終章


 一方、この出来事に深く係わっていた紫絵里は、病院の個室のベッドの上に居た。
 個室が宛がわれるくらい、紫絵里はそこそこの余裕がある暮らしができる家庭の子供に違いない。
 体には全くの異常はないが、優介を思い出しては泣きじゃくり、真理の存在に怯えて、精神が不安定になり、時々気持ちが抑えられず、寝ている間に発狂することがあった。
 ショックが強いと判断し、また精神の不安定さから優介の後追い自殺をされても困ると、大事を取って親が当分の間、入院させていた。
 目の前で、人が一人死んだのだ。
 しかも、ずっと好きだった優介が、自分の友達に殺されてしまった。
 その真実は紫絵里しか知らないが、精神が崩壊するほど紫絵里はおかしくなっていると、周りも決めつけていた。
 だから、紫絵里が目覚めて、病室の隅にいる私の顔を見たとき、声を張り上げてパニックに陥った。
 それはそれで私を傷つけたが、仕方のない事だと、紫絵里が落ち着くまで静かにその病室の隅で立っていた。
 それが余計に恐怖を植え付けていたと知ったのは、少し経ってからだった。
 紫絵里の叫び声で、看護師が慌てて飛んできたとき、紫絵里はうわごとのように何度も「真理、真理」と部屋の隅にいる私を指差していた。
 だが、看護師には私は見えない。
 看護師は精神のショックから起こるただの悪い夢だと片付け、どうにかして紫絵里をなだめようと、何もいないと何度も言っていた。
 それで紫絵里も、やっと私が看護師に見えてない事に気が付いた。
「私は真理じゃないわ」
 私も訂正したが、その後で紫絵里は「マリア」と私を呼んだ。
「マリアでもないわ」
 私が溜息を吐いて少し呆れて言ったことで不思議に思ったのか、紫絵里は徐々に落ち着きだした。
 そのうち、看護師もほっとして、大丈夫だと判断すると病室から出て行った。
 私は病室の隅に立ちながら、声を失って疑問符を頭に乗っけた紫絵里をじっと見つめていた。
「じゃあ、誰なの?」
 ようやく声が出た紫絵里は、やはりどこか人と違う感性があるもんだと私は思った。
 看護師に見えなかった私を、あっさりと受け入れ、怯えるよりも、それが何であるか確かめることを選んだ。
 だから私は紫絵里を気に入って、ニコッと笑った。
「誰でもないわ。私は私だから」
「そんな、だって、真理にそっくり。双子の姉のマリアでもなかったら、なぜそんなに似ているの? 三つ子だったの? ううん、それよりも、どうして看護師さんには見えなかったの。もしかして、幽霊なの?」
「面白いわね。当たらずとも遠からずってところかしら。真理はマリア、マリアは真理、そして真理とマリアは私でもある。私たちは同じ体を共有している三つ の人格ってところね。そして幽霊ではない。だってまだ死んでないんですもの。ただ、人には見えなくてあなたには見えるってだけよ」
「一体どういうことなの? わからないわ。それに、どうして、松永君を殺したのよ」
「私は優介を殺してないわ。真理もマリアも殺してない。あれは優介の運命よ」
「だけど、真理が松永君の胸を刺すところを私は見たわ」
「その前にあなたが刺そうとしてたじゃない」
「あっ……」
 紫絵里はその事実に改めて驚いていた。
「私、殺そうとなんて思ってなかった。あれは、感情に流されて……」
 必死に言い訳をする姿に私は笑ってしまった。
 決して馬鹿にした訳ではない。
 ただ、自分を棚に上げて人を責められるその図々しさがおかしかった。
「そうね、人間は怒りに支配されると、何をしでかすかわからないわ。そこに殺意がなくとも、人を簡単に傷つける事ができる。だけど、真理は傷つけたくてあの行動を起こしたんじゃない。そうせざるを得なかったの」
 ここから私はマリアとハイドの恋の始まりを説明しなければならなかった。
 天使と少女の歪んだ恋物語。
