レ モネードしゃぼん

Side亜藍 前編 3

 俺は奈美になぜこんな手の凝ったことをするのか。
 そこには俺のはっきりしない性格が絡み、正直に自分の気持ちを伝える勇気がなかったからだった。
 俺はフランスで生まれ、小学三年生になる年に日本に来るまでフランスで過ごしていた。
 母親が日本人で、日仏ハーフの父親も日本語が話せたこともあり、俺は親から日本語を教えられ、簡単な日常会話を聞く分には問題ないくらい日本語は理解で きていた。
 しかし喋る機会が極力少なかったので、口からはスムーズに日本語が言えないレベルだった。
 妹の樹里は少し立場が違って、母親の里帰りで樹里だけ一緒に連れられて日本に来る機会が俺よりも多かったので、バランスがよくて俺よりは日本語ができて いた。
 そして日本に来ても俺より早く日本に馴染み日本語にもあっという間に慣れていた。
 フランス語の方が少し劣ってしまった立場かもしれない。
 それでも家では父との会話はフランス語だったのでなんとか持続してはいるが、本人いわく日常会話はなんとかできても俺よりはレベルが低いらしい。
 それよりも英語の方が好きみたいで、英語を頑張っていると言っていた。
 日本に引っ越してきたのは母親の希望でもあり、そして父も日本で働く機会が重なってすんなりとこっちに来れたということだった。
 だが、父はいつかはフランスに戻る事を前提としていたので、日本での暮らしは仮だといつも言っていた。
 だから、当初日本に来たとき上手く日本語が話せなくても、我慢すればすぐにフランスに帰れるとそればかり思って、クラスの男の子達に虐められてもひたす ら耐えていた。
 これは仮の生活であって、自分本来の生活ではない。
 それならとことん日本人のフリをして皆を欺こう。家の中以外の場所では絶対にフランス語を話さないと心に決めていた。
 そして学校の先生にも母親からフランスに居たことをいわないようにしてもらっていた。
 フランス人だとばれたら、それとかけ離れた容姿も含めてもっと虐められ、放っておけない者は、執拗にフランス語話してみろよとからかわれるのも分かって いた。
 担任の先生もその点は理解して、俺に協力してくれる結果となった。
 子供は残酷にも人と違う部分を見つければそこをとことん攻めてくる。
 ただでさえ色白でひ弱で見かけもヒョロヒョロとして虐めの対象となるだけに、そこに他の要素が加われば致命的になると子供心に思っていた。
 日本語に不自由していたときは、ボロが出ないようにひたすら無口でいたが、そして言葉がわからないだけに勉強もできないと思われてすでにクラスではかっ こ悪い存在となってしまった。
 寧ろアホ扱い。
 それでもじっと耐えるしか俺には方法はなかった。
 そんな時に奈美が俺のところにやってきたのだ。
 俺と奈美が仲良くなるきっかけとなった出来事がここで起こる。
 クラスの男の子に筆箱を落とされ、飛び出した消しゴムを拾って俺の机の上に黙って置いてくれたのだ。
 ほんのそんな気遣いがとても心に沁みて思わず自然に「メルシー」とフランス語が出そうになって慌ててしまったが、奈美はその時ニコッと笑って自己紹介を してきた。
 あのときの奈美は水面に反射する光のように輝いて見えたもんだった。
 いつも一人でいた俺には、誰かが笑顔で近づいてくるなんて信じられない程衝撃的だった。
 物怖じせずに、積極的に俺に話しかける奈美は救世主のごとく貴重な存在となり、しかも先生ごっこという遊びを通じて日本語まで教えてくれるようになっ た。
 奈美は遊びの一環として楽しんでいただろうが、俺にはありがたかった。
 奈美が教えてくれる言葉はその日のうちに覚えようと必死になり、奈美が話した言葉はオウムのように繰り返した。
 奈美は遊びだったから、俺がそんな態度をしていると喜んで笑っていたが、俺にとっては必死の大真面目なことだった。
