
「風邪が治ったから全快祝いよ」
 気取りながら、鼻をぐずんとさせていた。
「おい、無理するなよ。ぶり返しもあるんだぞ」
「大丈夫よ。それより、プリンセスには餌やったの?」
 将之の足元にプリンセスがちょこんと座っている。すっかり慣れてその場を離れようとしなかった。
「ああ、やったよ。今ちょっと話して遊んでたんだ。こいつ人の話聞くのうまいぜ」
「猫相手に何やってんのよ。それより、お酒飲む?」
 コンビニのビニール袋を持ち上げてケムヨはぶっきらぼうに聞く。
「そっか、俺に相手して欲しいって訳か」
「無理になんて頼んでないわよ。嫌ならいいのよ」
 とはいいつつ、ケムヨは早く入れと、門を開きながら将之に振り向いた。
 将之は笑顔でついていった。
 
 シズは慣れたのか、開き直ったのか「いらっしゃい」と将之に気軽に声を掛け温かく迎えた。
 そしてケムヨが酒を買い込んでいるのを見てつい言葉がでしまう。
「何かお酒の肴でもご用意しましょうか?」
 ケムヨは空腹もあったので簡単に頷いてしまった。
 将之は二人のやり取りをじっと観察するように見ていた。

 自分の部屋の中に入って将之と二人っきりになってもケムヨはもう気にもしなくなってしまった。
 気を遣うこともなく、自然のままに振舞っている。
 さっき見たプリンセスをつい思い出してしまう。
 プリンセスも将之から逃げることなく側に居た。
 自分もプリンセスと同じように飼いならされてしまったのだろうか。
 ケムヨは慣れの恐ろしさを感じてしまった。
 将之がベッドを背にして床に座り込むと、ケムヨは押入れから小さな折り畳みテーブルを出した。
 その時将之はその押入れの中を見たが、衣類や鞄類がぎっしりと詰まっていたのに驚く。
 敢えて言葉にしなかったが、何度来てもケムヨは普通以上の生活レベルを維持しているように思えてならない。
「どうしたの? なんか黙り込んで。将之らしくもない」
 小さなテーブルを将之の前に置き、そこにビールの缶を滑らして差し出した。
「いや、なんかさ、ケムヨが金持ちに見えてさ、両親は何をやってるんだ?」
 将之は缶を手にしてプルトップを引き起こすと、耳に心地よく飲み口を開ける音が響いた。
 ケムヨも同じようにして音を響かすと、何も言わずに将之の持っていた缶に軽くぶつけて乾杯してからごくごくと飲み出した。
 すぐに答えずに回りくどい動作をしているケムヨを静かに将之は見ていた。
 答えたくない何かがあると無言で感じ取っていた。
 ケムヨが一気に半分くらいまで喉に流し込み缶を口から外すと、ぷはーっと喉の奥から声が漏れる。
「さあ、何をやってるんだろうね。知らない」
 とぼけるように、どうでもいいと半分ヤケクソになって答えていた。
「おい、知らないってことはないだろ」
「だからほんとに知らないのよ。私捨てられたから」
「えっ? 捨てられた?」
「正確には捨てられたも同然で、家を出て行ったの。私は祖父やシズさん達に育てられたの」
「なんだ、家庭の事情とでも言うべき訳ありか?」
「そう。そういうこと。祖父はそこそこお金を持ってたし、一人孫だから大事にされたってこと」
「それで?」
「それでって、どういうことよ」
「だから、もっと詳しく」
「なんでそんなに私のこと詮索するのよ」
「知りたいからに決まってるだろ。ケムヨの全てが知りたい。好きだから」
「好きだから私の全てが知りたいですって? 取ってつけたように軽く言ってくれるのね。ほんとは好奇心だけでそれを追求しないと気がすまないしつこい性格のくせに。だけどさ、全てを知ってしまったとき、将之は一体何を思うのやら。尻尾巻いて逃げたりして」
「なぜ俺が逃げるんだよ。俺は尻尾振って飛び掛ってやるさ」
「そうね、将之ならまず飛び掛ってくるわね。そしてジャンプの勢いがつきすぎてきっと私を飛び越えてしまう。結局はその先に将之の欲しいものがあるんじゃないの?」
「どういう意味だよ」
 ケムヨは缶ビールを口に当て一口飲んでからにこっと笑う。
「私の全てを知ったとき、今のままではいられないってことよ。その前に何も知らずにずっとこのままの状態かもよ」
「何も知らずってことは嫌だな。それじゃそろそろどうにかしなくっちゃな」
「何をどうするつもりよ」
 ケムヨの突っ込みに意味深な笑みを浮かべながら、将之は缶ビールを口につけた。
 お互い何を話しているのか噛み合ってないながらも、それぞれの思惑を胸に抱いて相手の顔をじっと見ていた。
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