レモネードしゃぼん

その後 後編4


 亜藍は暫く周辺を歩き回り、子犬を捨てた犯人の手掛かりになるようなものはないか探し出した。
 奈美はどうしていいか分からず、亜藍のやりたいようにやればいいと黙って見守るだけしか出来ない。
 亜藍の動きを心配する目で追っていた。
 樹里は最初から無理だと諦めて、手ごろな大きさの石を見つけそこに腰掛けている。
 ため息を漏らしながら辺りを見回していた。
 木漏れ日が木々の間から差し込み、光と影の明暗がくっきりとしているのを見つめ、亜藍が時々木漏れ日を浴びる姿に、普段と違う姿が浮き出てくるのを感じていた。
 同時に積極的な奈美が、何も言わずに亜藍を見つめる姿にも、奈美があまり見せない表情だと思っていた。
 この二人の様子に何かが加わって変化が起こっていると、強く感じて仕方がない。
 それが何なのか具体的に言えと言われれば困るのだが、例えるなら一つの色に他の色が加わって、違う色になったようなそんな気がした。
 樹里は、光が差し込んでできる足元の木々の陰を見つめた。
 光が強くなればなるほどその明暗がはっきりしている。
 そして頭を上げて降り注ぐ木漏れ日の光に目を細ませた。
 キラリと反射するような眩しさが、神聖なもののように感じたのは、場所が神社の裏であり、さらにそこに祠があったからだろうか。
 樹里はその時ふと真っ直ぐに続く何かを見たような気になった。
 自分達が導かれていくようなそんな不思議なパワーを感じると、すくっと立ち上がった。
 奈美に近寄り、優しく肩に手を触れる。
「奈美ちゃん、大丈夫だよ」
 何に対してその言葉を掛けたのか樹里自身わからなかったが、まだ手掛かりを探し回っている亜藍を奈美と一緒に暫く見守っていた。
 その時、腰が少し曲がったお婆さんが、下の方からこちらに向かってやってくるのが見えた。
 傾斜面で坂道になっているが、足腰達者にこの祠をめがけて登ってくる。
「おや、珍しいね、こんなところにまで来る人がいるとは」
 お婆さんはしゃがれた声だったが、親しみを込めて笑顔を向けたので歓迎している様子だった。
 樹里も奈美も軽く礼をしてコミュニケーションを図る。
 お婆さんは持っていた籠を足元に置き、その中からお供え物らしい瓶のカップに入った酒を取り出して、蓋を開け祠の正面に置いた。
 空の瓶は回収して続いておつまみのようなスナック菓子も供えていた。
 そして拍手かしわでを打って拝む。
 なんだかとてもさまになっていて、奈美も樹里も我を忘れて最後まで見ていた。
「ところであんたら、こんなところで何してるんだ?」
 お参りが済むと、お婆さんは声を掛けた。
 奈美が、前日子犬がここに捨てられていたことを説明すると、お婆さんは大層びっくりし、瞳を宙に漂わせ憂いな顔つきになっていた。
「そうか、そんな事があったのか。それはきっと私にどうにかして欲しかったのかもしれない」
「えっ、それはどういうことですか?」
 奈美がびっくりして質問する。
「神社の辺りは動物を捨てに来る人が多くて、それで私が見かねて拾ってしまってね。家もたまたま庭も広いってこともあって、数匹捨てられた犬を飼ってるん じゃ。でも増え続けても困るので、他の飼い主も探したりしてるから、それを知った人が何とかして欲しいって思ってここに置いていったのかもしれない」
 いつの間にか亜藍も側でその話を聞いていた。
「お婆さん、動物救助活動してたんだ」
 樹里が感心していた。
「表向きは聞こえが良いかもしれないけど、全てを救えたわけじゃない。飼い主が見つからないものは保険所に連れて行ったこともある。ここに置き去りにしておけばいずれ死んでしまうだろうし、野犬になれば人間が脅かされるし、苦肉の策じゃ」
 お婆さんは淡々と語り、いたたまれない気持ちを隠すように無理に微笑んでいる。
 三人は何も言えなかった。
 お婆さんは一仕事終えたと、腰を一度反らし、そして三人に挨拶をして去って行く。
 三人はじっとお婆さんの後姿を見ていた。
「お婆さんも大変だね。私達以上に捨てられた動物たちと向かいあっている。偉いよね」
 樹里が誰にいう訳でもなく口にしていた。
「そろそろ帰ろうか」
 お婆さんの話を聞いて踏ん切りがついたように亜藍が言うと、自ら坂を降り始めた。
 やはりここでも何も言わずに奈美と樹里は後をついていく。
 暫くして、亜藍がぼそっと語りだした。
「俺、犯人を見つけて殴ってやりたい気持ちだったんだけど、あのお婆さんの話を聞いていたらさ、子犬を捨てた奴は飼えない事情があって、そしてお婆さんに 一縷の望みを託したんじゃないだろうかって思ってしまった。それでも自分で責任を取れないのは責められるべきところだけど」
 幾分亜藍は落ち着きを取り戻していた。
 前をじっと見ながら冷静に話している。
「だから、本当は子犬を殺すつもりはなかったんだって、その部分だけはそう思ってみるよ。結局は捨てた奴も他の誰かに飼って欲しくて子犬のことを思っていたって思いたいんだ」
「亜藍の言いたいことわかるよ。私も同じこと思ったから」
 奈美は歩く速度を速めて、亜藍の側に近づいた。
 亜藍は振り返り、奈美を見つめて悲しげな目を向けながらも必死で笑おうとしていた。
 樹里も同じ気持ちだったが、そこは少し遠慮して黙っていた。
 決して良かったって思える事柄ではないが、少しだけ救われるような思いがした。
 これも神様がそのように導いてくれたのだろうかと、半信半疑でもう一度祠の方を振り返る。
 林の中で木漏れ日を浴びながら祠は何も言わず、神秘的にそこに座っているようだった。

 神社の境内を後にする前に、もう一度だけお参りしようと樹里が提案する。
「ねっ、そうしようよ。亡くなった子犬たちが天国もしくは極楽へいけますように。そして生き残った子犬がしっかり育ちますように。それから私達がこれからも幸せでありますように。なんてどうかな」
「うん、それいいね。もう一度三人でお参りしよう」
 奈美もここは笑顔で答えている。
 亜藍は何も言わずに二人の後をついていった。
 三人はお賽銭用に小銭を取り出し、賽銭箱へと投げ入れた。
 そして三人で鈴に繋がる紐を持って、ガラガラと音を立てて揺らし拍手を打ってお参りする。
 樹里が言ったことを心で繰り返していたが、樹里だけはもう一つ追加する。
「お兄ちゃんと奈美ちゃんがこの先もずっと縁がありますように」
 縁結びの神様ならこれは外せないと、樹里はしっかりと願っていた。
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