レ モネードしゃぼん

Side奈美 前編 5

「ねぇ、アサキさんって知ってる?」
 恐る恐る口に出してみた。
「麻木…… ? だ、誰だい、その人?」
「えっ、知らないの?」
「だからその人がどうしたの?」
 その先を早く話せと亜藍はせかした。
「どうしたのって言われても、なんか不思議なんだけど、その亜藍のことが好きって急に言ってきた」
「俺のことが好き? どういうことだい?」
「私も困惑してるところ。だって今日いきなり声を掛けられたんだよ」
 私は一部始終を話してやった。
 亜藍は興味深く聞いて、私の顔をじっと見ていた。
「ねぇ、心あたりないの? 例えばどっかで出会ったとか、亜藍がナンパしたとか」
「あのな、俺毎日勉強で忙しいの。学校通ってるだけで精一杯なのに、なんでナンパなんかできるんだよ。バカバカしい」
 亜藍の言い方がえらっそうだったからなんかちょっと反抗してみたい気になった。
「そんなに忙しいんだったら、なんで私なんかと今一緒に歩いているのよ」
「それとこれとは違うだろ。俺達何年の付き合いだよ。奈美と久し振りだったから、寂しいんじゃないかと思って気を遣ってやってるんじゃないか」
 言い終わる前に妙に声がすぼまっている話し方が却って無理をしてるように聞こえる。
 また亜藍の口からそういう言葉を聞くとは思わず、急に口元がむずむず と痒くなったように笑ってしまった。
「何がおかしいんだよ」
「だって、亜藍がそんな照れ隠しのような言葉を言うなんて思わなかった。そんな風に言うなんて、そっかそんなに寂しかったのか私と会えなくて」
「……」
 笑いすぎたことが反感を買ったのだろうか。亜藍は何も言わなくなって下を向いた。
 傷つけてしまったように見えて、さっきまで勢いよく笑っていた私の声が次第に途切れていく。
「亜藍、どうしたの? 急に黙り込んで。図星をだったから恥ずかしくなったとか?」
「違う!」
 突然声を荒げて亜藍が叫んだ。
 何かを言いたそうで言えずに、もどかしげに口元がわなわなと震えている。暫く葛藤してから口を開いた。
 私はそれを黙って居心地悪く見ていた。
 すると亜藍がぼそっと言った。
「何で今日、俺の家に来たんだよ」
 言いたいことは他にあるようなそぶりだったのに、全然違う言葉を口走っているように見えた。
 私は亜藍の態度に困惑して、頭に疑問符を一杯つけた顔をして見つめた。
 なぜ私は亜藍の家を訪ねたのか、自分でも分からない。
 だけど久し振りだったし、亜藍に会いたいって言う気持ちは確かにあった。
「だから、その見知らぬ人に声を掛けられたから、亜藍にも報告した方がいいのかと思って」
 本当にそれだけだったのだろうか。
 それはただのきっかけで、本当は自分の中でふと対抗心が芽生えて亜藍の存在を自分だけのものにしたくはなかっただろうか。
 見知らぬ人が亜藍を好きでいたことを知って、つい独占欲が出てしまうというあの心理。でもそこには一体他にどんな気持ちがあったのだろう。
 ずっと一緒に過ごしてきた亜藍。
 久し振りに会えば、すっかり背が伸びて男っぽくなっていた。そんな姿に少なくとも私はどきっとしてしまったのはなぜなんだろう。
 答えをはっきりと言い出せないまま、暫く立ち竦んでしまう。
 お互い黙り込んでしまって、変な空気が流れてしまった。
 そのまま二人で暫く歩いていると、犬を連れた人とすれ違う。
 その犬は中型の柴犬の雑種で、せわしく地面の匂いを嗅いでは年老いた飼い主を強く引っ張って歩いていた。
 すれ違うとき私たちの方を見て尻尾をはちきれんばかりに振ったけど、繋がれてなければそのまま飛びついてきたそうに前足を上げていた。
「こら、ゴン太」
 飼い主のおじいさんは一応すまなさそうに少し苦笑いして、その場を丸く治めようと犬を叱る。
 その後はリードを強く引っ張って先を急ぐと最後は犬も諦めてまた、地面の匂いを嗅いでスタスタと歩いていった。
 その間、亜藍は犬から極力避けるように道の一番端をすれすれに立っていた。
 亜藍は犬嫌いだった。
 犬を見ると噛まれると思うらしい。
 そういうイメージを刷り込んでしまった原因は私にあるんだけれど……。
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