第三章


 紫絵里がいつもと違う姿で教室に入った時、女子達のひそひそ話があちこちで目についた。
 気にしないようにとしていても、紫絵里のぎこちない動きに心の不安定さが小刻みに現れている。
 紫絵里自身も、初めての試みに多少の緊張感があったに違いない。
 ついいつものくせで、メガネを抑えようと手が顔元に向けられたが、それがない事に自分自身がびっくりしていた。
 紫絵里はメガネからコンタクトレンズに替えていた。
 あからさまに、それは優介を意識しているのが誰の目にも止まった。
「急に色気づいちゃって」
「メガネを取ったからって、対して元がかわいくもなく、何も変わらないのに」
 そんな言葉が聞こえてくる。
 たかが一人のクラスメートがメガネからコンタクトに替えたくらいでなぜに攻撃を受けてしまうのか。
 女子達が嘲笑うのはなぜだろう。
 真理はクラスの女子達を見回していた。
 虚しいくらいの人間の欲望が無駄に負のエネルギーとなって、人々の心の中に不満を植え付け、それは群れをなして大きく膨れ上がっている。
 一人ならばきっと口に出さなかっただろうに、二人、三人と同調することで、リズムに乗るように調子よく悪口が飛び出していた。
 そんな女子達の感情を横切りながら、真理は紫絵里に近づいた。
「おはよう、紫絵里。メガネ取ったんだ。雰囲気が全く違うね」
「へへっ、ちょっと変えてみたんだ」
 持ち上げてくれる言葉を期待して、紫絵里は笑顔を向けた。
 それは何度も鏡の前で練習して、自分でさまになってると思った姿が想像できた。
 真理の口からかわいいと言われるのを待っている。
 真理は微笑んで、その期待に応えてやった。
「私はメガネを掛けている時も好きだけど、外した時もかわいいと思う」
 単なる社交辞令。
 それでも紫絵里は気分よく、それを真に受けていた。
 優介が登校してくるのを紫絵里は心待ちにし、そして案の定、優介が紫絵里を見たときわかりやすいままに反応を示した。
「おっ、瀬良、メガネからコンタクトに替えたんだ。なかなかすっきりしたな」
 あからさまに面と向かって、異性に対して褒め言葉を言うのには、照れもあることだろう。
 何も反応がないよりも、わざとらしくても大げさに話題にしてもらえるだけで、紫絵里には充分だった。
 紫絵里は恋をすることで、自分の欲望が膨れ上がって、内面的に変化が現れた。
 それは紫絵里を明らかに変え、以前よりは明るく、そして大胆になってきている。
 恋をすると人は美しくなるというが、まさに紫絵里はその道を辿っていた。
 そんな紫絵里の乙女心は、健気でやっぱりかわいいと思える。
 恋心を抱えて、弾んで楽しく会話する紫絵里。
 そのノリに便乗して茶目っ気たっぷりに反応する優介。
 二人のその姿を見ていれば、その仲の良さぶりを邪魔するのは引けてしまう。
『真理、何も恐れないで。あなたは自分の思うままにすればいい。優介はあなたのものになるわ。遠慮なんてすることないの。優介もすでにあなたの事が気になってるはずよ。だって、私がそう仕向けたのだから』
 マリアの言葉が、また心の中で繰り返される。
 真理は心の中で呟く。
「松永君は本当に私の事が気になってるの? マリアがそう仕向けたってどういうこと? 病院ですれ違った時、何をしたの?」
 真理は二人の楽しそうに話す姿を空虚に見ながら、二人に合わせてお愛想程度に付き合い、一緒に居るのを楽しんでいるフリをする。
 時折、優介が真理に視線を向ける。
 真理もそれをしっかりと受け止め、見つめ返せば、そこに同じ波長の思いがピッタリと合うように重なる。
 その一瞬の感情に、真理はドキッとし、優介は喉に息が反射し喘ぐ。
 マリアに助言されてから、真理は優介の視線を意識し出した。
 自分もまた、紫絵里と同じように欲望が心で膨れ上がっていくのを感じる。
 それに素直に従った時、果たして自分は紫絵里を裏切れるのだろうか。 
 紫絵里の陽気に笑う声が嫌に耳について、真理は耳をふさぎたくなってしまった。
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