第二章


「雨、よく降るね。髪の毛濡れちゃった」
 濡れた前髪を指で触れながら、紫絵里は少しでもいい感じに整えようとしていた。
「おかしくないかな」
 真理に意見を求めて、そこに自分を褒めてほしい期待を込めた瞳がメガネを通して見えてくる。
 ほんのりと艶が出てている紫絵里の唇が妙に目立ち、リップグロスを塗ったのがよくわかる。
 唇が荒れてるから塗ったのではなく、紫絵里なりの恋心がそうさせた。
 きれいになりたいその思いが、ほんの少しでも化粧の真似事をさせてしまった。
 真理はニコッと微笑み、紫絵里の気が済むように、少しだけ彼女の前髪に触れてやる。
「大丈夫。全然おかしくない。濡れてる方がいつもと雰囲気が違った魅力がでてるかも」
「そうかな?」
 紫絵里の顔がぱっと明るくなった。
 真理は頷いて肯定してやると、紫絵里は益々喜んでいた。
 人は恋をすると、些細な事を気にしてしまう。
 少しでも良く見られたい。
 そこに優介の視点を気にした思いが、全ての行動に影響を与える。
 素直に自分の心を恋にぶつけられる紫絵里が、真理には羨ましかった。
 朝の挨拶が一際目立って飛び交ったその時、その声の方向を見れば優介が元気に登校してきた。
 周りの男子生徒はノリよく挨拶し、雨の鬱陶しさを吹き飛ばすくらい、そこだけ晴れ間が覗いたように陽気が溢れる。
 瑠依は、思いが届かない切ない気持ちを胸に抱き、さりげなさを装って優介を目で追っていた。
 周りの女の子達は、それに同情するかのようなお情けを掛けて慰めている。
 そこに悪口を言っていた二人も含まれた。
 本当はいい気味だと心で思えるからこそ、この時楽しんで、かわいそうだとフリをする演技に力が入る。
 真理はそれを虚しく黙って見ていた。
 紫絵里も瑠依の悲劇のヒロインぶりを見ながら、呟いた。
「また今月も松永君の隣の席か」
 喜びが混じり合うその裏で、瑠依に勝ったと思っている気持ちも入っていた。
「来月は期末テストや夏休みも控えて日数少ないから、夏休み明けの二学期まで席替えないね」
 真理の言葉で、紫絵里はさらに満足し、期待に胸を膨らませて高揚する。
 そこに自分の願いが叶うと信じて止まず、まるで全てを手に入れたように、すでに恋人気取りになったむき出しの欲望がギラリと見えた。
 あの石がそうさせているのかもしれない。
 真理が何かを言おうと口を開きかけた時、チャイムが鳴った。
 それを待っていたように紫絵里は自分の席に向かう。その後、暫くして優介も席に着く。
 真理はまた一番後ろの席から、二人の様子を窺い、その行く末を見守る。
 紫絵里に邪魔をするなと釘を刺されたが、実際、真理も優介が気になっている。
 唯一、真理を気にかけてくれる優しい男の子。
 前回の辛い恋を経験してから、暫く恋はしないと思っていたのに、時経てば傷は癒され、その間に知らずと優介は真理の心に入り込んでしまった。
 そして、優介は前回好きになった男の子と雰囲気がとても似ている。
 あの時好きになった人と優介がオーバーラップする。
 真理が好きになるタイプは全てに共通点があり、そこに導かれてしまう同じようなプロセスが出てくる。
 必ず三角関係から始まり、そして自分の想いは決して成就する事がないままに、涙を流して終わってしまう。
 大切な人をどうしても裏切れない。
 今回もきっと同じような結果になるとわかっているのに、真理は紫絵里と楽しそうに話している優介の横顔を、寂しく見ていた。

「おはよう、松永君」
「おっす。瀬良。今日は雨だな」
 紫絵里に声を掛けられ、鞄からノートを取り出しながら、優介は気軽に話し出した。
 優越感と喜びに紫絵里は心満たされ、調子づいていく。
「梅雨時だもん。仕方ないね」
「こんな時期に、来週遠足だろ。絶対雨だね」
「わかんないよ。晴れ間がのぞく日だってあるし、それにその日はきっと晴れると私は断言する」
「おっ、瀬良は晴れ女か」
「うん。そうだよ」
「おっ、はっきり言うな。すごい自信。そしたら賭けしようか。俺は雨に賭ける」
「じゃあ、私は晴れね。それで、勝った場合は何があるの?」
「そうだな、ラーメンを奢られるってのはどうだ?」
「えっ? ラーメン? 私、それいらない。暑いのにラーメンなんて食べたくない」
「そうか? おいしいラーメン屋が駅前に最近できて話題になってるじゃないか。美味そうなんだけどな」
「私は、パフェがいい」
「そんなのがいいのか? 腹もち悪いぞ。それじゃ、俺が勝ったら、瀬良はラーメンを奢る。瀬良が勝ったら、俺がパフェを奢るってどうだ」
「それいい!」
「ようーし、それじゃ決まりだ」
 晴れても雨が降っても、どっちにしろ放課後、優介と一緒に過ごせるきっかけができる。
 またこれが、自分の願いに一歩近づくように思えてならなかった。
 紫絵里の願いは、優介の彼女になること。
 きっと二人っきりになったとき、それが叶う。
 できたら、ラーメンよりはパフェの方が、雰囲気がよさそうに、紫絵里は遠足の日が晴れる事を願うだろうと、一部始終を見ていた真理はそう思っていた。
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