その後 後編3
「子犬を救うことは難しいかもしれない」
獣医が悲しげな声で申し訳なさそうにいいながらも、手だけは忙しそうに動いていた。
ビニール袋のような酸欠状態の中にいて発見が遅すぎたのと、生まれたばかりで免疫力もなく体力を消耗していることが、最悪の結果を招いていると説明する。
それでも諦めないと獣医は最後まで手を抜くことはなかったが、すでに一匹は心臓が停止していた状態だった。
樹里も奈美も涙を浮かべ、死んでしまった子犬を悲しげに見つめていた。
できるだけのことをした後だが、命がなくなった子犬を見るのは辛くやるせなさと悔しさで落胆が激しかった。
三匹の子犬も容態はよくないので、悲観的になってしまう。
なんとかして生き延びてもらいたいと「頑張れ」と亜藍はつい声を出していた。
この日は獣医が引き取って様子を見ることとなったが、料金のことを含め今後どうするか意気消沈の中、三人は意見を出し合って家路に着いた。
「犬って人間次第で幸せな人生を送れるかって決まってしまうんだよな」
日が暮れかけた黄昏時、亜藍はポツリとこぼす。
過去に犬に噛まれて大怪我をしたが、あの犬は飼い主によって虐待されていて挙句の果てに捨てられた身分だった。
人間が信用できずに怯えきり、身を守るために飛び掛ってきてしまった。
あの時は奈美を守りたい必死な思いがあり、そこに怖さと痛さが付き纏い自分のことしか考えられなかったが、犬の立場になってみれば噛まれた自分よりも犬の方がかわいそうに思えてならない。
それも思い出し、無残にも生まれてすぐゴミ袋に入れて捨てた人間が、憎くてたまらなかった。
「そうだね」
奈美は静かに呟く。
亜藍から犬の話題が出てくると、奈美も無視できない。
奈美もまた、亜藍が犬に噛まれたことを思い出していた。
樹里も子犬たちの事が心配だったが、自分が抱いている思いと、亜藍と奈美が抱いている思いに、多少の違いがあることに気がついていた。
黙って何も言わずに二人の後を静かに歩く。
その後は三人無言になりながらそれぞれの家に帰っていった。
次の日、奈美が亜藍の家にやってくる。
子犬たちがどうなったのか気になって、前夜は寝られなかったと言えば、亜藍も樹里も同じだと言った。
まずは、前日貰った名刺に載っていた電話番号に電話を掛けて様子を聞く。
亜藍が代表としてそれをした。
その時の亜藍は、普段と違ってキリッとした顔つきになっていた。
奈美も樹里も、落ち着いて電話で対応する亜藍を見守りながら、祈る思いで亜藍の表情に釘付けになっていた。
「あっ、そうですか。ありがとうございます。わかりました。すぐ伺います」
亜藍が最後にそう締めくくって電話を切り、息を継ぐように少し間が開いた。
「お兄ちゃん、子犬どうだったって?」
待ちきれずに樹里が催促する。
「うーん、なんだか思いっきりも喜べないんだけど、一匹だけ持ちこたえて助かったみたいだ」
「それじゃ残り二匹も死んじゃったんだ」
奈美は目を潤わせて呟いた。
「こればっかりは仕方がない。一匹でも助かったってやっぱり喜ぶべきなんだろうね」
亜藍も返答に困りながらも、いい風に受け取ろうと必死だった。
「とにかく獣医さんの所に行こうよ。お礼も言わなくっちゃいけないし、お金のこともあるし」
樹里の言葉で現実に引き戻される。
亜藍と樹里は前夜雰囲気が暗かったので、両親が心配して事情を話す羽目となり子犬の事は説明していた。
理解もあり、少しお金の援助をしてくれることになっている。
そこに自分達のなけなしの貯金も含め、なんとか治療費は払えそうだと奈美に伝えていた。
奈美も少ないながらも手元にあったお金を全部持ってきたことを伝える。
不安材料の少しは取り除けたと微かに笑みを浮かべ、動物病院へとまた向かった。
だが、全部救いたかったはずの命が沢山奪われて心は晴れない。
獣医は白衣を着ていたので、前日会ったときより少し雰囲気が違って見えた。
しかし、優しく接してくれる態度は全く変わらず、温かく三人を迎えていた。
この日も暦の上では祝日なため、本来なら休診だと分かっていたので、三人は迷惑かけたことをまず最初に謝っていた。
こういう仕事は休日など関係ないからと獣医は気にしていない事を笑顔で伝えるが、子犬の死を悲しんでいる三人の前では愛想程度の笑いにしかならなかった。
「あなた達はとてもよくやったのよ」
慰めの言葉をかけて、そして助かった一匹の子犬のところへと案内した。
檻の中で温かそうな毛布に包まれて犬はすやすや眠っていた。
数時間毎にミルクを与え、前夜は獣医も付きっ切りであまり寝てないと正直に説明する。
なんとか峠は越したが、まだ油断のならない時期でもあるのであと二、三日は様子を見たいと伝えていた。
男である亜藍は代表して気丈な態度を見せながら、治療費のことを持ちかけると、獣医は柔らかに微笑んだ。
「そうね、それじゃ薬代だけ貰うわ。後はあなたたちと一緒で子犬を助けたいと思ったから私も頑張っただけ」
三人は獣医がとても好きになった。
頭を深く下げ何度もお礼を言う。
薬代も決して安くはなかったが、三人が払える額内でとてもほっとしていた。
亡くなった子犬の処理も含め、全ては獣医がしてくれることになり、一つずつ片付いていって肩の荷が下りていく。
だが、子犬が死んでしまったことでどうしても犬を捨てた人間が許せず、亜藍はもう一度子犬が捨てられていた場所へ行くといって聞かない。
奈美も樹里も同じ思いだが、犯人は見つからないと思っているので、辛い場所にまた出向くのは乗り気じゃなかったが、亜藍が意志を曲げずに一人で突っ走る姿を見せられて後を着いていった。
「あんなお兄ちゃん見たの初めて」
樹里がぼそりと呟く。
「そうだよね。いつも私達の後を何も言わずについてきたような人だったもんね」
奈美も亜藍の後姿を見つめ、同じ事を感じていた。
「だけどさ、犯人が見つかっても直接私達が裁ける訳でもなく、ただ憎しみが膨れるだけでどうしようもないと思う。知らない方がいいような気がするのは間違ってるのかな。奈美ちゃんはどう思う?」
「私も許せないけど、だからと言って犯人を見つけたらどうしていいのかも分からない。それに正直見つかるような気もしない」
二人は気だけが重くなり、神社の裏にあった祠に向かうのが苦しくなってきた。
だけど亜藍は真っ先に小さな祠の前に立ち、そして手を合わせて拝みだした。
それが子犬たちへの弔いだったのか、犯人に罰を与えて欲しいと願ってたのか分からない。
奈美と樹里も亜藍の真似をして、とにかく安らぎを求めるように一緒に祈りだした。