 そしてその副作用──
 マリアは恋に落ちたハイドから分け与えられた命によって、常に自分を愛する者の命を奪ってしまう体になってしまった。
 この世に存在する命は吹き込まれたが、マリアを愛するハイドが現れれば全てを吸い上げてしまい、ハイドはこの世から消えてしまう。
 だからマリアはハイドから離れなければならなかった。
 しかし、天使から与えられた命は人間のそのものとは違う性質があり、年は取らないが、あまりにも中途半端な存在となってしまった。
 ハイドに会えばハイドの命を完全に奪い、人間としてもまともに一生を終えられず、孤独にこの世に存在するだけでは辛すぎた。
 ハイドも命を半分マリアに与えたことで、完全な天使にはなれずに、ある程度の人の魂を捕食しないといけない体になってしまった。
 恋に目が眩み、その愛を得ようとしたことで二人は天罰を食らってしまった。
 愛するがゆえに与えられた試練。
 だがある日、小さな希望の光を二人は見つけた。
 それが真理の誕生だった。
 真理が代わりに恋をして、そしてその真理に恋した相手の魂を奪った時、一時的にマリアはハイドに近づける事ができた。
 それはほんの一瞬のことでも、二人にはかけがえのない心を通わせられる瞬間。
 だから真理という代わりをこの世に放ち、マリアはじっと身を顰める。
 真理に恋する相手も、予めふさわしい人をハイドは見つけて、この策略に手助けする。
 すでに死期が確定している者限定。
 ハイドは命の残り少ない者達から早めに魂を掻き集め、死期が迫っている、これから真理と恋しようとする相手に分け与える。
 その時、新たな命の移植と同時に、真理の好みの男となるように性格も作り変える。
 すでに運命が定められた者を期間限定で新たに生まれ変わるように仕向けるのだ。
 それは捧げもののように、または生贄のように──
 私がここまで紫絵里に説明した時、紫絵里はその理不尽な行動に腹を立てている様子だった。
 我慢できなかったのか、全てを話し終わる前に遮った。
「何、その身勝手な行動。自分たちのためだけに人を利用して!」
「わかってるわ。だから最後はあなたに判断してほしいの。これが正しいのか、間違ってるのか。あなたが許せなければ、二人はもう会うことはない。そして、 ハイドは消える事を選び、ハイドが消える時、ハイドの命の半分を手にしているマリアも自動的に消滅する。二人は生まれ変わることも許されないままに、魂は ゴミのように破棄される。二人の愛はそこで終止符を打つわ」
「それで、マリアが消えたら、真理とあなたも消えるってこと?」
「もちろんよ。私たちは一つの命を三人で共有しているだけの都合のいい存在。特に私の使命はあなたのように犠牲になってしまった人に全てを説明する事なの。一つの物語としてね」
「なぜ、私だったの? どうして私が巻き込まれてしまったの?」
「それは、この物語にはあなたがどうしても必要だったから。あなたの貪欲さがあの月の光の石に力を与え、あなたの身勝手さが、真理に恋の本質を気づかせ た。三角関係になることで、真理に刺激を与えて、行動させるの。真理はあなたが居ないと恋もできなかったって訳。あなたじゃないと成し遂げられなかった わ。そして、真理はあなたと波長があった」
「あの石を私に渡したのはあなたね。道理であの時、真理と話が噛み合わなかった訳だわ。それにしても卑怯よ!」
「どう思おうと、それはあなたの自由。あなたが許せなければ、私達は消えて罪を償うわ」
 紫絵里は心のどこかで葛藤しているのか、何かを思いつめるように黙り込んだ。
 私は、この時も静かに傍観していた。
 ただ紫絵里がどのように決断するのか、この瞬間は少しだけ楽しみだった。
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