 そして樹里も楽しそうとばかりに寄って来て奈美の授業を受けた。
 樹里にも奈美の前では決してフランス語を話すなと言い聞かせていたので、樹里はその約束をしっかり守っていた。
 奈美が俺の家に来るときは、母にもフランスに居たことは絶対言うなと釘をさした。
 父と奈美が出会ったときは、父に事情を説明するのを忘れていて「ボンジュール」と奈美に言うもんだから慌てしまったが、冷蔵庫にたまたまポンジュースが 入っていたので、それを取り出して誤魔化すように「はい、ポンジュース」と父にさらりと渡してその場から去ってもらったもんだった。
 その時はなんとか上手く誤魔化せたと思う。
 時々フランスの話題が出るとドキッとしたが、奈美は全く気づいてない様子だった。
 そうやって奈美と一緒に過ごしたお陰で日本語が上達したと言っても過言ではない。
 そんな恩があるから、俺は奈美には頭が上がらなかった。
 義理堅い部分も持っていたから、今度は俺が奈美の為に役立ちたいなんて思うようなところがあっ た。
 正直に言うと、最初は奈美と一緒に居たくて奈美のご機嫌伺いなところもあったかもしれない。
 奈美は一人っ子独特の我ままな気難しさが時々顔を覗かせたが、俺がうんうんと聞けば奈美はすぐに機嫌を良くして楽しそうに俺にまた絡んでくる。
 そういうところを見ていると奈美は思うように行かないと、自分でイライラしてしまうんだって気がついた。
 そして寂しがりやなところがあって、構ってやると本当に嬉しそうに心を開く。
 自分で感情をコントロールできなくて、それを理解する人間が周りにいないために奈美は敬遠されがちだったけど、俺には奈美のことがよく見えた。
 奈美は本質は真面目で決めたことはきっちりとしないと気がすまないところがあって、そこにぴったりと当てはまらないと気分を害するだけだった。
 イライラしなくてもいいんだよって俺が吸収するように奈美の言い分を聞けば、奈美の気分はすぐに落ち着く。
 俺は分かっていたからそういう行動を取ったけど、傍から見たら俺が子分のようでいつもヘコヘコしているとからかわれたもんだった。
 でも俺は奈美が我がままであっても、生真面目に何事も自分の拘りを持って貫こうとしていると思うと嫌いじゃなかった。
 意地っ張りで素直じゃなくても、俺の前だけは自分らしさで対等に付き合ってくれていた。
 俺がフランス国籍だって言ったところで、奈美は「それがどうしたの」と気にしない事も想像できた。
 でもなぜ言えなかったのか。
 多分、自分は奈美と同じ日本人としていたかったんだと思う。
 いつかフランスに帰るから、それまでの我慢だと思っていたが、奈美と出会って自分は日本人でありたいって強く思うようになった。
 だから奈美が俺のことを日本人と思ってくれるままでいて欲しかったんだと思う。
 フランスで生まれて住んでいたときも、自分の容姿から自分はフランス人じゃないって思っていた。
 それでからかわれることだってあった。
 日本に引っ越してきても日本人に見えてもどこか普通と違うからと虐められ、どこにいても自分はアイデンティティを確立できないそんな立場に居た。
 だけど奈美は俺のことを認めてくれて、長く付き合えば付き合うほど俺のことを最大に評価してくれた。
 お互いの持ってる部分がいいように相互作用した最高のパートナー。
 早い話がボケと突っ込みの漫才コンビみたいだった。
 まるでお互いの役割を良く知ってい るとい うように──。

 俺はアイスクリームを麻木兄妹に奢った後、もしかしたら奈美が俺に会いに来てるかもという淡い期待を抱いて急いで家に帰った。
 そして家の玄関のドアを開けたとき、本当に来ていたのでびっくりしすぎてつい誤魔化すために憎まれ口を叩いてしまった。
 あんなこと言ったら気を悪くするくらい分かっていたことだった。
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