第九章7


「で、なんでここなのよ」
 ケムヨが納得いかないと店の前で不機嫌になる。
「だって、割引券もってるし、ここならゆっくりと座れて楽しめると思ったから。最初からケムヨちゃんとここに来るつもりだったんだけど。別に構わないでしょ、将之さんも修二さんも」
 ほんわかとした笑顔を夏生から向けられると二人は「はい」以外の言葉が浮かばなかった。
「じゃあ、多数決でカラオケに決まり」
 夏生はケムヨの腕を引っ張り中へ入っていく。後ろから将之と修二も顔を見合わせながら入っていった。
 店員に案内されて部屋に通されると、夏生ははしゃぎ、すぐにソファーに座って早速分厚い歌本をペラペラとめくる。
「さてと何を歌おうかな」
「結局は夏生が来たかっただけじゃない」
 ケムヨはまだ入り口付近に突っ立ったままぶつぶつと不平を呟く。
「カラオケ嫌いなのか?」
 将之は質問した。
「嫌いって言うか、あまり話題の曲とか知らないし歌えない」
 部屋は照明が少し落ちていたお陰で少し膜が掛かった効果があり、将之と一緒でも気まずさが和らいだ。
「あの、お飲み物はどうしましょう」
 男性店員が尋ねる。
 それぞれ適当な飲み物を注文すると、店員は部屋を出て行った。
 夏生は慣れた感じで一人ソファに座っていたが、残された三人はどうしていいのか分からず立ったままの状態だった。
「ちょっといつまでそこに居るつもり。早く座わりましょうよ。ほらほら修二さんこっちこっち」
 夏生が手招きすると、修二は「俺?」と確認しつつ夏生の隣に遠慮がちに座る。
 テーブルを挟んでソファが対面するように置かれていたので、片側を二人が座ると、残りは将之とケムヨがそこに座るしかなかった。
 仕方なく二人もそこへ座る。
「将之はカラオケ得意なの?」
 ケムヨが歌本を手渡しながら聞いた。
「まあ、そこそこ付き合いくらい程度」
「じゃあ、夏生に合わせて適当に歌ってね。私は聞き専だから」
 ケムヨはなぜこうなってしまうのかわからない。
 まだ夏生に相談事の序章も伝えてないというのに、その問題の一つの原子が隣にいることに混乱してきた。
「わかった、折角来たし歌ってみる」 
 将之は半分開き直りもあったのか、歌いたい曲を探し始めた。
 その時、夏生は修二と一緒に本を見ながら何か小声で話していた。
 ケムヨがチラリと二人を見れば、慌ててページをめくり、リモコンを手にして曲のナンバーを入力しだした。
「それじゃ私から歌わせてもらうね」
 イントロが流れると、突然の音が耳を襲うように入って来た。夏生はマイクを手にして立ち上がり、ステージのようになっていた場所に移動してノリノリで歌いだす。
 どんなときも自分のペースを保つというのか、順応性の高い夏生はあっと言う間にカラオケの楽しい雰囲気を一人で生み出し、周りの緊張した雰囲気を和ましていった。
 歌もそこそこ上手いので、聴いてて耳に心地よくなってくるから、ケムヨも最後は丸め込まれてしまうのがいつものパターンだった。
 昔から夏生は嫌味なく自分の思うように持って来る。それは我侭じゃなくて、ケムヨを助けたいためにケムヨのことを思っての行動だった。
 あの合コンも騙してまでケムヨを連れ出したのも、そういうことにかけては手段を選ばないのも特徴だった。
 このカラオケにしても夏生は何かを企んでいるのか、目を細めて笑顔をケムヨに向けていた。
「夏生さん、歌上手いんだな」
 将之が感心している。
「夏生は何をやらしても上手いよ。仕事だって料理だってそして人付き合いだって」
「ケムヨだって器用なんじゃないのか? 絵だって描くんだろ」
「それは趣味で好きだから」
「で、一体どんなジャンルの絵が得意なんだ?」
「どんなジャンルって別に普通だけど」
「普通ってなんだよ。やっぱりアレか? 腐女子系?」
「はっ?」
 ケムヨが驚いて聞き返しているときに、将之も歌いたい歌を見つけリモコンに登録しだした。
 ケムヨは聞かなかったことにしてその後はそれについては触れなかったが、実はそういう類もいける口なので隠したくて知らん振りをしてしまっていた。
 自分では上手くやり過ごしたと思っていたが、隣で将之はクスクスと笑っていた。
 ケムヨがどんな絵を描いているのか、すでに修二から聞いて知っていたのだった。
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