Lost Marbles

第一章


「どうした、ジョーイ? はん? またビー玉か。あの子、よく落すな。見かけもぱっとしなかったけど、なんかどっか抜けてそうだよな」
 トニーは身を乗り出して、連結部分の扉から前の車両を覗き込み、キノの様子を探ろうとしていた。
 それに便乗してジョーイもまたキノの様子を覗き込めば、ビー玉を握る手に力がこもった。
 スイッチが入った勢いで、体がキノ目掛けて動きそうになったその時、向かいのシートに座っていた大学生らしい男が、本をパタンと閉じてジョーイが行動するより早く立ち上がった。
 視界に入ったその男の動きに封じ込められ、ジョーイの決心していた勇気が萎んでいった。
 男は澄ました顔で腕時計にちらりと目を移し、掛けていたメガネのブリッジを押さえ、姿勢正しく前の車両へと歩き出した。
 鼻に突くような気障ったらしい雰囲気の中に、威厳を持った人とは違うオーラを放しているようで、気に食わない。
 突然存在感を前に出して、皆の注目を浴びて行動されると、ジョーイは先を越された感を抱いて、その男の後を続いて前の車両にいけなくなってしまった。
 男はドアをスライドさせ、そのままただ真っ直ぐと連結部分を抜けていく。
 キノとすれ違いざまに、一瞥を投げたような仕草をとったが、ひたすら前へと歩いていった。
 キノは音楽に気を取られているのか、男が車内を歩いていても気がつかずにじっと動かずドア附近に立っていた。
「今、前の車両に歩いていった男さ、日本人離れしてるというのか、どこかなんか西洋かぶれしたような奴だったな。読んでた本も洋書だったし。ジョーイはどう感じた?」
「トニーはいちいちうるさいな。昔から何かと周りの人間を観察してはどうでもいいこと並べ立ててくれるよ。よくもまあ、そんなに人のこと見てられるよな」
「俺の性分だからね。ジョーイが無関心過ぎるだけなのさ。だけど今の男さ……」
 トニーが何かを言いたそうにしながら、中途半端にやめてしまう。
 ちょうど車内からも次に到着する駅の名前がアナウンスされ、ジョーイが聞き直す暇なく、すっかりかき消されてしまった。
 電車はホームに入り、気の早いものはドア付近に立ち始め、乗客は降りる準備に取り掛かった。
 大概の乗客はここで降り、それぞれの目的地へと乗り換える。
 前の車両に居るキノも降りる準備を始めて、ドアから少しだけ離れて開くのを待ち構えている様子だった。
 徐々にスピードが落ち、電車が完全に止まる寸前でトニーも立ち上がり、そして開いたドアに向かって周りの乗客と一緒に二人は流れていく。
「なあ、さっきあの男のことで何を言おうとしてたんだい?」
 降りた後、人でごった返したホームでジョーイが何気にトニーに問いかけると、トニーは聞こえなかったのか、違う答えを返してきた。
「俺、やっぱり一人でナンパしてくるわ。ジョーイ先に帰っててくれ」
「いきなりどうしたんだよ」
「じゃーな」
 トニーは慌てるように辺りをキョロキョロして、ジョーイをその場に置き去り、人ごみの中に紛れていった。
 あれだけ目立つ容姿なのに、大きな駅では人の波にのまれ、視界を遮られてあっという間に見失った。
「一体どうしたんだ。あいつらしくない行動だ」
 そんな独り言もざわめきに飲み込まれ、慌しく人が水のように流れていく。
 ジョーイは仕方なく歩き始めるが、握っていたビー玉の感触を思い出し、慌ててキノが周りにいないか探し出した。
 トニーですらすぐに飲み込まれた人ごみの波の中では、すでに行動を起こすのが遅すぎた。
 ビー玉を制服の上着のポケットに入れ、鞄を肩に掛けなおし、ジョーイは乗り換えのホームへと向かった。

