レ モネードしゃぼん

Side亜藍 後編 2

 そんな目で見ないでくれ。
 思わず叫びたくなってしまう。
 奈美の瞳が落ち着かず揺れ動いていたのは、俺の方が虚ろに奈美を見ていたからだろうか。
 奈美は俺が冗談だと言うのをまだどこかで願っている。
 だから奈美が口を開いたとき、嘘を暴くつもりで質問ばかりしてきた。
 俺は奈美の質問に一つ一つ答えていく。
 一つ答えるたび真実味はどんどん深く帯びていく。
 だってそれは本当のことだから。嘘なんてどこにもない。
 これこそ俺の嘘だったらどんなに良かったことだろう。
「もう日本には戻ってこないって事なの?」
 この質問をしたとき奈美は俯いた。
 日本に戻ってこない、すなわちお別れを意味していることだと俺は思った。
 戻って来ないとははっきりと言えずに、住む手段がなければ無理だということでぼやかしてみる。
「ビザが取れなければそうなっちゃうね」
「なんで、そんな大事なことずっと黙ってたのよ」
「黙ってた訳じゃない。なんか俺の拘りから言えなかったんだ。それに顔は日本人なのにフランス国籍だって周りに知られたらもっと虐められると思ったのも あったけ どね」 
 その時俺の感情は築き上げた自分のアイデンティティと共に飛んでしまったように、絶望感で棒読みのように語ってしまった。
 真実を告げた時点でもう日本人のフリはできなくなった。
 俺は奈美にとったら外国人になってしまった訳だ。
 奈美はそれに対してどう思っているのだろう。
 国籍なんて気にする程のことでもないんだろうか。
 だけど奈美は俺に食いかかってきた。
「だからもし自分が居なくなったらどうするって、何が『もし』よ! 本当に居なくなっちゃうってわかってるんじゃない。居なくなっちゃったら、そんなの私 寂しいに 決まってるじゃない。亜藍のバカ!」
 奈美が顔を真っ赤にして吼えた。
 また奈美の行動が俺の想像範囲を超えて面食らってしまう。
 なぜ奈美は怒っているんだろう。
 俺が嘘をついてたことに対してなのだろうか。
 居なくなれば寂しいとはっきりと言い切ってるのに、俺のことバカと罵った。
 この心理は一体なんなのだろうか。
 奈美が走り去ったので、引きとめようと俺は慌てて奈美を追いかけて腕を掴んだ。
「奈美、待てよ。なんで怒るんだよ」
「わかんないんだよ。なんか腹が立つの。放っておいて」
 振り払われた自分の手のやり場に困る。
 俺は嫌われてしまったのだろうか。
 これ以上深追いをすれば奈美はまた意地を張り、事態は最悪になって行くのが目に見えたから、俺は追いかけるのを諦めた。
 黙って奈美の走り去っていく後姿を、乗り遅れた電車を悔しく見送るように虚しくいつまでも見ていた。
 奈美は角を曲がってしまい、俺の視界から消えてしまう。
 奈美の姿が見えなくなると灯火が消えたみたいで、辺りが薄暗くなっていることに突然気がつく。
 人通りが全くない住宅街を横切る道路は突如寂れた空間へと変貌し、俺は見知らぬ場所へ置き去りにされた錯覚に陥る。
 これからどうすべきなのか、まだ決められないままその場でただでくの棒のように突っ立っていた。 
 するとどこからか魚を焼いている匂いが漂ってくる。夕飯の支度をしているのだろう。
 魚を火で炙って焦げ目がついた焼き加減が目に浮かぶ。
 少し焦げ臭くなったとき、早く火を止めてと他人事なのに願ってしまう。
 余計な過度の火加減で、それ以上焼いたら真っ黒焦げになって食べられなくなるのが悲しい。
 俺の心も同じようなものだった。
 俺一人、奈美のことをずっと思い続けてきた。
 このままでは一人焦げるだけで意味がないように思えた。
 だから奈美が俺のことをどう思っているのか知りたかった。
 そう思ったのも、この間の春休みにフランスのおばあちゃんの家に行ったとき、おばあちゃんから将来はどうするのかと聞かれたことがきっかけになったのだ と思う。
 おばあちゃんに自分が元気なうちは先にこっちに戻ってきたらどうかと言われて、ふと自分は何をしたいのか何も考えてなかったことを気づかせられる。
 それと同時に自分はフランス国籍で、この先ずっと日本に住むには困難が生じることに今更ながら驚いてしまった。
 それまでこのままの生活がいつまでも続くような気がして、自分は日本人だと思い込んでいたのに一度に現実を叩きつけられた気分だった。
 俺は両親とも相談し、進学をどうするかと考えた末にこの夏一人先にフランスに戻ることを決意した。
 そしてその前にこの思いに決着をつけたかった。
 それは自分の自己満足にしか過ぎない。
 どこかで奈美が俺のことを同じように思っていてくれていると自惚れていたから、馬鹿なことを思いつき友達まで巻き込んで一芝居打ってしまった。
 その後どうなるかなんて考えもせずに──。
 俺はそれでもまだどうしていいかわからないまま、ぼんやりとして奈美の家に向かって進みだした。
 ポケットに入っていた携帯を取り出し、メールを打とうと文章を考えながら歩いている。
 どんな言葉にしようかとあれこれ迷いながら足を動かしているうちに、気がついたら奈美の家の前に来ていた。
 これからどうすべきか。
 俺は落ち着こうと深く息を吸って吐いてみた。
 とにかくこの状況をなんとかしなくては、奈美はあの調子で怒ればいつまでも意地を張り続けることだろう。
 それにはまず俺の気持ちを一度リセットすればいい。
 奈美の苛立った気持ちを抑えるためには、極力何事もなかったように俺が全てを吸収してやればいい。
 そうすれば奈美も自分で落ち着くきっかけを見つけることだろう。
 これは俺がいつもしてきたことだった。
 俺は奈美の家を見つめる。
 周りの家は明かりがついているが、もうすでに家に戻ってるはずの奈美の家は真っ暗で留守のように見えた。
 それが不自然だったから俺は『今、何してるんだ?』とメールを送ってみた。
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