Side亜藍 後編 4
「バカ! 亜藍の大バカ! 一体何を考えてるのよ」
ああ、耳が痛い。突然スピーカーから飛び出た大きな音にびびるように体が縮こまって竦んだ。
しかし、奈美の言葉は最もであり自分でも大バカだと思っている。
これに関しては弁解の余地なし。
また奈美が泣き出した。今度は大粒の涙が玉を転がすようにこぼれている。
「奈美、ごめん。俺、こうでもしないとお前の気持ちわかんなくて。俺、本当にもうすぐ向こう行っちまうし、俺もどうしていいか分からなかったんだ」
「だから、亜藍は一体何がしたかったのよ。はっきり言ってくれないと私だってどうしていいのかわからない」
「奈美だって、俺がはっきり言ったところで素直にならないじゃないか。さっきだって、寂しいんじゃないかと思って気を遣ってるって俺が言ったときも、大笑
いして誤魔化しただろ」
「だって、あの時は亜藍が私に会えなくて寂しいから照れ隠しで反対のことを言ったのかと思ったんだもん。あの後『違う』って大声で叫んだけど、一体何が言
いたかったのよ」
「あの時、奈美が真面目に考えてなかったことに勝手に失望して、急に自分が変な小細工をしたことが情けなくなったんだ。笑われるんだったらはっきりと言い
たいことを言えばよかったって後悔してた。それでもやっぱりはっきりと言えなくて、なのに奈美の気持ちだけは確かめたくてまた回りくどくやっちまった」
俺も精一杯で、自分がやってることが間違っていても、俺はそんな手しか使えない。
この時『好きだ』と言おうか迷っていたというのにも係わらず、はっきりと言えないもどかしい気持ちは、どこまでも心の中に溜まったままで外に吐き出すこ
とができなかった。
暗闇の中で俺達は充分な光にさらされずに曖昧にぼやけていた。
そんなまどろんだ中では、ぬかるみに嵌ったように焦りだけが生じて踏ん張って言えそうもない。
吐き出したい気持ちはほんの少しの勇気を持って口を開くだけで出てきそうだったのに、それは直前で苦しく詰まっていた。
奈美は俺の言葉を待っているのだろうか。
ここまで来たら俺が奈美のことをどう思っているかくらい想像がつくことだろう。
それともそれは俺が都合よく捉えているだけに過ぎないのだろうか。
俺は何を恐れているというのだろう。
迷っているうちに奈美が口を開いた。
「すっかり暗くなっちゃった。おばさん心配するよ」
時間切れと言われているみたいで、この話はこれで終わらせようと奈美が締めくくったように聞こえる。
なんだかモヤモヤして喉の奥で気持ちがくすぶる。
「奈美、俺……」
そこまで出たのに、俺は結局その後を続けなかった。
俺は後先のことも考えずに、自分がただ気持ちを確かめたいという好奇心だけで下手な小細工を仕掛けた。
奈美が俺を見てくれていると勝手に思い込み、自分が満足したいだけに過ぎなかった。
だが、その後はどうしたらいいのだろう。
ふとそれが頭によぎった。
俺は奈美を置いてフランスに行ってしまう。
いくら好きだと告白したところでもう側に居てやることができない。
会うことも、奈美の機嫌を取るために話を聞いて相手することも、海を挟んだ遠い離れた国からできるわけがない。
気持ちが繋がったまま離れることは残酷で、悲しみをただ植えつけるだけにしか過ぎない。
良く考えれば分かることだったのに、やっぱり俺は愚かで大バカだった。
奈美もかなり困惑している。暗闇の中で不安げに俺を見つめ、この状況が嫌でたまらないというように発狂したくなるのを必死に抑えている。
無理に抑えられた気持ちは涙となって彼女の目から沢山こぼれてくる。
奈美が居てくれたから、俺は日本での暮らしに馴染むことができた。
奈美は最高の俺の幼馴染であり友達であり、そして恋人にしたいと思った存在だった。
でも最後の部分はこの先のことを考えると不可能なことだった。
俺が今奈美に言える事は、心からの感謝の気持ちだけだった。
「奈美、メルシー」
自分らしく、初めて奈美と喋ったときに言おうとしたあの言葉が今自然と出てくる。
そして俺は力いっぱい奈美を抱きしめていた。
奈美は柔らかくてとても温かだった。
今が夜でよかったって暗いことに感謝した。明るかったらこんな大胆なことできなかった。
闇を薄暗く照らす電灯の下で、俺はこの先もきっと思い出すであろうその気持ちを奈美を抱きながらその感触と共に体で味わっていた。
不器用な俺はこうすることでこの恋の結末に蹴りをつけようとしていた。
いつまでも中途半端ではっきりしない俺でごめん。
心で呟きながら奈美を解き放す。
これ以上側に居るのが辛くて、俺は無理に笑顔を作ると勢いよく振り返って闇に溶け込むように奈美の前から姿を消した。