第一章 席替えの時に強く願いを込めて


 高校入学後の浮ついた陽気な気分の中に紛れる不安は、自己顕示欲に押され気味に、ギラギラとしたものを前面に押し出していく。
 誰もが寄り添える友達を手に入れようと、波長の合うものを探し求め、隠れてアンテナを張っている。
 その運は巡り合わせた席順で決まるかもしれないし、目があった瞬間、ニコッと微笑み合って声を掛けた時に決まるかもしれない。
 この時期は友達探しのために、みんなノリがよくなりやすい。
 キャーキャーと大げさに笑い声が教室に響く。
 皆、一人ぼっちになることを恐れ、仲間を求めている。
 乗り遅れてはいけないこんな時、真理は一人おどおどとして、誰にも声を掛けられずにいた。
 それでも真理は運がよかった。
 同じように、乗り遅れて不安な目でおどおどしている人物がそこにいたからだ。
 お互いの消極的な波長がそこで合い、二人は恥ずかしげに顔を見合わせ微笑み合う。
 この人となら仲良くなれそう。
 そう思いながら真理をじっと見つめていた。
 それが、瀬良紫絵里(せらしえり)。
 メガネをかけて真面目そうだが、背が低く控えめな態度が、暗さを強調。
 そして、周りに流されず、我が道を進み、人に合わせるのが苦手なタイプ。
 しかし、ニコッと微笑んだ顔は、悪くはなかった。
 メガネの奥から覗く双眸は誠実さにあふれていた。
 真理は紫絵里に引き寄せられるように近づいた。
 紫絵里も同じように傍に寄り、そこで自然とお互い自己紹介する。
 発せられる雰囲気が似たもの同士の二人は、すぐに気が合い、仲良くなった。
 紫絵里は落ち着いて、気遣うように笑みを絶やさず、そして時折、ずり落ちてくるメガネを頬に触れる仕草で軽く抑えていた。
 真理も控えめで、紫絵里を優先的に扱って大切にしていた。
 そんな二人が親友にならない訳がない。
 クラスの中では大人しく無力な脇役かもしれないが、この二人の友情は固くゆるぎなく、二人の間では世界の中心になれるくらい赤毛のアンとダイアナを演じてしまいそう。
 だが、その陰でそんな二人を馬鹿にするクラスメートが居るのは、どこにでもある仕方のないよくある出来事。
 心無い意地悪さを持たなければ生きていけないような、そんな尖がったきつい女の子たちの群れ。
 思春期のバランスの崩れと、その場の雰囲気で自分を主張しないと気が済まないような、粋がった態度。
 悪意も自然に伴い、人を見下して、自分の自尊心を保つ。
 比較して、自分の下にいる人間を定めてやっとクラスで生き残れると思っているような、悲しい人間。
 きれいごとばかりがある世界じゃない。
 特にクラスという狭い空間に不特定多数の人間が集まれば、抑えられない気持ちにはけ口を求めるのは自然の流れ。
 醜い心は誰にもあるから、こういう人間が常に生まれる。
 でも、まだ心に思っているだけなら、それでいいけど、態度に出て露骨に手を出して来たら、覚悟するしかない。
 戦いの火蓋が切られたら、もう逃げられないのだから。
 それまでは、何も起こらないようにひたすら祈るしか方法はない。
 そんなスレスレの不安定なクラスの界隈に、真理と紫絵里は位置していた。
 いじめのターゲットに扱われる、安っぽくみられる存在。
 学校がある限り、クラス分けされる限り、気の強い悪意を持った人間がいる限り、それはどうしようもない、人間の醜さがそこに芽生える。
 それを紫絵里は機敏に感じていた。
「私といると真理が悪く思われちゃうかも」
 紫絵里が心配して、真理を気遣う。
 紫絵里は弱い立場に身を置くけども、勇気がある芯の強さを持っていた。
 相手が嫌なことをしてきたら、はっきりとやめてと言っては、相手を睨むような子だった。
 聞こえは良いように思えるが、裏を返せば頑固に固執する性格。
 だから、余計に反感を買いやすいところがあった。
 真理はまだ何も言い返さず、ひたすら黙ってるだけのでくの坊。
 でも強い者がいれば、それに巻かれて柔軟についていける知恵は持っていた。
 だから、同じ消極的なタイプでも紫絵里と違って全く相手にされずに、受け流される。
 それがいいか悪いかわからないが、気弱なものにはいじめに繋がらなければ、それでいい。
 真理はうつむき加減でいるから、常に長い髪が顔を覆うように纏わりついている。
 また人と顔を合わさないから印象が薄く存在感がない。
 でも実際よく見れば、バランスのとれた美しい顔をしている。
 本人がそれに気がついていないし、おどおどとした態度と自身のなさで、折角の美しさも半減してしまっていた。
 そんな自信のなさが、紫絵里への依存となって、益々強くなる。
「そんなことないよ。私は紫絵里と一緒にいると楽しい」
 クラスの中で頼れるのが紫絵里しかいない真理にとって、何を言われても気にしない。
 紫絵里がクラスの女子に嫌われていようが、自分が嫌われようがどうでもよかった。
 そんなことで悩むような真理じゃなかった。
 真理の本当の悩みは誰にも言えない、遥か深い心の奥にだけある。
 きっと姉妹のマリアだけが理解できる複雑な感情。
 それが今よりももっと深刻になるのを、真理はいつも恐れていた。
 そんな気弱な真理にもある程度の信念は持ち合わせているし、何せやはり自分がクラスで生き残るためには心の支えが必要だった。
 普段マリアを支えながら姉妹仲良く身を寄せ合っているだけに、真理も違う場所で心のよりどころを求める。
 それはあまりにも自然な流れだった。
 紫絵里もそんな真理に頼られれば、少しは姉御風をふかすように、真理よりはしっかりとしてくる。
 二人はクラスでは相手にされない蔑んだ目で見られる同等なタイプでも、この二人の間では、紫絵里は真理よりも幾分か力関係が上になっていた。
 真理は優しい子で、そんな事気にはしなかった。
 紫絵里が大切な友達には変わりなかったし、唯一クラスで頼れて力になってくれる。
 紫絵里の後をついていくだけで楽だった。
 逆らわないで一歩引き、紫絵里を立てて、控えめに過ごす。
 真理もそれが一番楽で、納得していたはずだった。
 そうあの席替えが起こるまでは──
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