 階段を上がり、連絡線を繋ぐ通路を歩いている時だった。
 所々にキオスクや喫茶店、弁当売り場などのちょっとした小売店があり、そこは人がひっきりなしに集まってはせわしない。
 その慌しい場所に杭のように立ち止まっている、二人の女の子たちの姿が目に入った。
 一人はキノだったことで、ジョーイはドキッとしてしまった。
 もう一人の女の子は、キノよりも背が高くすらっとして、違う制服を着ていた。
 キノが眼鏡の奥からおどおどとした視線を向けていたので、ジョーイは無視できず、ついキノに足を向けてしまった。
 自分でもなぜそうしたのかわからないまま、上着のポケットに手を突っ込んだ指先は、無意識にビー玉に触れていた。
「おい、キノ……だったな。ほらこれ、電車の中でも落していたぞ」
 ビー玉をキノに差し出した。
 突然声を掛けられたキノも驚いていたが、それ以上に傍に居た女の子の方がジョーイを見て声を出して驚いた。
「えっ! キノちゃん、この人と知り合いだったの?」
 前からジョーイのことを知っているような言い方。
 ジョーイを見つめる目が好奇心いっぱいにキラキラと輝いていた。
「あの、その」
 その隣でキノはおろおろしていた。
「ほら、これ、お前のビー玉だろ」
 側にいた女の子を無視して、ジョーイはキノにビー玉を強く突き付けた。
 キノは、俺の様子を怖々と窺いながら、そっと手を出してそれを受け取った。
「あ、ありがとう」
「お前、なんか困ってそうだな」
 ちらりと側にいた女の子を一瞥し、ジョーイは助け舟を出した。
「えっ? 困ってる?」
 そういったのは側にいた女の子だった。
「やだー、私が何かキノちゃんに変なことしてるみたいじゃないの。キノちゃん、ちゃんと説明してよ」
 キノはそれでも何を話していいのか、この事態がどうなっているのかすら分からず、視線をあちこちに向けて言葉を失っていた。
「もう、キノちゃんらしくない。あの時のキノちゃんと別人みたい」
「別人?」
 ジョーイは気になる言葉だけ拾って、繰り返していた。
「あのね、私から説明すると、キノちゃんは私の恩人なの。この間電車で痴漢に遭って困ってたところをキノちゃんが助けてくれたの。またキノちゃんに出会ったからお礼を言ってただけだったの」
「痴漢に遭った?」
 ジョーイはまた繰り返す。
 この二人の関係がまだよくつかめてない。
 女の子をまじまじ見れば、整ったプロポーションと長いつややかな黒髪が正統派の女子高生らしく、気品があった。
 洗練された整った顔で、上品な笑みを向けられれば、痴漢が寄って来ても仕方がないほど、その女の子は男を必ず虜にする美しさを備えていた。
「私、藤沢詩織、光星高校の三年よ。宜しく」
 微笑んだその笑顔には美しさだけじゃなく、知性も備わっているように見えた。
 なぜなら、彼女の高校は進学校で名が知られていたからだった。
 俺もキノもハキハキと元気な詩織の存在感に圧倒されて、黙り込んでいた。
「ちょっと、名前くらい教えてくれてもいいじゃない」
「お、俺の?」
「他に誰がいるっていうの?」
 ジョーイは戸惑いながら弱々しく名前を呟けば、詩織は感情をストレートに表現して喜んでいた。
「あなたのことはよくこの駅で見かけてたんだけど、話すきっかけがなくて、まさかキノちゃんとお友達だったなんて。こうやって話せてすごく嬉しい。やっぱりジョーイはバイリンガルなの?」
 不躾な質問に、ジョーイは急に冷めた目つきになっていく。
 詩織も容姿を珍しがっているだけの女にしか見えなくなり、ジョーイは不機嫌さを露わにした。
 それを機敏に感じたのか、キノが慌てて取り繕った。
「詩織さんもアメリカに一時期住んでたことがあって、英語はしゃべれるんだよね」
「住んでたっていうより、滞在してただけなんだ。英語もそんなに喋れないけど、英語はとにかく好き」
 ジョーイの風貌を見ると誰しも英語の事を聞いてくるから、この話題も鬱陶しかった。
 話を元に戻そうとまたキノに問いかけた。
「お前、痴漢撃退したって本当なのか?」
 キノは突然に話を振られてあたふたしだしすと、チャンスとばかりに、また詩織が口を挟んできた。
「そうなのよ。満員電車の中で私が困っているのを察知したのか、キノちゃん『あっ』って大声出して、押すように私に寄ってきて、『大丈夫ですか』って助けてくれたの」
「だからあれは偶然で、たまたま揺れた時にバランスを崩して近くに居た詩織さんに突進してしまっただけなんです。だからびっくりして声を上げて、そしてぶつかったから大丈夫ですかって言っただけで……」
「いや、あれは違う。ちゃんと計算してやってくれたんだよ。一緒にいた私の友達もキノちゃんの行動はわざとだって言ってた」
 何を言っても詩織はいいように捉えているのか、キノは困ったとばかりに下を向いていた。
 ジョーイはどうも詩織の話は信じられず、半ば勘違いされたキノを同情するように視線を向けた。
「それでその後、痴漢を捕まえたのか?」
 警察にでも突き出してたらある程度は信じられる。
「ううん、残念ながらはっきりと特定できなかった。でもそれから私も勇気が出て、いやな時は大声出そうと思った。今度痴漢に遭ったらやめて下さいって主張して、派手に動いて現行犯逮捕に繋げてやる」
 ガッツポーズまで取る詩織の元気なノリに、ジョーイはついていけなくて、顔が歪んだ。
 それでも詩織は選挙キャンペーンのように、イメージを売り込もうとする笑顔を崩さなかった。
「あっ、私もう行かなくっちゃ」
 腕時計を見てキノは時間を気にして叫んだ。
 ジョーイと詩織を残し、適当に挨拶して逃げるように小走りに去っていった。
「あっ、キノちゃん。今度またゆっくり会おうね」
 詩織は咄嗟に声を掛けるが、慌ててたキノは一番端にあるホームへと続く階段を目掛けて走って行った。
「あいつ、なんか変な奴だな」
 ジョーイは言わずにはいられなかった。
「キノちゃんってどこか不思議なところがあるけど、あの子なんだか自分の妹みたいでほっとけないって感じがする」
「妹……」
 ジョーイはその時、おぼろげな記憶の中のアスカを思い浮かべた。

