レ モネードしゃぼん

Side奈美 後編 4

「だから、麻木さんっていう女の子、実は俺の友達の妹なんだ。この町の高校に通ってるって聞いてたから学校帰りに友達にお願いしてちょっと協力してもらっ たん だ。もし、俺のことを好きだっていう奴が現れたら奈美はどうするんだろうって思って試してもらった。その時、駅の隅の方で隠れて俺も見てたんだ」
「えっ!」
「だから、ごめん」
 亜藍は頭を下げた。
 私は完全に気が抜けて、マネキンになったようにいつまでも突っ立っていた。
「あの後、こんなことするのは嫌だって散々あの子からも叱られたよ。彼女俺よりも年下なのに、女心を弄んでって長々とお説教までされたよ。あんなに責めら れるとは思わ なかったから、とにかくひたすら謝って許してもらうのに時間がかかった」
 私は瞬き一つせず、表情がないまま亜藍に視線を向けているだけだった。
「奈美? やっぱり怒ってるよな。ほんとにごめん。でも…… 俺」
「バカ! 亜藍の大バカ! 一体何を考えてるのよ」
 また目の奥で眼球をぎゅっと絞ったような涙が出てきた。
 口ではバカと罵っても、私の心を動揺させるには充分すぎるほどに効果覿面だった。
 こんな小細工をしないと次に進められない亜藍。
 切羽詰らないと自分の気持ちに気づけない私。
 いい勝負だった。
「奈美、ごめん。俺、こうでもしないとお前の気持ちわかんなくて。俺、本当にもうすぐ向こう行っちまうし、俺もどうしていいか分からなかったんだ」
「だから、亜藍は一体何がしたかったのよ。はっきり言ってくれないと私だってどうしていいのかわからない」
「奈美だって、俺がはっきり言ったところで素直にならないじゃないか。さっきだって、寂しいんじゃないかと思って気を遣ってるって俺が言ったときも、大笑 いして誤魔化しただろ」
「だって、あの時は亜藍が私に会えなくて寂しいから照れ隠しで反対のことを言ったのかと思ったんだもん。あの後『違う』って大声で叫んだけど、一体何が言 いたかったのよ」
「あの時、奈美が真面目に考えてなかったことに勝手に失望して、急に自分が変な小細工をしたことが情けなくなったんだ。笑われるんだったらはっきりと言い たいことを言えばよかったって後悔してた。それでもやっぱりはっきりと言えなくて、なのに奈美の気持ちだけは確かめたくてまた回りくどくやっちまった」
 またお互いの間で沈黙が生じた。
 自分の思いをはっきりと口に出せない。
 かといって、私が思っているように亜藍が思っているとも確信ももてないのに、どうしてもその先の言葉が言えなかった。
 沈黙が深く暗い夜と溶け込んでいくと居心地悪くて、そして出た言葉がこれだった。
「すっかり暗くなっちゃった。おばさん心配するよ」
 亜藍に家に帰れと言ってるのと同じだと分かってるのに、そんな言葉しか出てこなかった。
「奈美、俺……」
 亜藍もすぐそこまで出掛かったのに、結局その先の言葉が続かなかった。
 心の中ではもしかしたらこう言いたいんだろうかと思いつつ、やっぱり本人が言わなければ自分の想像だけでは意味を成さなかった。
 だったら私から言えばいいのに、だけど亜藍を目の前に自分の気持ちを伝えるなんて長く付き合い過ぎて、今更どこから何を言っていいのかわからない。
 いつも一緒にいるのが当たり前だった。
 亜藍は私の思うまま好き放題させてくれて、私の家来のような立場だった。
 それに甘えすぎて、今更自分から折れて気持ちを伝えるのに抵抗がある。
 どうしてこんなにも意地っ張りなのだろう。
 分かっていても、私はまだまだ子供過ぎて大切な事を理解していない。
 亜藍も言いたいことを私に言えないのは、言ったところでどうしようもないとわかっているのだろう。
 お互いの気持ちに正直になっても、亜藍はこの夏私の前から消えてしまう。
 気持ちを確かめ合った後の方が今よりももっと辛くなる。
 私だってどうしていいかわからないの!
 思わず叫びそうになったけど、また逆切れしてるようでぐっと堪えた。
 その代わり涙が止まらなかった。
 亜藍は散々悩んだ挙句に、とうとう自分で言葉を選んだ。
「奈美、メルシー」
 突然綺麗な発音のフランス語が飛び出したかと思ったら、その後体が締め付けられた。
 ただ暗闇で泣くことしかできない私を、亜藍は力いっぱい抱きしめていた。
 あんなにヒョロヒョロでがりがりの亜藍だったのに、抱きしめてくれた腕の中はがっしりとして頼もしい。
 抱かれるままにじっとして、私は目を閉じた。
 犬に噛まれて大怪我をした亜藍の側で私が泣き叫んでいるシーンが目に浮かぶ。
「亜藍、亜藍、大好き。いつか亜藍のお嫁さんになるから。だから亜藍、死んじゃいや!」
 あの時の気持ちは今になって心に沢山あふれ出した。
 亜藍は静かに私を解き放すと、最後にニコッと無理に笑って踵を返した。
 私は亜藍が見えなくなるまでずっと暗闇の中で見送っていた。
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