レ モネードしゃぼん

Side奈美 前編 4

「奈美、来てたのか。久し振りだな。でもお前、ちょっと太った?」
 いたずらっぽく笑いながら亜藍はさらりと耳の痛い言葉を言ってくれた。
「げっ! 久し振りに会ってそれが私に言う言葉なの? はいはい、少し太りましたよ」
 確かに少し太った気はしていたけど、亜藍に言われるとなんだかかちんときた。
 でもその通りなので言い返せずに、むっとした表情だけ残した。
 すると後ろから樹里ちゃんがフォローを入れてくれた。
「お兄ちゃん、女の子に太ったは失礼でしょ。奈美ちゃんは太ったんじゃなくて体にメリハリがついてセクシーになってきたの。胸だって大きくなってるじゃな い」
 樹里ちゃん、そのフォローはフォローになってない。思わず顔が引き攣る。
 しかし樹里ちゃんの言った言葉で亜藍はしっかりと目線を私の胸に合わせていた。
 眼鏡から覗く亜藍のその視線は、戸惑いながらもしっかりと確かめたい好奇心に溢れている。
 私はその視線を振り払うように慌てて靴を履き立ち上がると、いつの間にか亜藍の身長が自分を遥かに超えていることに気がついた。
「亜藍、いつの間にそんなに背が高くなってるのよ」
「なんかこの春に竹の子から竹になったように伸びたよ」
 そういえばちょうど冬の終わりくらいから亜藍を見ていなかった。
 亜藍は夏休み、冬休み、春休みといつも長期でいなくなる。田舎のおばあちゃんの家に行ってるって聞いたことがあった。おばあちゃんっ子なんだろうか。
 そして時々お土産におばあちゃんが作ったという手作りジャムを貰ったことがあった。
 とても美味しかったのを覚えている。
 そんなことはさておいて、亜藍はいつの間にか男になってると思うと、なんだかこっちが戸惑ってしまう。
 小学生の時はいつもひ弱で私の後をついて回ったというのに、今ではそんな面影が見当たらなくなってしまった。
 つい避けるように私は玄関を出ようとすると、亜藍は鞄を樹里ちゃんに放り投げ後をついてきた。
「久し振りだし、近くまで送るよ」
 断ることもできず、好きにすればという勝気な気分で私は無理に背筋を伸ばして歩き始めた。
 亜藍の顔は見えなかったけど、私のその態度に後ろでくすっと笑ったような声が聞こえたので、なんだか余計に気まずい思いをしてしまった。
 亜藍の背が伸びてるというだけで昔のように亜藍に接しられなくなっている。
「奈美、もしかして俺が太ったって言ったから怒ってるのか」
 亜藍はスタスタと歩く私に走って追いかけてきて腕を掴んだ。その時、ドキッと体に電気を浴びたような感覚が走った。
 その感情に自分でも驚いてしまって、何も言えなくて黙ってると亜藍は益々何度も私の名前を呼んだ。
 はっとして、掴まれた腕を振り払いながらつい誤魔化してしまう。
「うるさいわね、私の名前をそんなに気安く呼ばないでよ。そういえば亜藍は私と初めてあったその日に呼び捨てだったよね」
「そうだったな」
 過去のことを思い出しているのか、静かに亜藍は答えた。

 亜藍と初めて喋ったのは、亜藍が男の子達に色々言われてからかわれて仲間はずれを食らったその直後だった。
 亜藍はじっとがまんして机について、どこに視線を合わす訳でもなく虚ろな目をして座っていたのが印象に残っている。
 あの時、男の子達が亜藍の筆箱をわざと机の上から落として中身が飛び出してしまい、私の足元に消しゴムが転がってきたのがきっかけで、私がそれを拾っ て、男の子達が去っていった後にそっと机の上に置いてあげた。
「メ、メ……」
 確か私の耳にはそう聞こえたが、もしかしたら”湊”という私の苗字を言おうとミがメに聞こえたのかもしれない。
 普段誰とも口を聞かない亜藍の声を始めて聞いただけに、私もちょっとびっくりした。
 もっと話してみたいと思って「私は奈美よ」と苗字ではなく下の名前を呟いた。
「ナ…… ミ」
 静かに呼ばれた。
 亜藍はじっと私を見つめて、そしてゆっくりと「アリガト」と小さく呟いた。
「なんだ、ちゃんと喋れるんじゃない。でもいきなり呼び捨てか。まあいいけどね。だったら私も森宮君じゃなくてアランって呼ぶね」
 亜藍の名札を見て私はそう言った。
 亜藍はその時笑顔を見せてくれた。お互い一緒に笑っていたと思う。
 亜藍の名前は一昔前では外国人のようで変わってると思われただろうけど、私のそのときのクラスには、日本人離れした名前は沢山いた。
 だから亜藍という音も違和感なんてなかった。
 私も奈美と聞けば、普通の名前に聞こえるが、苗字と合わせて上から読んでも下から読んでもミナトナミの名前は親に遊び心につけられたようなものだったか ら、人の名前に ついてはあれこれ言ってられなかった。
 それから私はいつも一方的に話しまくり、まるで亜藍を子分にしていい気になってるような女の子と思われていたかもしれない。
 はみ出しものの二人が仲良くして恋人同士と時々からかわれたけど、私は勝気な性格から喜んで言い争った。
 私も亜藍が側にいてくれて、何をしても許されるくらい好き放題させてくれたから、とても都合がよくて居心地がよかった。
 からかわれてもなんとも思わなかった。
 それが今ではなんだか落ち着かないのはなぜなんだろう。
 こんな感情抱いたことなんてなかった。
 不意に駅前で声を掛けられた女の子のことを思い出す。
 そうあの女の子が現れて、私に亜藍の関係を聞いたから──。

「いい加減に、機嫌を直せよ。別に怒らせようと思った訳じゃないし」
 亜藍はまだ私が怒っていると思っている。
 そんな感情とっくに忘れていた。私が今抱いている感情は全く別物。
 亜藍の顔をつい見つめてしまったが、首の角度が上向きになっている。
 亜藍の黒い学ランがこのとき軍服のような威厳あるものに感じて、しっかりとした男に一層見えた。
 私どうしちゃったんだろう。
 あの女の子が言った一言が知らずと胸に響いている。
『森宮君のことが好きなんです』
 なんだか亜藍と仲良くすることがいけないことのように思えたと同時に、心の中で離れたくない気持ちが芽生えてしまった。
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