第八章

10
 置いてけぼりを食らったように将之は玄関で暫く突っ立ったままだった。
 相手をしてくれそうなプリンセスも現れず、どうすればいいのかわからないまま途方に暮れていた。
 その時「ちょっと、そこの君」と誰かが囁く声で将之を呼んだ。
 将之がその方向を見れば、辺りをキョロキョロと警戒しながら腰を前屈みにして挙動不審な行動をしている男性がいた。
 手には紙袋を持っている。
 見るからに怪しく、アロハシャツのような派手な服装と黒のサングラスがいかにもチンピラ風な匂いが漂っていた。
 将之ははっとした。ケムヨの関係者だと勘で感じ取った。
 その男は将之に手招きをしている。
 将之は無視できず、またケムヨへの愛を貫くためにそっち系の世界も知らなければと恐々と近づいた。
 門の外に出ると、男はキョロキョロ辺りを気にして、そして将之の手を引っ張ってケムヨの家から少し離れた場所へと連れて行く。
「あっ、あの、一体なんでしょう」
 将之は予期せぬことに少しびびりながらも、気丈に頑張ろうと踏ん張る。
「あのさ、君、あの家に住んでる女性と知り合いなの?」
 ケムヨのことを意味してると思い、将之は頷いた。
「そう。なんかもう一人男性がいて、立て込んでたみたいだけど、大丈夫なんだろうか」
 この男は一部始終を見ていた。
 よく考えれば、ケムヨのボディガード的存在なのかもしれないと将之は思った。
「あ、あの、もしかしてあなたはあの家の関係者の方ですか? 不審者がいないか様子を伺ってらっしゃるんですね」
「関係者といえばそうなるけど、たまたま様子を見に来たら笑美子が困ってそうだったから心配で」
「エミコ?」
「ああ、君と喋ってた女性の名前だけど」
「えっ?」
 将之は口を開けて驚いた。
「笑美子。父親の俺が名づけたんだ。笑顔が美しくいつも笑っていられますようにって、笑う美しい子という字を書くんだ」
 将之は目の前の人物を眉間に皺を寄せてじっと見詰めていた。
「あっ、その顔は信じてないって感じだね。ちょっと待って」
 男はズボンのポケットからウォレットを取りだし、そこに挟んでいた写真を将之に見せた。
「訳あって久し振りに会いに来たんだけど、すっかり成長してきれいになってびっくりだった。この時まだこんなに小さかったのに」
 その写真は父母らしき人達の間に小さい女の子が笑顔で写っていた。
 将之はその写真を食い入るように見つめた。
「これが俺」
 男性がサングラスを取り自分だと写真に指で示して伝える。確かに多少老けていたが写真と同じ顔をしていた。
「笑美子……」
 将之が呟く。そして父親と名乗る男を顔を青ざめて見つめていた。
「ところで君は笑美子とはどういう関係なんだ?」
「お、俺、いえ、わたくしその……」
 将之は何がなんだかわからなくなっていた。ただ父親が持っていた写真をもう一度見つめる。
「まあ、なんでもいっか。とにかく今日はタイミング悪そうだから笑美子に会わないで帰るとしよう。ついでだからこれ、君にあげる」
 ケムヨの父親は持っていた紙袋を将之に手渡した。
 将之が持つとそれは思った以上にずっしりと重たく体が傾いた。
 中を覗けば、ワインボトルが4本入っていた。そのうちの一本を手にすれば、見たことのあるラベルが貼ってあった。ゲンジが持ってきたワインと全く同じものだった。
「こ、このワインは」
「これ、俺が作ったワイン。そのラベルは笑美子が小さいときに描いた絵なんだ。あの子絵を描くのが上手くてね。いつかワインを作ったときその絵をラベルに しようとずっと思っててそれでやっと出来たワインなんだ。詳しいことは笑美子から聞いて。さてとそろそろ空港に行かなくっちゃ」
「空港?」
「今回はそのワインの売り込みで帰国したんだけど、俺、フランスに住んでるんだ」
「えっ、フランス!?」
「それじゃ、失礼するね」
「あっ、あの」
 将之が何かを言おうとしたが、ケムヨの父親が走って行った先にタクシーが停まっていたのに気がついた。
 何も詳しいことを聞けないまま、その場に突っ立っていると紙袋がどんどん重くなっていく錯覚を覚えた。
「ケムヨの本当の名前は笑美子……」
 将之はケムヨの父親の後姿を見えなくなるまで見ていた。
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