レ モネードしゃぼん

Side奈美 前編 3

 森宮家はいつ来ても綺麗だった。
 新興住宅地に建っている比較的今時な洋館の家だが、中がさらにすごい。
 亜藍のお母さんがきっちりしていて掃除は隅々まで行き届き、全体に外国風の白っぽいイメージがある。
 どこかの西洋のお洒落なインテリアで統一されているといった感じ。
 宿題を教えてとテーブルについているこのダイニングエリアも、その色が一番良く出ている空間だった。
 「素敵ですね」と亜藍のお母さんに言った時、フレンチカントリーとそういう単語がさらりと返ってきたような気がする。
 あまり良く分からなかったが、それから本屋でそういう雑誌に目が行くと、確かに同じような雰囲気がした。
 それからだったと思う、亜藍のお母さんがフランスにかぶれているように思い出したのは。
 亜藍も樹里ちゃんもだからそういう名前をつけられたのだろう。
 海外のことなんて考えたこともなく、英語だけでも授業中アレルギーを起こしそうなくらい苦労している私には程遠い世界に見えた。
 私は日本語が一番好きだった。
 漢字なら任せてというくらい、良く知っている方だと思うし、慣用句やことわざだって得意だった。
 だからと言って、自分の家の中が純日本風って訳でもないが、日本に生まれてよかったって思える。
 英語や他の外国語なんて私には全然興味のないことだった。
 それなのに、樹里ちゃんは私の目の前で英語の教科書を出して、訳すのを手伝って欲しいと言っている。
「樹里ちゃん、訊く人間違ってるよ」
「ううん、間違ってなんかないよ。奈美ちゃんは日本語のまとめ方が上手いんだもん」
「でもこれ英語の宿題でしょ。お恥ずかしながら私は英語が苦手でして……」
「奈美ちゃん、わかってないな。日本の英語の授業は日本語ができないと答えられないんだよ。私、国語の方が苦手だもん。英語の大体の意味は分かるんだけ ど、それを綺麗な日本語に訳せないのが辛いんだ」
 樹里ちゃんは英文をすらすらと読んで、大体の大まかな意味を教えてくれた。
 それを聞いた後に英語の文を見れば、なんとなくその英語の言いたい意味が分かってきた。そして辞書片手にしっくりくる日本語の訳を作ってみる。
「うわぁ、奈美ちゃんすごい。なるほど、そう訳すのか」
 樹里ちゃんは嬉しそうに、ノートに私が言った訳を書き出した。
 それから半時間くらい過ぎると、亜藍のお母さんがスーパーの袋を提げてキッチンに入って来た。
「奈美ちゃん、いらっしゃい。樹里に勉強教えてくれてるの。いつもありがとうね」
「あっ、お邪魔してます」
 慌てて挨拶をするとその後は、手のひらを目の前でひらひらと漂わせて、何も大したことはしていないと必死に弁解してしまった。
 亜藍のお母さんはうちの庶民的な母と違って若々しさがある。お洒落なインテリアに拘る人は自分のファッションや見かけにも拘るのかもしれない。
 スタイリッシュな洗練さと優しく微笑む笑顔は上品だった。そして料理の腕もいい。
 だけどそれを決して鼻にかけない謙虚さを備えており、いつも人を立てるというような喋り方をすると私の母も言っていた。
 私の母の方が亜藍のお母さんに憧れていて仲良くしてもらっているとか私に自慢するくらいだった。
 亜藍のお母さんはこの辺りでも人気のある有名なお洒落なママさんらしい。
「奈美ちゃん、よかったら夕飯食べていってよ」
 キッチンで夕飯の支度に取り掛かった亜藍のお母さんが、にこやかな笑みを添えて言ってくれた。
「ありがとうございます。でもうちも夕飯の用意していると思うので残念ですけど遠慮しておきます」
「ええ、奈美ちゃん食べていきなよ。お兄ちゃんも喜ぶのに」
 樹里ちゃんが残念そうに言ってくれたが、それはできないとなんとか分かってもらおうとにこやかに笑ったつもりだったが、無理をして苦笑いになってしまっ た。
「だったら、これ持って帰って。お昼に作ったレモンクリームパイ」
 亜藍のお母さんが目の前に持ってきて見せてくれた。
 弾力がありそうな黄色いクリームが殆ど占めて、レモンの輪切りが一切れ真ん中にちょこんと乗っていた。
 それを丸々全部持って帰れといわれて、こんなにもいらないと思いながらも断れずに丁寧に頭を下げてお礼を言った。
 亜藍のお母さんにしてみれば樹里ちゃんの宿題を手伝ったお礼なんだと思う。
 樹里ちゃんがこそっと小声で言った。
「奈美ちゃん、全部貰ってくれてありがとうね」
 樹里ちゃんは食べたくないと言ってるみたいだった。
 亜藍のお母さんのお菓子はお店で売れるくらいのレベルだが、それを趣味にいつも作るから樹里ちゃんは食べるのが苦痛になっていたみたいだった。
 そろそろ帰ろうと荷物を掴もうとしたとき、紙袋が倒れて中から石鹸がころんと出てきた。
 樹里ちゃんが不思議そうに見たので、私がそれを目の前に差し出して見せてあげた。
 包装紙に包まれたままでは折角の香りも楽しめないと思って、包み紙を破って中から石鹸を取り出す。
 それを樹里ちゃんは鼻から息を思いっきり吸い込んで香りを楽しんでいた。
「うわぁ、とてもいい香り」
 手作りの自然派石鹸というと、樹里ちゃんは気に入ったみたいだった。
「よかったら半分あげようか」
「えっ、いいの?」
 何か切るものはないかと言うと、樹里ちゃんはキッチンからナイフを取り出した。
 食品じゃないためにまな板を使うのも抵抗があったので、下に引くものをキョロキョロ探していると分厚い電話帳を樹里ちゃんはどこからか持ち出してきた。 その上でナイフを使って石鹸を切る。
 結構固いと思っていたが、意外とハードチーズを切るような感じでざっくりと切れた。
 側で見ていた亜藍のお母さんも「高いのにありがとうね」と一言添えていた。
 やはりこの石鹸の価値が分かる人だった。
 夕食の支度で忙しそうにしている亜藍のお母さんにその場でお礼を兼ねた挨拶をする。
 その後で紙袋に入れてくれたレモンクリームパイをお土産に私が帰ろうと玄関で靴を履いているとき、ドアが開いて亜藍がちょうど帰ってきた。
 久し振りに会う亜藍になぜかちょっぴりドキッとしてしまう。
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