 箱に入っていたビー玉を床にばら撒いたアスカ。
 パッと目に飛び込んでくる沢山の転がったビー玉。
 そして瞬時にその数を同時に叫んだ。
「あたしの方が早かったもん」
「いや、僕の方が0.1秒早かったぞ」
「違うもん、あたしの方が早くビー玉の数を数えたもん」
 二人は意地を張っていたが、すぐに顔を見合わせて笑いだした。
 ビー玉の数をどちらが早く数えられるか競争してた記憶だったが、あの時瞬時に物を数える訓練を受けていた。
 アスカもジョーイもゲームとして楽しんでいたが、一体あれはなんだったのだろうか。
 また一つ記憶が蘇ると、眉間に皺が寄った。

「ねぇ、ジョーイ」
 詩織の呼ぶ声でジョーイは我に返った。
「よかったらお近づきの印に、これからお茶でも飲みに行かない?」
 無邪気な笑顔を振りまかれ、詩織のような美人に誘われたら殆どの男はついて行くのかもしれないが、ジョーイは素っ気無く断った。
 詩織はがっかりと言うより、寧ろ清々しく「残念」と笑顔で言った。
 嫌な空気も流れず、元気に「それじゃまた今度ね」と、改札口を目指して潔く去っていった。
 詩織は生粋の日本人ながら、ハキハキとしていた。
 思ったほど悪い奴でもない。
 ジョーイは鼻からふんと息を漏らし、肩の鞄を掛け直して、ポケットに手を突っ込みながら歩き出した。
 自分の目指すホームに続く階段を下りかけた時、ふと気がついた。
「そう言えば、さっきキノもこの階段を下りて行ったっけ」
 自分と同じ電車を利用していると認識するや否や、ジョーイは足を速めて慌ててキノの後を追いかけた。
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